第42話:切れない鎖と絆
夜のリーベラは静かだった。
波の音が一定の間隔で届き、灯りは控えめに揺れている。
サラは、コミックガーデンの裏手にある簡素なベンチに腰を下ろしていた。
昼間の喧騒が嘘のように、人の気配はない。
ダイキチが少し遅れてやって来る。
缶を一本、軽く振りながら。
「……聞くよ」
それだけだった。
促しでも、覚悟でもない。
ただ、逃げないという合図。
サラは、ゆっくり息を吸った。
「最初は……幸せでした」
声は低く、落ち着いている。
「ガンドと暮らして、リクが生まれて。
不器用でしたけど、あの人は……ちゃんと父親でした」
指先が、膝の上で絡まる。
「だから、急に冷たくなった時……理由が分からなくて。
捨てられたんだって、思いました」
役人が来た日のこと。
連座を避けるための切断。
それを理解したのは、ずっと後だ。
「分かった時には……もう、戻れませんでした」
声が、ほんのわずかに揺れる。
「リクと二人で生きるしかなくて。
お金も、仕事も、保証もない」
一瞬、言葉を探す。
「……選択肢は、少なかったです」
それ以上は言わない。
ダイキチも、聞かない。
「それでも、育てました。
あの子を」
誇りでも、美談でもない。
事実だけが残る。
「リーベラに来て……やっと、落ち着けると思ったんです」
そこで、ガンドがいた。
「奴隷なのに、楽しそうで。
仕事もあって、居場所もあって」
サラの唇が、きつく結ばれる。
「……私が必死で生きていた間、
あの人は、探そうともしなかったんだって」
怒り。
妬み。
虚しさ。
どれも、消せない。
「それでも」
サラは、顔を上げる。
「リクが、父親を見て笑うのを……止められなかった」
安定を捨てられない自分。
絆されていく自分。
「……打算です。今の生活は」
ダイキチは、しばらく黙っていた。
そして、肩をすくめる。
「人生って理不尽なもんさ」
ダイキチは何でもない風に缶を軽く鳴らす。
そんなダイキチにサラはきつい視線を投げる。
少し間を置いて、ダイキチは続けた。
「俺さ、地球で寝てたら、いきなり殺されちゃってさ」
さらりと言うが、内容は重い。
「子供も孫もいるけど、この姿じゃ会えない。
この世界に送った管理者が“家族の幸せは保証する”って言うから、我慢した」
サラが、黙って聞いている。
「でもさ。我慢してるだけだと、腐るんだよ」
ダイキチは笑う。
「前向いたら、仲間ができた。
ガンドとかね」
「……奴隷、ですけど」
「いやー、まさにそれを忘れててさぁ」
苦笑する。
「リクがいなきゃ、永遠に忘れてたかも」
「でさ、奴隷は奴隷でも、
俺の奴隷じゃないなら仲間でいいかなって」
サラが、言葉を失う。
「……はい?」
「だから」
ダイキチは、まっすぐ言った。
「言いたいこと、言っちゃえよ」
その言葉に、サラは目を伏せた。
「味方するぞ」
***
翌日。
仕事を終えたガンドは、サラに呼び止められた。
逃げ場はない。
だが、逃げる気もない。
サラは、すべてをぶつけた。
怒りも、恨みも、弱さも。
途中で声が震え、言葉が途切れる。
それでも、最後まで言った。
ガンドは、黙って聞いていた。
だが、飲み込むだけではなかった。
「……捨てたのではござらん。」
静かに、しかしはっきりと言う。
「連座を避けるためだった。
あの時、拙者が反抗すれば……妻子に咎が及ぶと思った」
サラが、息を呑む。
「奴隷に落ちても、反抗も自死もすることは出来た。
だが……それをすれば、お前達が疑われる」
拳が、わずかに震える。
「だから、生きる方を選んだのだ。
罪を背負ってでも」
顔を上げる。
「ダイキチ殿に買われた時、この方なら忠誠を誓えると思った。
……探そうと思えば、許されたでしょう」
「ですが、拙者には……迎える資格がないと思った」
サラの目を、真正面から見る。
「お前達が、そこまで困窮しているとは……思っていなかった」
声が、かすれる。
「今のお前が、昔の情ではなく、
リクと暮らしの安定のためにここにいることも……分かっているのだ」
涙が、一筋だけ落ちる。
「それでも」
泣き崩れない。
「今は……幸せなのだ」
沈黙が落ちる。
そこへ、ダイキチが一歩前に出た。
「ガンド」
声は、真剣だった。
「今をもって、おまえの所有権を手放す」
空気が張り詰める。
「……殿」
ガンドは、深く頭を下げる。
「奴隷ではなくなっても、この身は――」
「その所有権な」
ダイキチが、にやりと笑う。
「サラに譲渡するわ」
「ゲエエエエッ!?」
素っ頓狂な叫び。
サラは一瞬次の瞬間、サムズアップでニヤッと笑った。
「俺サラの味方するって、言ったんだよね」
ダイキチの悪い顔。
ガンドの絶望。
だが。
鎖は、確かに外れた。
名前だけの鎖は。
それでも。
この形なら――
もう一度、家族や仲間になれる気がした。




