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1.義弟との再会


 鼓動が速くなるのを無理矢理落ち着かせる。


 速度を落とすように懇願する部下の声を無視して、さらに馬に鞭を打ち速度を上げる。


 この時を何年待ち侘びたことか。


 ようやく、これであの人が俺の手に入ってくる。





「アニエス・エマニュエル!

 婚約者としての勤めも満足に果たせない冷血女が!

 私は貴様との婚約を破棄する!二度と王都に足を踏み入れるな!」


私と王太子殿下の婚約披露パーティーで高らかに宣言された言葉。それは、私に向けられた断罪だった。


 覚悟はしていた。けれども今、この場で言うことだろうか。呆然と立ち尽くす私の背中に、嘲笑が投げかけられる。


 これまで殿下の婚約者の座が空くのを虎視眈々と待っていた貴族や令嬢が笑みを浮かべるのを肌で感じる。


 結い上げた髪が重たく感じられて俯く。侍女にきつく締められたコルセットを意識して、急に呼吸がしにくくなった。



 何か反論をしようかと思ったが、何も言い返すことができなかった。王太子の婚約者としての務めを碌にこなせなかったのは事実だ。


 けれどもほとんど王城に閉じ込められるように生活してきたからだった。何かしようとしても私の役目ではないからと遠ざけられてばかりの日々だった。


 唇を噛み締めて、ただ沈黙を貫く。完璧に磨き上げられた床に反射したシャンデリアの光が、目に眩しかった。



 殿下が嬉しげに私を会場から摘み出すように指示するのを、一枚の幕で隔てられたような感覚で聞き流す。


 衛兵が足音を立てながら近づいてくる。何の抵抗もする気が起きなかった。


 無力感で胸が詰まる。理由は曖昧なまま、涙が迫り上がってくるのを息を細く押し出すようにして逃す。


 衛兵が近づいてくるのを見て、咄嗟に体を反転して出口の方まで歩く。


 なぜだかわからない。ただ、無理矢理連れ出されるなどという屈辱を味わうくらいなら、自分から出ていったことにしたかった。


 微かな動揺が広がるのを感じながら、人の波をかき分けるようにして出口の扉へ近づく。


 足に合わないヒールで踵が擦れて痛い。けれどもせめて衛兵に捕まる前に、自分で出ていく。意地を張るようにして前に進み続ける。


 自分の汗の匂いと混じり合った、好きでもない香水が匂った。それすらも不愉快で、涙を堪えようと表情も気にせずに顔を歪めて歩く。


 何で惨めなんだろう。一方的に婚約破棄をされて、逃げるように出ていくなんて。


 後ろから私を追いかける兵士の足音がする。捕まえてどうするつもり?自分から出て行こうとしているんだから大人しく逃してくれたらいいのに。


 どこかやさぐれた気持ちで足を速める。呼吸が苦しくなってくる。けれども捕まってなるものかと歩き続ける。


 私のこの原動力はどこから湧いてくるのか、不思議なくらいの足の速さで出口の扉まで向かう。


 ようやく辿り着いた扉の前に立ち、扉を開けるように扉の両脇に立つ警備兵に目で指示する。



 重たい音を上げて開く扉を前に、走馬灯のように王城での日々が甦る。


 窓から外を眺めるだけの日々、引きこもってばかりと陰口を叩く侍女。王太子とのたまのお茶会だけが部屋の外に出られる唯一の機会だったけれども、それも息が詰まって楽しいものではなかった。


 無理矢理に詰め込まれた王妃教育も少しも良い思い出がない。


 王城に来るまでの幼い頃しか過ごさなかった実家の方が、余程たくさんの良い思い出がある。


 それに皮肉を感じて、ようやく顔が少し緩む。退場の挨拶をすることもないまま、会場を出る。




 と言っても行く当てはない。結局いつもと同じ事実に戻るしかなかった。早々と帰ってきた私に驚いた様子の侍女。その小さな反応すら煩わしかった。


 服も脱がずにベッドに飛び込む。無作法だからとこれまでやってこなかったが、今更どうでも良い。ごろごろと布団の上を転がって、これから先のことを考える。



 私は王太子との婚約が内定したときから婚約者として王城で生活してきた。婚約破棄されてしまえば出ていくほかない。


 実家に帰るというのだろうか。もう何年も帰っていない、連絡も取れていない、あの辺境へ。


 故郷は魔獣が多く出没する田舎だった。多くの人間は魔獣討伐部隊に参加して日夜戦っている。それは領主である私の父やその家族も関係ない。


 幼い頃に故郷を離れ、魔獣がほとんど出ない王都で暮らしてきた。そんな私が今更故郷で魔獣討伐で満足に活躍できるだろうか。



 義弟、クロヴィスの問題もある。一人娘だった私は では爵位を継げないということで養子に来た彼が、出戻ってくる私を受け入れてくれるだろうか。


 彼はどんなふうに成長しているだろう。私を義姉上と慕ってくれたあの子が。それだけは少し楽しみだった。


 クロヴィスと私は良い遊び相手だった。共に遊び、時にやんちゃなことをして共に怒られる。


 泣き虫のクロヴィスはいつもどこかおどおどしていて、思い切りが足りなかった。だから私が手を引っ張ってあげないといけなかった。そのようにお姉さんぶることが、幼い私にとっての喜びだった。


 だから私はいつもクロヴィスが知らないことを教えてあげた。魔法の使い方だって、素敵な秘密基地も。


 けれども今の私にそんなことはできない。何年も篭りきりで、外の世界のことを碌に知らない私を、クロヴィスはどんな目でみるだろうか。それが怖かった。


 あんなに活発で手を引いていた私が、こうして惨めに婚約破棄をされたなんて家族に知られることが恥ずかしくてたまらなかった。



 両親は私を責めるだろうか。きっとそんなことはない。私のせいではないと優しく慰めてくれるはずだ。きっと、それが逆に苦しくなる。


 私なりに努力した。けれども結果として婚約破棄された。それは足元が空っぽになったような、急に地面がなくなったようなそんな心地がした。


 王太子殿下……エドモンが好きだったわけではない。交流は少なかったし、たまのお茶会も最低限の会話しかしてこなかったから。それでも婚約破棄に衝撃を受けたのは、私のこれまでの我慢が全て無になった気がしたからだろう。


 部屋から出してもらえなくても。誰とも会話ができない毎日でも。それでも王命での婚約だから、私は王妃にならなければいけないからと我慢していた。


 なのに婚約破棄をされた。私は王妃になることもなく、今後王都に足を踏み入れることもない。


 王妃になるからと何もかも我慢してきた。解放されたとも言えるけど、突然目の前に敷かれていたレールが消えたとも言える。


 私はどうしたら良いんだろう。


 そこに思考が行き着いてから、私は頭が真っ白になった。



 そうしてぼんやりしているうちに上からの指示を受けたらしい侍女が私のドレスを脱がせ、風呂に入れてくれる。


 皆どこか気まずそうだ。彼女たちも知らないのだろう。今後私がどのようになるか。私自身が知らないのだから。


 大方、実家に帰ることになるのだろうが何せ、片道一週間はかかる辺境だ。しばらくの間は王城に厄介になるしかない。



 と思っていたが意外にも十日で迎えがきたという連絡が来た。というわけで慌てて荷物をまとめる。


 と言っても特に持っていくものはない。婚約破棄が決まってから身の回りのものはすっかり処分してしまったからだ。


 さて、迎えに来てくれたのは父かなと思いながら迎えにきた馬車まで行くと、そこには精悍な顔立ちの軍人がいた。


 彼は私を見ると少し口角を上げ、嬉しそうに


「義姉上!お久しぶりですね」


と言った。


義姉上?私をそう呼ぶのはこの世で一人だけ。義弟のクロヴィ、ス……クロヴィス!?


 改めて目の前の男の顔を見上げる。確かに義弟の面影はある。しかし、こんなに凛々しかっただろうか?


 かつては臆病で、私の後ろにべったりだったあのクロヴィスが?見上げるのも苦労する大男に?


 動揺する私を尻目に、クロヴィスは


「さあ、帰りましょう。ようやく王都からうちに帰ってくると、義母上も義父上も楽しみにしております」


と私の腰を抱いてくる。私の、腰を?クロヴィスの吐息を近くに感じる。私の泣き虫クロヴィスは、私の知らない間に一人前の男の人になってしまったようだった。




 一方、婚約破棄を宣言した王太子は国王に激しい叱責を受けていた。


「お前!何を考えている!

 何度も何度も口を酸っぱくして行っただろう、何があってもあの娘だけは手放すなと!王都から出してはならんと!」


肩を振るわせながら言う王を前に、王太子エドモンは冷めた目をしていた。


「お前は何もわかっておらん!

 あの娘との婚約の意味を、この国が何によって守られておるかを!」


繰り返し叱責を続ける王にエドモンは目を伏せる。


けれども、自分の選択は間違いでない、そう確信を持っていた。

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