第37話:パリの夜に忍ぶ父(後編)
ガンドが次に転移したのは、パリ市内、古い建物の地下。
表向きはクラブの倉庫。夜になれば音と酒で匂いを消せる。
だが地下は別世界だ。監視カメラ、鉄扉、顔認証、見張りの巡回。
金が通る場所は、必ず守りが厚い。
普通なら突破に時間がかかる。
だがガンドは普通ではない。
シーナから渡された簡易ジャマー。電波だけを一瞬乱す。
カメラの映像が瞬きする、その刹那があればいい。
ガンドは扉を壊さない。壊せば音が出る。音は目を呼ぶ。
壁の隙間、配管、点検口。
古い建物ほど、抜け道は多い。
そして地球の建物は、忍びにとって素直だ。魔法の結界がない。罠がない。だから――手順通りに落ちる。
地下の会議室には、スーツの男が三人。
武装したギャングが六人。
端に“技術屋”が一人。ノートPCに数字を流し、暗号で金を回している。
地図の上には、次の襲撃候補。駅、市場、観光地。人が多くて、死にやすい場所。
ガンドは深く息を吸って吐いた。
次の瞬間、会議室の照明が落ちる。
闇が来た、と理解した瞬間には遅い。
ギャングの一人が立ち上がり、腰の銃に手を伸ばす。
だが手が届く前に、手首が折れる。折れた手首が銃を落とす。落ちた銃が床で跳ねる前に、音が消える。
もう一人は叫ぼうとする。声帯に空気が届かない。喉元の圧で、音が出る前に潰れる。
三人目は机を盾にする。盾は“見えない角度”を作らない。横から落ちる。
スーツの男が椅子ごと後ろに倒れかけた。
胸倉を掴み、ガンドが引き寄せる。
「誰の金だ」
男は歯を食いしばる。
「黙秘する……!」
ガンドはゆっくり首を傾げた。
「黙秘は権利だ。だが、ここは法廷ではない」
ガンドは男の指を一本、静かに折った。
音は小さい。けれど骨は嘘をつかない。
男の顔が歪む。
「次。誰の金だ」
男は吐いた。
ギャングの上位組織。資金洗浄の名義。仲介役。
さらに背後に、国外の“支援者”。名前は濁すが、方向性は明確だった。
ガンドは男を床に落とした。
会議室の資料をスマホで撮影し、ドローンへ投げる。
証拠ではない。“次を潰すための地図”だ。
この夜、ガンドは三つの拠点を消した。
倉庫。地下。隠れ家。
そして最後に、資金洗浄に使われていた口座と仲介役の連絡網も断ち切った。
警察は翌朝、“偶然”いくつかの摘発に成功するだろう。
だが実際は、もう中身が空だ。逃げられない者だけが残されている。
芽は、出る前に摘まれた。
ガンドは夜明け前、元の通りへ戻った。
ダイキチはそこにいた。
何も聞かない顔で、ただ立っている。
ミリアは不安げに、シーナは眉間に皺を寄せている。
「終わったか」
ダイキチの声は、静かだった。
「はい。今夜分は」
ガンドは一礼し、続ける。
「テロの看板だけではなく、裏の運び屋、加工場、資金洗浄の線まで断ちました。次に同規模を仕掛けるには時間が要ります」
ダイキチは頷いた。
それだけでいい、という頷きだ。
ガンドは一瞬だけ迷い、言葉を足した。
「……殿。見せてしまいました」
「うん」
「子に。ああいうものを」
「うん」
ダイキチは短く息を吐く。
怒りは表に出さない。
だが、手の甲に血管が浮いている。
「だから、もう一回言うね」
ダイキチは淡々と告げた。
「俺は、ああいうのが嫌いなんだよね。正義とか復讐じゃない。――面倒が増えるから」
シーナが小さく頷いた。
ミリアは胸の前で手を握りしめる。
ガンドは深く頭を下げた。
「……御意。次は、芽が出る前に摘みます」
その言い方が、冷酷すぎて。
でも、今夜はそれでよかった。
壊されたのは場所じゃない。
何も起きないはずの夜。家族で歩けるはずだった時間。
それを壊した連中は、もういない。
パリの朝は、いつも通りに始まる。
観光客はカフェで笑い、パンは焼け、川は流れる。
世界は何事もなかったように回り続ける。
――それが、ダイキチの望んだ“最適解”だった。




