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冷徹管理会計士は老舗洋菓子メーカーを救う 〜夢を見る寄生虫役員は、数字で処刑します〜

作者: 昼寝たすく
掲載日:2026/02/21

相良さがら詩織しおり。二十八歳。

職業、管理会計士。

主な業務は、死に体の企業にメスを入れ、腐敗した患部を摘出すること。


感情?

そんなものは、貸借対照表バランスシートには記載されない。


「……現在時刻、深夜。残業時間は労働基準法の上限を既に超過。未払い残業代の累積額は、もはや笑えない桁に達している」


乾いた打鍵音が、深夜のオフィスに響く。

老舗洋菓子メーカー『華月堂かげつどう』。

創業百年超。贈答用高級ゼリーで一世を風靡したこの会社は今、倒産の危機に瀕していた。


原因は明白だ。

数字を見れば、死因など一秒で判別できる。


「相良さん、まだ残ってるの?」


甘ったるい声が、背後から鼓膜を揺らした。

香水の匂い。

食品メーカーのオフィスにあるまじき、強烈なローズの香り。


振り返る必要はない。

足音のリズムと香水の成分だけで、対象ターゲットは特定済みだ。


二階堂にかいどう美香みか。二十五歳。

現社長の姪であり、新設された『未来創造企画室』の室長。

そして、この会社を食い荒らす寄生虫パラサイト


「……お疲れ様です、二階堂室長。何か?」


私は視線をモニターから外さず、最低限の音素で応対する。

美香は私のデスクに、華美な装飾が施された企画書を放り投げた。


「これぇ、工場の桐島きりしまさんが『無理だ』って言うのよぉ。ひどくない? 私、みんなの笑顔のために頑張って考えたのにぃ」


企画書の表紙には、『愛と奇跡のレインボージュレ ~天使の涙を添えて~』という、正気を疑うタイトルが踊っている。

ページをめくる。

原価計算シートが存在しない。

あるのは、「ふわっとした食感」「きらきら感を出す」という擬音語と、インスタ映えしそうなイメージ画像だけ。


「……工場のラインは、現在クリスマス商戦向けの主力商品『琥珀こはく』の製造で稼働率は限界値です。新規ラインの増設には、数週間のリードタイムと、莫大な初期投資が必要です」


私は脳内のデータベースから即座に概算を引き出し、提示する。


「えー、そんなのわかんない! 気合でなんとかなるでしょ? うちは老舗なんだから、職人さんの底力マジック見せてよって感じ?」


気合。底力。

最も嫌悪すべき単語だ。

物理法則と経済合理性を無視したその言葉の下で、どれだけの現場人間が血を吐いてきたか。


「物理法則は、気合では曲がりません」


「相良さんってさぁ、ホントつまんない人だよね。数字ばっかりで、夢がないっていうか」


美香はふんと鼻を鳴らし、ヒールの音を高く響かせて去っていった。

夢。

彼女の言う「夢」とは、他人の労働力を搾取して得られる、自分だけの称賛のことだ。


私は溜息を殺し、再びキーボードに指を走らせる。

怒りはない。

ただ、処理すべき「不良債権」のリストに、彼女の名前を太字で刻み込んだだけだ。


 ***


翌日。

私はヘルメットを被り、製造工場のライン脇に立っていた。


熱気。

砂糖の焦げる匂い。

ベルトコンベアの駆動音。


ここは戦場だ。

一分一秒の遅れが、数百万の損失に直結する最前線。


「……邪魔だ。会計士がこんな油まみれの場所で何の用だ」


低い声。

桐島きりしまみなと。三十二歳。工場長。

無精髭に、油の染みた作業着。

目つきは鋭く、まるで親の仇を見るような目で私を睨んでいる。

だが、その目は死んでいない。

稼働し続けるラインの微細な異常音を聞き分ける、プロフェッショナルの目だ。


「現場の数値を視察に来ました。管理会計上の原価差異コスト・バリアンスが、先月から大幅に悪化しています。その原因究明です」


「原因ならわかってるだろう。あの馬鹿げた『レインボージュレ』の試作だ」


桐島は吐き捨てるように言った。

彼は手元の端末を操作しながら、ラインの流れを微調整している。

その手際は、ピアニストのように繊細で、外科医のように正確だ。


「企画室からの割り込み試作指示により、段取り替えが頻発。主力ラインの停止時間は長時間に及びます。機会損失額は……800万円です」


私が事実を告げると、桐島の手がピタリと止まった。


「……800万円、だと?」


「はい。さらに廃棄ロスを含めれば、被害は甚大です。これは、工場のボーナス原資を大きく削り取る規模に相当します」


桐島が、ギリと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

彼は現場を守ろうとしている。

部下たちの生活を、会社の伝統を。

だが、論理的な武器を持たず、ただ「現場の苦労」という感情論で戦おうとしているから、経営陣あちらがわには届かない。


「桐島工場長。私はあなたの敵ではありません」


私はタブレットを取り出し、彼に見せる。

そこには、私が昨晩徹夜で構築したシミュレーションが表示されていた。


「工場の稼働データを解析しました。美香室長の無茶なオーダーを、最小限のロスで捌くための最適化プランです。Cラインの温度設定を下げ、混合工程のシーケンスを並列化すれば……空き時間が捻出できます」


桐島は食い入るように画面を見つめた。

数秒の沈黙。

彼の瞳孔が開く。プロが、解を見つけた顔だ。


「……これなら、いける。だが、粘度調整の工程がボトルネックになるぞ」


「そこは、添加物の配合比率を微調整することで流動性を確保できます。品質基準スペック内です」


「……あんた、会計士だろ? なんで配合比率までわかる」


「過去十年分の製造日報と、品質管理データをすべて読み込みましたから」


当然だ。

現場を知らない人間に、数字を語る資格はない。

数字とは、現場の汗と血が凝縮された結果なのだから。


桐島は、初めて私の顔をまともに見た。

値踏みするような視線が、やがて「信頼」の色に変わる。


「……わかった。やってみる。背中は任せていいんだな?」


「計算上、リスクは許容範囲内です。存分に」


言葉はいらない。

共有すべきは感情ではなく、目的と手段の最適解のみ。

彼が現場を回し、私が数字で援護する。

それだけで十分だ。


 ***


一週間後。

Xデーが訪れた。

クリスマス商戦に向けた、全社プレゼン大会。

役員たちがずらりと並ぶ大会議室。


美香は、勝った気でいた。

彼女の背後には、きらびやかなプロジェクター資料と、外部のパティシエに作らせた(・・・・)試作品が並んでいる。


「見てくださいぃ! この輝き! これこそが華月堂の未来ですぅ! 現場の皆さんも、私の熱意に動かされて、徹夜で作ってくれたんですよぉ!」


美香が涙ぐむ演技をする。

役員たちが「おお」「さすが社長の姪御さんだ」と感心した声を上げる。


嘘だ。

その試作品は、彼女が私費で雇った有名パティシエの作品。

工場のラインで量産できる仕様ではない。

現場の人間は、彼女の無茶振りに対応するため、徹夜などではなく、極限のシフト調整でなんとか主力商品を生産していたのだ。


「では、製造コストについてですがぁ……」


美香が言葉を濁す。

彼女の手元には、まともな原価計算書がない。


「コストについては、私が説明します」


私は席を立ち、無機質な声で告げた。

会議室の空気が凍る。

美香が「えっ、ちょっ……」と慌てるが、無視だ。

私は自分のPCをプロジェクターに接続する。


画面に映し出されたのは、冷酷なまでの「現実」だ。


「現在提案されている『レインボージュレ』の量産化における試算です。美香室長の指定する原材料を使用した場合、原価率は八十五%。損益分岐点に達するには、非現実的な個数を完売させる必要があります」


「は、八十五%!?」


経理担当役員が悲鳴を上げる。

食品業界の常識ではあり得ない数字だ。


「さらに、この形状を再現するための専用金型の導入に数千万円。償却期間を考慮すると、初年度の赤字は四千万円に達します」


「う、嘘よ! そんなの計算間違いだわ! 相良さん、私を陥れようとしてるんでしょ!?」


美香が金切り声を上げる。

顔は真っ赤だ。

論理で勝てない人間が最後に行き着く場所。

それが「被害者ムーブ」だ。


「計算間違いではありません。すべて、御社が契約しているサプライヤーの見積もりと、工場の稼働データに基づいています」


私は淡々と次のスライドを表示する。


「対して、こちらが現場の桐島工場長と共同で策定した、主力商品『琥珀』の改良案です」


画面が切り替わる。

地味だが、堅実な数字が並ぶ。


「既存ラインを流用しつつ、配合比率の最適化により原価率を低減。さらに、パッケージデザインの刷新により、ターゲット層を二十代まで拡大。予測利益は、前期を大幅に上回ります」


役員たちの目の色が変わる。

夢物語よりも、確実な現金キャッシュ

それが経営者の本能だ。


「で、でもぉ! そんなの地味じゃない! 映えないわよ!」


美香が食い下がる。

往生際が悪い。


「映え、ですか。では、こちらをご覧ください」


私は最後の一撃を用意していた。

監査レポートだ。


「これは、未来創造企画室の経費使用履歴です」


画面に羅列される項目。

『市場調査費』名目での高級ホテル宿泊。

『資料代』としてのブランドバッグ購入。

『接待交際費』としてのホストクラブ利用。


「これらの支出と業務との関連性を証明する領収書および報告書は、一切提出されていません。これは、会社法における特別背任の疑いがあります」


「な……ッ!?」


美香の顔から血の気が引いていく。

役員たちがざわめき立つ。

社長である叔父も、さすがに顔を青くして俯いている。


「また、先ほどの試作品ですが、外部のパティシエへの発注メールも確保しております。『とにかく見た目だけ良くして。味はどうせわからないから』……これは、創業百年超の暖簾に対する冒涜ではありませんか?」


決定打。

老舗において、「味への裏切り」は大罪だ。

役員たちの視線が、称賛から軽蔑へと一瞬で反転する。


「ち、違うの……私はただ……」


「言い訳は、監査役会でどうぞ。数値データはすべて保全済みです」


私はプロジェクターの接続を切った。

画面が暗転する。

美香はその場に崩れ落ちた。

涙を流しているが、計算高い彼女のことだ、これも演技かもしれない。

だが、もう誰も彼女を見ようとはしない。


数字は嘘をつかない。

そして、寄生虫パラサイトには、支払うべき対価ツケが必ず回ってくる。

それが、この世界のルールだ。


 ***


会議終了後。

私は屋上の喫煙スペースにいた。

煙草は吸わない。

ただ、空調の効いたオフィスでは感じられない、自然の風を浴びたかっただけだ。


「……えげつないな、あんた」


背後から声。

桐島だ。

彼は缶コーヒーを二つ持っている。


「事実を陳列しただけです。私の業務範囲内スコープですから」


「まあな。おかげで助かった。現場の連中も、これでやっと枕を高くして眠れる」


桐島は隣に来て、缶コーヒーの一つを私に差し出した。

微糖。

私がいつも飲んでいる銘柄だ。


「……観察眼が鋭いですね」


「現場の人間は、細かい変化に敏感なんだよ」


受け取る。

指先が触れた瞬間、ほんのりと温かい温度が伝わってくる。

それは、データには表れない「熱」だ。


「今回の『琥珀』の改良案、あれはあんたのシミュレーションがなきゃ通らなかった。……礼を言う」


「礼には及びません。あなたの実務能力スキルがあったからこそ、成立したプランです。私一人では、机上の空論で終わっていました」


これは謙遜ではない。

事実だ。

私の計算式を、現実の製品モノに変換したのは彼だ。

その泥臭い手腕を、私は評価している。


桐島は、ふっと短く笑った。

無愛想な男の、珍しい笑顔。

悪くない。


「また、頼めるか? うちはまだ、問題だらけだ」


「契約期間が続く限りは。……ただし、残業代はきっちり請求させていただきます」


「ああ、払ってやるよ。俺の稼ぎでなんとかなる範囲ならな」


「計算しておきます」


甘い言葉はない。

視線が絡み合うこともない。

私たちは並んで、眼下に広がる街を見下ろした。

無数の光が灯っている。

あの光の一つ一つに、経済活動があり、労働があり、そして生活がある。


それを守るのが、プロフェッショナルの仕事だ。


冷たい風が吹く。

けれど、隣にある体温と、手の中のコーヒーの温かさだけで、今の私には十分だった。


「さて、戻りますか。二四期の予算策定がまだ終わっていません」


「鬼か、あんたは」


「プロです」


私は空になった缶をゴミ箱に捨て、踵を返す。

振り返ることはしない。

足音が二つ、規則正しいリズムで並んで響く。


それが、私たちの最適解だ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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