第21話:影の沈黙と、すすきのの夜、そして家族の再誕
港湾国リーベラ。
活気に沸く港の検問所には、今日も職や安寧を求める人々が列をなしている。
本来、ガンドが直接面接を行うことは稀だが、この日はドラスコからの大型船入港が重なり、彼は影から目を光らせる目的で現場に立っていた。
だが、その日の選別は、一組の親子の登場によってガンドの平穏を根底から覆した。
ボロボロの布を纏い、痩せ細った女性と、その裾を必死に握りしめる少年。
女性が掠れた声で「何でもいたします……」と懇願した瞬間、ガンドの全身を、氷水を浴びせられたような衝撃が貫いた。
(……まさか。そんなはずが……)
記憶の奥底、あの日、冷酷に突き放したはずの、守りたかった家族。
女性が顔を上げようとした刹那、ガンドは反射的に身を翻し、担当していた部下の背後に隠れるようにしてその場を離脱した。
忍びとして、気配を断つのは容易い。
だが、胸の内で暴れ狂う心音までは殺せなかった。
結局、ガンドは彼女たちが「身元不明の難民」として保護アパートへ送られるのを、影から盗み見るように確認することしかできなかった。
その夜。ガンドの様子がおかしいことに、主であるダイキチが気づかないはずもなかった。
「おい、ガンド。今日のお前、なんか動作がカクカクしてるぞ? 関節に砂でも詰まったか?」
ログハウスのテラスで、ダイキチがジト目でガンドを見上げる。 ガンドは膝をつき、必死に平静を装った。
「いえ。……少々、港の防風対策を考えすぎていたようでございます」
「嘘つけ。お前がそんなつまんねーことでフリーズするわけねーだろ。……よし、決めた。今日はお前を『接待』してやる。溜まってるもん吐き出せ」
ダイキチはそう言うと、不敵な笑みを浮かべて転移魔法を発動させた。
周囲の景色がぐにゃりと歪み、一瞬の浮遊感の後、ガンドの鼻を突いたのは、異世界の潮風ではなく、冷たく湿った夜の空気と、排気ガス、そしてネオン看板の独特な匂いだった。
ガンドが目を開けると、そこは北の大歓楽街――札幌、すすきのだった。
本来、ガンドはこの「地球遠征」が大のお気に入りだ。
ダイキチに連れられてすすきのの風俗店へ行く度に、
「流石は殿の故郷、これぞ極楽の房術……!」
と心底感服し、忍びの任務以上に全力を注いで遊び倒すのが常だった。
だが、今日は違う、ダイキチが行きつけの最高級ソープランド。
最高技術を持つキャストの美女たちが二人を囲み、妖艶なサービスを尽くしても、ガンドは彫像のように固まったまま、差し出された酒すら喉を通らない様子で虚空を見つめている。
「…………」
「……おい。マジかよ」
隣の洗い場でその様子を見ていたダイキチは、キャストたちを下がらせ、呆れたようにタオルを放り出した。
「あの絶倫で遊び慣れたガンドが、すすきのの最高級店でこのノリの悪さ……。これは万死に値するどころか、世界の終わりレベルの異常事態だな。……ガンド。これでもまだ『防風対策』のせいだって言い張るつもりか?」
ダイキチは湯船の縁に腰掛け、真剣な目でガンドを見据えた。
「正直に言え。さっき港で見かけた親子……あれ、お前の知り合いか? いや、知り合いどころじゃねーな。お前、あんな顔、今まで一回も見せたことねーぞ」
浴室に響く水音だけが、重苦しい沈黙を際立たせる。
ガンドは膝をついたまま、絞り出すような声でポツリと、しかし重く、言葉を漏らした。
「……殿。……あの日、私は二人を捨てたのです。……殺したも同然の裏切りをして、一人で逃げたのです」
ガンドの語る言葉は、後悔という名の毒に満ちていた。
自分が罪人として捕縛される際、家族に累が及ばないよう冷酷に「足手まといだ」と罵って離縁したこと。
いつか幸せに暮らしてほしいと願っていたはずなのに、再会した彼女たちが、自分たちが守るべきリーベラへ「難民」として流れ着いた皮肉。
そして、今さら父親として、夫として名乗り出る資格など、微塵も持ち合わせていないという絶望。
「……今の私は、殿の影。過去などあってはならぬ、道具にございます。あの方々には、私がここにいることさえ、知らせてはならないのです」
ガンドはタイルの床に頭を擦りつけるようにして、主君に懺悔した。
だが、ダイキチの反応は、ガンドが予想した「憐憫」でも「納得」でもなかった。
「……バッカじゃねーの、お前」
ダイキチの呆れたような声に、ガンドは顔を上げる。
「道具だ、資格がないだ、そんなの俺がいつ決めた? 俺の街で、俺の右腕が、そんな湿気たツラして働いてんの、見てて一番面白くねーんだよ。捨てたっていうなら、拾い直せばいいだろ。あそこがどんな場所か忘れたか? 俺が『何でもあり』で作った、忍者と日本のテーマパークだぞ。……お前の過去ごと、俺が『演出』してやるよ」
翌日、リーベラに戻ったダイキチはすぐに行動を開始した。
彼はガンドを「忍者屋敷のアトラクション最終点検」という名目で呼び出し、同時に保護アパートにいた親子――妻のサラと息子のリクを、別の「仕事の相談」という口実で呼び寄せた。
場所は、忍者屋敷の最奥にある「からくり隠し部屋」。
ダイキチの合図とともに、ガンドが部屋に入ると、背後の扉が魔法でロックされた。
「殿、これは一体……」
ガンドが不審に思い声を上げた瞬間、反対側の隠し扉から、戸惑った様子のサラとリクが入ってきた。
「あ……」
時が止まり、サラが声を漏らす。
ガンドは反射的に仮面を被ろうとしたが、指先が震えて動かない。
天井の隅にある魔導拡声器から、ダイキチのニヤついた声が響く。
「おーい、サラさん。そこに立ってる男、昨日の夜、すすきので泣きながら懺悔してたぜ? 『本当は愛してたけど、守るために嘘をついて突き放した』ってな。リク君も聞いとけ。お前の親父は、お前たちを守るために自分を悪役にした、とんだ不器用なバカなんだ。な、ガンド。本人を目の前にして、もう一回言ってみろよ。言わねーなら、お前の秘密の『すすきの通い』、全部リーベラ中にバラすぞ?」
「殿! 何を!」
ガンドが叫ぶが、ダイキチは容赦ない。
追い詰められたガンドは、静寂の中でサラを見つめる。
サラの目からは、既に大粒の涙が溢れていた。
彼女は、彼が自分たちを捨てた理由が「愛」であったことを、ダイキチの強引な暴露によってようやく確信したのだ。
「……ガンドさん。あなたは、いつもそう。一人で全部抱えて……」 「サラ……私は……」
ガンドは膝をつき、両手で顔を覆う。
忍びとしての矜持も、冷徹な仮面も、今の彼の前には無力だ。
サラが駆け寄り、ガンドの震える肩を抱きしめる。
リクもまた、父の大きな背中にしがみつく。
十年近く閉ざされていた時間が、ダイキチの「悪ふざけ」によって、一瞬で溶けていった。
しばらくして、部屋の扉がゆっくりと開いた。
そこには、ビールの缶を片手に、満足げに笑うダイキチが立っていた。
「よし、大団円だな。……ガンド。お前、今日から非番だ。サラさんとリク君を連れて、テーマパーク全部回ってこい」
ガンドはサラの手を握ったまま、ダイキチに向かって深い一礼をした。
ダイキチが創り出した「遊び場」は、今、一人の忍びを、真の意味で救い上げたのだった。
「サラ、リク。殿の理想と私の熱意が詰まったこのテーマパークを案内しよう」
ガンドは晴れやかな顔で妻子を促した。
「うん! お父さん!」
リクが元気よく応える。
「はい、楽しみです。……ところでガンドさん?」
サラがふと、首を傾げて微笑んだ。
「ん、どうしたんだい?」
「その……先ほどダイキチ様がおっしゃっていた、『すすきの』とやらも、こちらにあるのかしら?」
「…………」
ガンドは一瞬で血の気が引くのを感じた。
先ほどまでの感動的な再会ムードが、冷や汗に変わる。
彼は無言のまま、印を結んだ。
「あ、逃げた!」
リクの声が響く中、ガンドは得意の煙玉と縮地を使い、音もなくその場から消失した。
ダイキチはそれを見送りながら、ゲラゲラと笑ってビールを煽るのだった。




