第31話:世界遺産、静かに見せてほしい
移動手段について、特に深い議論はなかった。
「で、どうやって行く?」
「転移でいいんじゃない?」
「空港、面倒です」
「だよね」
という、いつもの流れである。
戸籍もパスポートも、今回は関係ない。
観光のために存在証明を求められるほど、ダイキチは律儀ではなかった。
行き先を決めたのは、シーナだった。
「潮の満ち引きで孤島になる修道院があります。構造的にも、歴史的にも興味深いです」
「食い物は?」
「周囲に名物があります」
「決まり」
ミリアが即答し、ガンドは静かに頷いた。
「では、忍ぶ必要はありませんな」
「今日は忍ばない日」
ダイキチはそう言って、軽く指を鳴らした。
次の瞬間、潮の匂いが変わる。
風が湿り、遠くで波の音が聞こえた。
フランス、ノルマンディー地方。
観光客で賑わう駐車場の端。
誰にも気づかれない、ごく自然な位置に、四人は立っていた。
「……人、多いですね」
「観光地だし」
「服装、浮いていませんか?」
「大丈夫。
“ちょっと変わった外国人”枠だ」
ダイキチはそう言って、遠くを指差した。
海の向こう。
引き潮に露わになった道の先に、巨大な岩山がそびえている。
石造りの修道院と城壁。
空と海の境目に浮かぶ、異様な存在感。
「……でかいな」
思わず、素直な感想が漏れた。
「積層構造が美しいです。防御と信仰が同居していますね」
シーナはもう分析に入っている。
ミリアはというと、別の方向を見ていた。
「あそこ、パンの匂いがします」
「よし、後で行こう」
石畳を踏みしめ、観光客の流れに混ざる。
写真を撮る人。
地図を広げる家族。
歴史をよく分かっていない顔で感動している若者。
「平和だな」
ダイキチは、わりと本気でそう思った。
ガンドだけが、少し遅れて周囲を見渡す。
警戒ではない。
癖だ。
だが――。
ほんの一瞬。
観光客とは違う、抑えきれない焦りの気配が混じった。
(……雑だ)
ガンドは歩調を変えず、ダイキチの隣に並ぶ。
「殿」
「ん?」
「少々、この場所に似つかわしくない空気が」
ダイキチは立ち止まり、修道院を見上げた。
「……はぁ」
小さく、心底面倒そうな溜め息。
「世界遺産ってさ。
どうしてこう、静かに見せてくれないんだろうな」
潮の音と、観光客の笑い声。
まだ、何も起きていない。
「ま、いいや」
ダイキチは歩き出す。
「写真はちゃんと撮りたいからさ。
壊すなら、俺の観光が終わってからにしてくれ」
その言葉の意味を、
この時点で理解できた者はいなかった。




