SCENE21
大石がゆっくりと顔を上げる。
霧島の手元には、茶色い封筒がある。
晩秋に、二人が現像に来た時の封筒だ。
霧島「あの日……彼が一人でここに来た日。私にこう言ったの」
回想
カウンターに座る福田湊。
まだ目の光はしっかりしているが、その表情は悲痛に歪んでいる。
湊「霧島さん……。僕、もうすぐあいつのこと、わからなくなると思います」
「わかります。頭の中の砂が、どんどんこぼれていく。最近、あいつの笑顔を見ていると、急に怖くなるんです。『この顔を忘れる日が来るんだ』って」
湊、自分の胸を強く掴む。
湊「僕は、あいつの青春を奪った泥棒です。本当なら、もっと普通の友達と遊んで、恋をして、騒いで……そういう『普通の青春』を送るはずだったのに」
「僕の介護なんかさせて、あいつの17歳を、僕が全部食いつぶしてる……!」
テーブルに落ちる涙。
湊「申し訳なくて、胸が張り裂けそうなんです。……僕が彼を忘れることよりも、彼が『僕に尽くした時間は無駄だった』って傷つくことが、何より怖い」
湊、震える手で胸ポケットから**「一枚の写真」**を取り出す。
それは、晩秋に霧島が撮った、二人のモノクロ写真。
湊はペンを取り、写真の裏に何かを書き込む。迷いなく、力を込めて。
湊「霧島さん、お願いがあります。もし僕が彼を忘れて、彼が傷ついてここに来たら……その時は、これを渡してほしいんです」
「そして伝えてください。『離れてくれていい。君の人生を生きてくれ』って」
湊は、写真の裏面を伏せたまま、霧島に託す。
その目は、自分の死を受け入れた聖人のように澄んでいた。
(現実に戻る)
大石の目の前に、その写真が差し出される。
霧島「彼があなたを忘れたのは……偶然じゃないかもしれない」
大石「……え?」
霧島「あなたを自由にしてあげようとする、彼なりの、最後の防衛本能だったのかもしれないわね。……『忘れてしまえば、君はここに来なくて済むから』って」
大石、震える手で写真に触れる。
指先が冷たい。心臓が早鐘を打つ。
ゆっくりと、裏返す。
そこには、湊の繊細だが力強い筆跡で、たった一言だけ書かれていた。
『 僕の光 』
大石「…………っ!」
大石の喉の奥から、空気が抜けるような音がする。
視界が涙で歪む。
文字を指でなぞる。湊の体温が、そこにある気がした。
大石「……なんやそれ。かっこつけやがって……」
ポタリ、ポタリと、写真の上に大石の涙が落ち、文字を滲ませる。
大石「泥棒なわけあるか。……俺も同じなんや。あいつがおらな、俺の世界は真っ暗なんや」
「あいつと過ごした時間が、俺の青春そのものなんや……っ!」
大石、写真を胸に抱きしめ、カウンターに突っ伏して泣く。
霧島は、何も言わずにその頭を一度だけ撫でる。
大石「返せなんて言われても、返したるかい! ボケ!」
しばらくして。
大石が顔を上げる。目は真っ赤だが、その瞳には再び、強烈な光が宿っている。
タオルを乱暴に放り投げ、勢いよく立ち上がる。
霧島「どうする? 彼の望み通り、離れてあげる?」
霧島が試すように聞く。
大石は、写真を胸ポケット――心臓に一番近い場所――に丁寧にしまい、ニカっと笑う。
大石「まさか」
「あいつが俺を忘れて、俺を遠ざけようとしても、俺は何回でも捕まえに行きますわ」
大石、出口へ向かう。その足取りに迷いはない。
大石「『初めまして』って言われたら、『初めまして、俺がお前の光や』って、何万回でも教えたるわ!」
「霧島さん、おおきに! 俺、行ってきます!」 カランコロン!!
大石が雨の中へ飛び出していく。
冷たい雨はまだ降っているが、大石にはもう関係ない。
残された霧島。
湯気の立つコーヒーを一口飲み、窓の外の暗闇を見上げる。
霧島「……よかったわね、湊くん」
霧島、壁に飾られた自分の夫の写真に目を移す。
霧島「あなたの泥棒さん、またあなたの心を盗みに来てくれるみたいよ」
雨雲の切れ間から、微かに月の光が差し込んでくる




