16.告白
エドモン殿下からの公式な謝罪を受けてからも、私たちはすぐには旅立たなかった。
ただ、大人たちは何となく別れの雰囲気を察しているようで、炊き出しの時に
「お嬢様もお元気で」
などと言われるようになった。寂しさを感じながらもやはり私たちの家は領地だ。こちらに残る兵士もいるらしいが、私たちはそうではない。
後ろ髪を引かれる想いにかられながらも、私たちは着々と旅立ちの準備を進めていた。徐々に王都に戻ってくる人も増えてきており、再び栄えるだろうことは想像に難くなかった。
私に懐いてくれる子供たちのことが少しだけ気がかりだった。子供というのは鈍感なようで聡い。私たちが旅立つ予感を感じ取ってか、最近は
「お姉ちゃん、明日もまた来てくれる?」
と問われるようになった。それに私は咄嗟に何も答えることができなかった。
そうね、と僅かに震える声で返してしまった。子供は無邪気に喜んだ。けれども私はそれに肩身が狭かった。嘘ではない。明日も来るのだから。
ふとじっとりとした目線を感じて振り返るとクロヴィスがこちらを不機嫌そうに見ていた。
「義姉上は領地に帰られるんですよね?」
重たい口調で問いかけるクロヴィス。
押されるように頷くと、ようやく少し顔が晴れた。最近ずっとそうだ。この間おばさまに
「ずっと王都にいてちょうだいよ」
と冗談まじりに言われた時も遠くから見つめてきて不機嫌そうな顔をしていた。
私が本当に領地に帰るか不安で仕方ないのだろう。殿下の前であんなに啖呵を切っておいて王都に残るわけがないというのに。
内心の嘆息を堪えて炊き出しに戻る。折角領地に戻るというのに、クロヴィスとの関係は何だかやりにくくなってしまっていた。
炊き出しの帰り道。警備兵も後ろから離れて歩いている中、今日の宿までの道のりを二人で歩く。
二人で他愛のない話をするのはそう珍しくないことだった。穏やかな時間だった。それが心地よくて、私の好きな時間だった。
二人の影が長く伸びて重なる。それを眺めながら二人でぼんやりと中身のないことを話していた。
「幼い頃は木登りなんかもよくしたわね。覚えてる?私が一度降りられなくなって、クロヴィスが泣きながら大人を呼びに行ったこともあってね」
そう言いながら隣を見上げると、少し恥ずかしそうに目を逸らされた。
「あの時は必死だったんです。義姉上を助けないとと思って」
思い出話に花が咲く。二人の間に流れる空気は、つい最近再開したと思えないほど自然なものだった。
そのうち昔話から話は変わり、最近の王都の話になった。
「魔獣の出現も本当に減ったわね。すっかり弱くなっちゃって何だかやり甲斐がないわ」
「そうですねえ。良いことではありますが」
ただ王都では魔獣対策のノウハウが整備されていないので、その指導はまだ少し時間がかかりそうですね、と続けられるのに頷く。
魔獣対策として打つ手についていくつか議論を重ねていると、クロヴィスの何か言いたげな様子に気づいた。
「どうかしたの?何か、気になることでも?」
そう聞いてみると唸られる。簡単には教えてもらえないか、と諦めようとすると教えてくれた。
「エドモン殿下の謝罪の件です。
俺は義姉上があんなに怒っていらっしゃるのを初めて見たから驚いてしまって……。ただ、それが何だか羨ましくもあって」
羨ましい?片眉を跳ね上げる。不思議な言葉だった。どういうこと?と聞いてみる。
「義姉上は幼い頃から穏やかで怒ったところなど一度も見たことがありませんでした。
それを初めてみる機会がエドモン殿下の謝罪なのが少し、悔しくて」
それがいじらしく聞こえて少し笑ってしまう。
義姉上、今笑いましたね、と睨んでくるのを無視して笑い転げていると、クロヴィスも少し眉を下げてこちらを見ていた。
仕方ないなあ、と言われているようで恥ずかしくなって居住いを正す。
それからはしばらくお互い話すこともないままぼんやり歩いていたが、沈黙が心地よかった。
そのまま歩いていると、ふと声をかけられた。お世話になっている町の商人だった。
「お嬢様もおぼっちゃまもお元気そうで何よりです」
とはじめて世間話を続けてくるのを適当に返す。きっとこれは本題ではない。本題は──。
「ところでお嬢様は王都に残られるんですか?そういう噂話を耳にしたのですが」
心臓が跳ねる。これはクロヴィスとの間でも少し食い違いが起きている問題だったからだ。
私の心は決まっている。しかしクロヴィスは何やら私が王都に残る気が少しでもある、むしろ王都に残ることに前向きだとすら勘違いしているのだ。
慌てて弁解のために口を開こうとすると、クロヴィスが私と商人の間に手を差し込んで言った。
「違います」
その語調の強さに、商人も私も目を丸くする。それから言葉を続け用としたクロヴィスは少し迷ったように唇を開き、
「義姉上は──」
と言った後何も言えなくなってしまっていた。その次の言葉を探すように視線を彷徨わせるが、出てこない。
その沈黙を察したのか商人は
「お引き止めして申し訳ありませんでした。これにて失礼致します」
と辞する挨拶をして去っていった。これで私が王都に残る予定はないとわかっただろう。私の意思はわからないままだろうが。
再び二人きりに戻った後は沈黙が気まずかった。何事もなかったかのように体勢を戻して私の隣に立ったクロヴィスが歩き出す。
妙な気まずさを感じていた私は動揺したが、それを押し隠してクロヴィスに着いていく。日が沈んできて、空の色が暗くなっていく。二人の影は消えかけていた。
お互いの顔も見えなくなりかけている、そんな夕暮れの中でクロヴィスに話しかける。先ほどまでの勢いはどこへいったのか、体を跳ねさせる。
「ねえ、クロヴィス?」
「はい!」
背筋を伸ばして答えるクロヴィスに思わず笑いが漏れそうになるのを堪える。
「その、先ほどは申し訳ありませんでした。勝手に話に割り入ってしまって」
「良いのよ別に、そんなこと」
と言うとクロヴィスは肩に入っていた力を抜く。その様子を眺めていると、何だか私も緊張してきてしまって逆に肩の力が入る。
二人で歩いているのは先ほどと変わらないのに、どうしてか胸がざわついて緊張してしまう。
二人でただ道を歩く。沈黙が重苦しく感じる。
「クロヴィス?」
「何ですか、義姉上」
徐々に暗くなっていく中、心細くなって声をかける。けれども続く言葉が見当たらなくて黙ってしまう。
石畳に靴が当たる音だけがあたりに響く。警備兵は今も遠くから見ているのだろうか。それはわからない。
少しだけクロヴィスが足早になったような気がして、私も合わせるように歩調を速める。
その時、私よりもかなりの長身のクロヴィスがいつも私に歩幅を合わせてくれていたという事実に気づいた。彼の身長に対してかなりゆっくりしたスピードで歩いてくれている。
急に足が速く、そして無口になったクロヴィスの内心が読めなくて顔を見上げてみるも、薄暗くなった外ではよく見えなかった。
不安になってしまってクロヴィスに直接問いかける。
「クロヴィス、その……怒っているの?」
その言葉にはっとこちらを向くクロヴィス。暗いからか上手く目が合わない。
焦ったようにクロヴィスは言う。
「いいえ、違います」
それなら良いのだけれども、と内心呟く。
「少し歩く速度が速いわ、緩めてくれる?」
「申し訳ありません」
と慌てて速度を緩めるどころか止まってしまう。それが面白くて、そこまでしなくて良いのよ、と笑いながら言うとクロヴィスも少しだけ表情を和らげた、ような気がした。
そのまま二人で歩き続ける。沈黙が少しだけ苦しくなくなった気がした。ふと、クロヴィスが足を止める。こちらを見ていた。
どうかしたの、と見上げる。決意を決めたような目で、私を見ていた。クロヴィスは語り出す。
「幼い頃の俺は、いつもあなたに手を引かれて、守られてばかりでした」
そうね、と頷く。事実そうだった。幼い頃の私は野山を駆け回ってはクロヴィスを振り回してばかりだった。その分怒られるのも私の役目だった。
「だからあなたが婚約が内定して王都に行ってから決めたんです。
あなたが迷った時、支えられる人になると」
それから少し俯いて、こちらを真っ直ぐに見る。目が慣れてきて、顔が見えるようになった。強張った顔がよく見えた。
「そうなれていましたか?」
振り返る。クロヴィスはいつだって私を支えてくれた。背中を押してくれた。
王家に救援を送ると決めた時も、戦場で判断を迷った時も、エドモン殿下と対峙した時だって。
私はクロヴィスの目を見つめる。
「ええ、もちろんよ。ありがとう」
その言葉にクロヴィスの顔が綻ぶのがよく見えた。
「でも、それだけじゃないんです」
え、と目を見開く。手を取られる。
「俺はあなたの隣に立ちたい」
取られた手が強く握り込まれるのを感じる。
「守りたいけど、それだけじゃない。あなたの隣で同じものを感じて、支えたいんです」
目頭が熱くなるのを感じる。そんな風に思っていたなんて。
一度深く息を吐いて、吸う音が聞こえた。緊張しているのだろう。言葉を促すように頷いてみせる。
「義弟ではなくて、男として」
頭が真っ白になる。咄嗟に手を引いたのを止められることなく離される。熱がなくなって、外気に晒された手を一人握り込む。
「答えはいつでも待ちます。ただ、宣言したかったので」
その言葉に胸が詰まって、思わず離した手をもう一度取る。今度は、私から。逃げようと一瞬手を引いたが、私が握り込んだことで大人しく繋いでくれた。
そのまま停止する。暗くなる、まさに夜の帳が下りる、というような状態の中二人が見つめ合う。
私から仕掛けたのだから私から何か言わなければいけない。そんな気がするけれども、言葉の意味を咄嗟に理解できないままでいる。
「クロヴィス、その……」
何か言おうとしても、口が震えて上手く出てこない。そもそも何を言うか決めてもいないのに言えるわけがなかった。
クロヴィスは何を言うでもなく優しい目で私を見ていた。その目に晒されているのが辛くて目を伏せる。
自分の気持ちを振り返る。私はずっと弟だと思っていた。でも、本当に?
再開してからの彼は思い返せば距離が近くて、姉弟の距離として適切だっただろうか。そして私は、それを少しだって拒否しただろうか。
……嫌では、なかった。私は動揺することや照れることはあれどクロヴィスの近い距離感や甘い言葉に嫌悪感を少しだって抱かなかった。
王都に来てからずっと彼は私を支えてくれた。寄りかかってしまっていた。それは昔とは全く違って。
目を閉じて振り返る。初めて会った時の心細そうな立ち姿が気にかかって、手を伸ばしたのだった。大丈夫だよと言ってあげたくて。
それからずっと手を引っ張ってあげていた。私の婚約が内定して領地を去るまで、ずっと。
あの頃の泣き虫のままだと思っていたが、再開した彼はずっと立派な大人の男性に成長していた。
私はそんな彼に支えられてばかりで。守られてばかりだった。それがどれだけ心強かったことか。
目を開ける。そして見上げる。クロヴィスは先ほどと変わらず黙ってこちらを見つめていた。穏やかな表情で。
「これからは義姉上じゃなくてアニエスと呼んでくれる?」
直接的な返事はできなかった。しかし意味が伝わったのか、クロヴィスの顔が徐々に笑みの形に変わっていくのが見えた。
そのまま繋いでいた手を祈るようにクロヴィスの額に当てられる。それから体の力が抜けたのかへなへなとしゃがみ込むのに合わせて私もしゃがむ。
小さい声で何か言っているのに耳を傾けると
「良かった……」
と万感の思いを込めて言っていた。思わず笑みが溢れる。クロヴィスの肩に額を押し付けて笑っていると抱きしめられた。
それからしばらく、私たちは静かに抱き合っていた。




