第41話:名前だけの鎖
あけましておめでとうございます。
遂にクライマックスへ近づいてきました。
ダイキチは、その日の夕方まで、いつも通りの顔で過ごした。
笑って、缶を開けて、リクの字を褒めて、ガンドの「旦那」扱いを面白がって――
そして腹の底だけ、冷えていた。
(……ガンド、まだ奴隷身分のまま)
別に今さら「奴隷」という単語に正義感が湧くわけじゃない。
この世界じゃ、制度は制度だ。勝手に燃やせば余計な火種が増える。
でも、名前だけ残ってる制度ってのが、一番面倒だ。
リクは父親を尊敬している。
その父親が「奴隷」って札を首にぶら下げたままなのは――
未来の面倒の種だ。
種は、芽が出てから抜くと土が荒れる。
抜くなら今だ。
だからダイキチは、順番を守った。
ガンドにはまだ言わない。
ミリアにもシーナにも言わない。
先に、状況を確かめる。
まず話を聞いたのは、港の商人だった。
荷の帳面を広げて、酒を飲みながら、いつもの調子で聞く。
「なあ。今の奴隷制度って、実際どう回ってんの?」
商人は眉を上げた。
答えに困る顔じゃない。むしろ「今さら?」の顔だ。
「回ってはおりますよ。名目としてはな」
「名目?」
「ええ。帳簿と税と、責任の所在がまとまる」
商人は指で帳面を叩いた。
「奴隷って札があるから、“管理者”が決まる。
管理者が決まるから、損害が出た時に誰が払うかが決まる」
「逃げたら?」
「昔ほど追いません。追う方が金がかかる。
追うのは――“見せしめ”が欲しい時だけですな」
(うわ、面倒)
次は、コミックガーデンで働いている元奴隷に聞いた。
文字を覚え始めたばかりの男だ。鉛筆を大事そうに持っている。
「お前さ。今のままが楽か? 自由が欲しいか?」
男はすぐ答えなかった。
目が泳いで、指が鉛筆の軸を擦る。
「……自由って、怖いっす」
「怖い?」
「はい。自由って、失敗も自分のもんでしょ。
怒鳴られても、殴られても、
“あいつのせい”って言い訳できなくなる」
ダイキチは鼻で笑いそうになって、飲み込んだ。
笑ったら、こいつの勇気を踏む。
「でも、今は……」
「今は?」
「ここは……怒鳴られない。殴られない。
だから、自由でも、いいかもしれないって思う」
別の女は、違うことを言った。
「自由が欲しい。けど、家がない。
金がない。保証人もない。
自由って、札を外すだけじゃ来ない」
なるほど。
奴隷制度が“形骸化”してるからこそ、
外した瞬間に空白ができる。
空白は、面倒を呼ぶ。
それからダイキチは、貴族の屋敷で雑用をしている男にも会った。
腰が低くて、目だけが妙に乾いている。
「上の連中は、制度を残したい?」
「残したいですな。便利だから」
「便利?」
「“慈悲を与えた”って顔ができる。
雇ったのではなく“飼った”と言えば、責任は情けになる。
情けなら、切る時も勝手がいい」
男は肩をすくめた。
「でも旦那さん。今はもう、実態が追いついてません。
鎖を握ってるふりをして、握れてない。
だから揉める。揉めると血が出る。
血が出ると、面倒が増える」
その言い方が、妙にダイキチの腹に落ちた。
じゃあ、制度を残したい側は誰だ。
ダイキチは役所の下っ端――
港の荷札の認可を出してる役人に当たった。
「制度をなくすと、契約が増えます」
「増えたら困る?」
「困るのは、処理です」
「処理が増えると、遅れます。
遅れたら怒鳴られます。
怒鳴られたら……こっちが面倒です」
役人はため息をついた。
「それに、“誰が面倒を見るか”が曖昧になる」
「面倒を見る?」
「病気とか、事故とか。
働けなくなったら誰が責任取るんです。
奴隷なら管理者が面倒を見る。
自由人なら……放り出される」
それは、それで最悪だ。
制度が悪いというより、制度の穴が悪い。
穴を埋めずに壊せば、落ちるのは弱い方だ。
(……あー、これだ。これが面倒)
ダイキチは港に戻って、潮風を吸った。
夕焼けが海に落ちて、板張りが赤くなる。
遠くで、リクが誰かと笑っている声がする。
ガンドが「旦那」と呼ばれて、照れ隠しに咳払いをしていた。
その隣でサラが、ほんの少しだけ胸を張っている。
――もう家族だ。
札のせいで壊れるのは、惜しい。
(奴隷制度を壊す理由は、正義じゃない)
(神の裁きでもない)
(面倒が増えるから、もうやめる。それだけ)
ただし。
壊すなら、先に“面倒の受け皿”を作る。
契約の雛形。責任の分担。最低限の保証。
形骸化した鎖を外した瞬間に、
首が折れないように。
ダイキチは缶を開けた。
ぷしゅ、という音が、いつもより大きく聞こえた。
(……で、問題は)
ガンド本人だ。
あいつは、鎖を外せと言われた瞬間、笑うのか。
怒るのか。
あるいは――胸倉を掴むのか。
(面倒だな)
(でも、嫌いじゃない面倒だ)
明日、まずはサラにだけ話を通す。
次にガンド。最後に、ミリアとシーナ。
順番さえ間違えなければ、歪みは最小で済む。
……たぶん。
ダイキチは海を見て、軽く手を振った。
向こうでリクが気づいて、手を振り返す。
その無邪気さが、今は少しだけ眩しかった。




