3.領民との交流
やがて今日の宿の前に泊まったのか、馬車が止まる。
クロヴィスは急にキリっとした顔になって、
「周囲の確認。宿の警備につけ。裏口まで警戒を怠らないように」
と指示を出す。それはこれまで私と話していた時とは打って変わって冷たい温度のものだったので驚いた。
しかし馬車から降りるときは護衛ではなく自分が手を貸すと言って丁寧に私を下ろしてくれた。
それぞれの部屋に分かれる時も
「義姉上の部屋は二階の奥、護衛もつけておきますが室内へは立ち入らせません。ご安心ください。
何かあったら必ず呼んでください」
と言って去っていった。馬車の中ではずっと隣だったからか少しの寂しさを感じながら寝支度をする。
ベッドの中で、一人考える。
クロヴィスはすっかり大きくなっていた。私はその間ずっと変わらなかったような気がするけれども。彼の成長を見られなかったことが少し残念だった。
あの子はもう、私の背中で震えていた小さな子供ではないのだ。それは私も同じだ。お互いに会わないまま大きくなってしまった。
私もまた、成長しよう。そう思った。
それからはゆったりとした旅が続いた。
昼間は馬車の中で他愛もないことを話した。夜はクロヴィスの指示のもと警備が行われていた。
私は特に役に立てることがなく、無力感があった。そんな気持ちとは裏腹に旅は問題なく進み、やがて領地へ近づいた。
「お嬢様、お坊ちゃま、領地が見えますよ」
そう言われて窓の外を見ると、懐かしい畑が広がっていた。何の変哲もない、どこにでもあるはずの畑が何よりも美しく、愛おしく思えた。
ここで私の新しい生活が始まるのだと思うと、心臓が高鳴るのを感じた。
一方でクロヴィスは御者から何か聞いたようで
「この時間に魔獣が出ていない…….どういうことだ?」
などと考え込む様子を見せていた。
辺境に入ってから、領民が手を振ってくれるようになった。私たちの乗っている我が家の紋が刻まれた馬車を見てのことだろう。
私が来るという連絡は来ていたようで
「お嬢様!お帰りなさい」
と声をかけてくれる人がたくさんいた。
私を求めてくれる人が大勢いるということを実感して、胸が温かくなった。
馬車から降りて交流する時間が持てなかったのが残念だ、とこぼすと
「時間はいくらでもあるんですから、また来ましょう」
とクロヴィスが言ってくれた。
それからもちろん、クロヴィスへの声がけも多かった。クロヴィスはどうやら領民から慕われているようで
「クロヴィス様!また来てくださいね」
とか
「この前はありがとうございました!」
などと言われていた。クロヴィスは領民から慕われていることは嬉しいはずだけれど、彼の勇姿を私は全く知らないというのは、どこか寂しかった。
そんな中、旅は順調に続いた。
一つだけ不思議だったのは、領地に入ってから一度も魔獣と遭遇していないことだ。うちの領地はとにかく魔獣が多く出る。だから領地に入った時点で他よりも魔獣に襲われる確率は上がるのに、領地の中心部に行くまで一度も見なかったのだ。これにはクロヴィスも護衛も首を傾げていた。
領地の中心部に入ると一気に活気づく。
これまでの旅程でいくつもの城下町を見てきたが、やはりうちの領地の市場には見覚えも愛しさもある。
古くから変わらない街並みに、懐かしさが胸に広がる。クロヴィスは御者に速度を落とすように言ってくれたおかげで、街並みをゆっくり眺めることができた。
あの時計店の店主は元気にしているだろうか。道端を走る子供は一体どこの家の子なんだろう。八百屋の店主とふと目が合うと、眉を下げて嬉しそうに微笑まれた。
夢中になって窓に張り付いていると、隣のクロヴィスがぷっと吹き出すのが聞こえた。
「何よ、子供っぽいと思ってるの?
久々の領地なんだから、はしゃいでもいいでしょう?」
頬を膨らませて問うと、
「違いますよ!やっぱり義姉上はエマニュエルの人間なんだって、実感したんです。
だって王都にいる時よりもずっと生き生きした顔をしている」
そう言われて頬を抑える。確かに口角が上がっていた。こんなに笑うのはいつぶりだろう。王城にいた頃はずっと感情を抑えてばかりで、長らく素直に感情を表現してこなかった。
「確かにそうかもね。帰ってきてよかった」
そう言う私にクロヴィスは笑みを深める。
馬車はゆったりと進み、いよいよ我が家の屋敷を囲む門にたどり着いた。
私の婚約が内定して出ていく時は二度とここに帰って来られないと思っていたが、こんなことになるとは。
婚約破棄されたことは不幸だと思っていたけれども、こうしてここまで帰って来られたことを思うと幸運なのかもしれない。
クロヴィスが声をかけると、門の隣に立つ警備兵が敬礼する。クロヴィスの顔つきは私と話している時とは違って引き締まっていた。
「エマニュエル家長女、アニエスを連れ帰った。以後、家のものとして扱うように家内に連絡しろ」
はっ、と警備兵は走り去っていった。
家のもの。その響きに、胸が高鳴る。私がここを離れた時は、家のものでなくなる覚悟をしていた。それが、こうして帰って来られるなんて。
クロヴィスの横顔が、その真剣な眼差しが私の知らないものでることに、少し距離を感じた。こんなに近くにいるのに、すっかり知らない人になってしまったような感じがする。
馬車の中で雑談をしている時はそんな感じはしない。二人でくだらないことで笑い合って、昔の話をして。懐かしい感じがするのに。こうして軍人らしい側面を見ると、変わってしまったのだなと思う。
そして馬車が入るために門を開けるようにもう一人の警備兵にクロヴィスが指示をすると、重たい音を上げながら門が開いた。
ここを出ていく時は、この音がやけに耳に残ったのを覚えている。高く積み上げられた石の壁に、重厚な扉。故郷を離れて王都へ向かうことの寂しさ。
私が出た後に閉まるその音は、私と領地を隔てる壁のように感じられた。あの時とは違う気持ちで、この音が聞ける。まるで、私の新しい門出を祝福するような、そんな祝いの鐘にすら感じられた。
開いた門にゆっくりと馬車が近づく。私のそわそわしている様子に気づいたのか、クロヴィスが顔を覗き込んでくる。
また子供っぽいとか言おうとしているのか、とじろりと睨んだ。しかしその顔が意外にも優しいものだったので慌てて険のある目つきを引っ込める。何だか気恥ずかしかった。
屋敷の中に入ると、列を成した執事や侍女が
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と頭を下げてきた。そして両親が出てくると
「アニエス!よく帰ってきたね」
「顔を見せてちょうだい、ああこんなに大きくなって」
と私を抱きしめる。両親の腕の中はとても温かくて、愛されているという実感が湧いた。何だか込み上げてくるものがあって、我慢できなくなって静かに泣いてしまった。
それを両親は責めることなく、よく頑張ったねと褒めてくれた。
ひとしきり両親と再会を祝ったあと、私たちを囲んでいた使用人をぐるりと見回す。
幼少期私の遊び相手をしていた侍女見習い、名前はそう、確か
「レナ!イネス!」
「お嬢様!」
駆け寄ってきた二人の手を握る。彼女たちの手も暖かく、胸が詰まる思いがした。
「二人とも元気だった?本当に長い間連絡も取れなくてごめんなさい」
「いいえ、良いんです、お嬢様がお元気であればそれで」
二人は涙ながらに私の帰還を喜んでくれた。
落ち着いてから、二人に幼い頃とは変わった屋敷の案内をしてもらう。
「この間なんか道場の壁にドニが穴を開けてしまって」
「まあ、あのドニが?相変わらずね」
「でも、最近は魔獣討伐で手柄を上げているみたいですよ」
何年も会わなかったのが嘘のように、私たちは自然に会話ができた。心地よい空気が私たちの間には流れていた。
それにしても、家内も全く変わらないとは言えなかった。
部屋の配置は大まかには変わっていないけれど、案内してもらうと私の子供部屋は拡張されて広くなっていたし、時計や棚のような細かな備品は意匠の違う、流行りに沿った品に変わっていた。
私がいない間に使用人たちから贈られていたプレゼントの開封を終えて、何となく屋敷の中を再び散策していた時、帰還の後始末を終えたクロヴィスとかちあった。
「あらクロヴィス、よかったら一緒に屋敷の中を回らない?」
と誘うと喜んでと乗ってきたクロヴィスは、自然にエスコートしてくれた。
どこを回りたいか、と聞かれたので庭園に行くことを提案した。
庭園は常に季節の花々が整えられている。昔はそこから勝手に花を拝借して花冠にしたり花束を作ったりしては庭師に怒られたものだ。もちろんそれはクロヴィスも同じで、私に花をプレゼントしようと花を引っこ抜いてこっ酷く怒られていた。
美しく咲き誇る花々に目を癒される。
「クロヴィス、これを見て、綺麗じゃない?何の花かしらね」
クロヴィスが少し考えるような顔をしていると、後ろから声がかけられる。
「それはムスカリです。今の時期がちょうど見頃なんですよ。
気に入られたのなら生けるために花束をお作りしましょうか?」
見覚えのない、年若い顔をした庭師が近寄ってくる。
私が答えようとすると、クロヴィスが間に割って入って
「ああ、頼む。ありがとう」
と答えた。
庭師は邪気のない笑みで
「承知いたしました。
それにしても噂に聞いた通り、お嬢様は本当にお美しいですね。花も霞むようです」
まっすぐな褒め言葉に嬉しくなって微笑む。するとクロヴィスが私の腰を抱いて、平坦な声で
「当たり前だろう。俺の義姉上だからな」
と答えた。あまりにも早く答えるものだから照れてしまう。顔が熱くなるのを感じた。
けれども、私の前では常に明るい声音で話していたのに珍しいトーンだった。気になって顔を覗き込むと、真顔だった。
「クロヴィスったら険しい顔ね、花を前にしてそんな顔なんて失礼よ」
と言うと慌てて表情を取り繕い、笑みを浮かべる。一体どれが本当の顔なのだろうか。
屋敷を囲む門の警備兵は、ふと違和感を持った。片割れに聞いてみると、確かにいつもとは何かが違う。
ちょうど見回りの警備兵が帰ってきたところだった。あちらも何やら首を傾げている。
聞いてみると
「異常はない。ないんだが……普段なら一件や二件は魔獣を見かけたという通報が入るはずなんだが、今日は一件もない」
「そりゃあ、そういう日だってあるだろう」
「ここ最近は特定の群れが町を狙って襲撃に来てたんだが、見かけないんだ。
潜んでいるという可能性もあるんだが、どうも違うみたいなんだ。群れの巣穴だと思われるあたりに行ってみたんだが、何かを避けるように足跡が固まってたんだ。
その上、足跡しか残ってない。それ以外は痕跡がさっぱり残ってないんだ」
首を傾げる。それも変な話だ。魔獣が消えるなんてのは聞いたことがない。それも何かを避けるだなんて。
しかしそれも偶然と処理して続きを促す。
「いやしかし、この辺りだけなら有り得ない話でもない
でも今日になってから一度も魔獣が出たことを知らせる角笛の音が聞こえないんだ」
いよいよ偶然では済まされなくなってきた。いったい何があったのだろう。
「わからんなあ……今日あったことといえば、お嬢様が帰ってこられたことくらいか?」
「それが何か引き起こすかねえ」
「じゃあわからんな」
そうぼやいて、まあ何も起きていないなら重畳、と呟いて警備兵たちは己の職務に戻った。




