第四章
とある午後、いつもと同じエルストン子爵邸の庭の、いつもと同じライラックの木の茂る場所で、マーゴとリラはお茶を飲んでいた。
日光の下に堂々と出て愛犬とお茶会をする時点で、マーゴは英国淑女の基準から大きく外れている。礼儀作法の授業を受けているのかといえば、今まさにさぼっている最中だ。
そんな彼女の事を母や姉が怒るのは仕方がないことで、それはマーゴも重々承知しているのだが、“礼儀作法”に対する嫌悪感と母や姉に対する反発心から、ついついあえて礼儀を無視したくなるのである。
「だいたい、意味がわからないのよね~…『そういうものだから』って言われたらそれまでなのはわかっているんだけど…なんであんなに面倒なのかしら」
ねえ?と隣に座る愛犬に小首を傾げながら問いかけて、葡萄を一房とる。行儀悪くぷつりと音を立てながら中身だけを吸い出して、木のふもとに掘られた小さな穴の中に皮を入れた。
「なんでその穴の中に皮を入れるんだい?」
いきなり影が差して声が降り注ぐ。マーゴがきょとんと見上げると、そこには見事なブロンドとアイスブルーの双眸をもった美貌の主がいた。
「デイヴィッド」
「やあ、こんにちは。君たちはいつもここにいるんだな」
噂では『氷の貴公子』と呼ばれているらしい彼、ローランド公爵ことデイヴィッド・エリック・フォントンは、その呼び名に似つかわしくない温かな微笑みでマーゴとリラに笑いかける。
そしてマーゴに差し出された葡萄の房を受け取ると、「失礼」と声をかけてからリラを挟むようにして座りこむ。
最近よくお茶会に参加するようになった、この新たな客人のために、余分に用意していたカップを取り出してマーゴはお茶を注ぐ。
「ようこそヴィッド。はい、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
カップを手渡しながら、にっこりと笑ってライラックの木を見やった。
「小さいころからこの場所は私たちのお気に入りなの。ここは涼しいし過ごしやすいし、ちょっと庭園でも隠れた場所にあるから家の者にも見つかりにくいし」
エルストン子爵邸の庭はなかなか広大なので、こういう小さな死角は多々ある。小さい頃こそ病弱で庭になど出ることもできなかったマーゴだが、現在元気に走りまわっている今ならそのほとんどを把握しているといっていい。ただ、その中でも特にここがお気に入りなのは、何よりこの傍らの木に理由があった。
「それにね、これはリラの木でしょ」
「…ああ、なるほど」
ライラックは、フランス名では「リラ」という。マーゴは知らないが、彼女の大事な親友は、リラの花が見事な庭をもつ家から引き取られてきたらしく、マーゴの父であるエルストン子爵がその花の名を付けたのだという。ちなみに、このライラックもリラが来た年に子爵が命じて植えさせたものだった。
「だから特別なの」
「思い入れがあって当然…か」
きちんと自分の気持ちをわかってくれた事を感じて、マーゴはにこりと年上の友人に微笑みかける。
まったくデイヴィッドという人間は、リラに対して誠意をもって接してくれたり、マーゴの事を馬鹿にしなかったりとできた人間である。
「じゃあ、もちろん君は、花の中では一番ライラックが好きなんだね」
「もちろんよ!」
まるで眩しいものをみるかのように目を眇めて尋ねるデイヴィッドに、マーゴは満面の笑みで肯定する。
「ならばこれはお気に召してもらえるかな」
デイヴィッドは懐を探ると、掌に収まるほどの小さな包みを2つ取り出す。興味深げにマーゴが見下ろす前で、するするとその包みを開けると、中からはリラの花を模した髪飾りとチャームが出てきた。
「…可愛い」
思わずポロリと口に出してから、マーゴは慌てて口を紡ぐ。すると、デイヴィッドはますます目を細めて、先にチャームの方を手にしてかざす。
「可愛いだろう?こっちは、リラの首輪に付けたらいいと思うんだ。エメラルドともよく似あうように銀で作ってもらったし」
そのまま大人しく座るリラの首輪にライラックのチャームを付ける。想像通り、とてもよく似合っていて、マーゴは少女らしく「うわぁ」と目を輝かせる。
「で、こちらの髪飾りをマーゴに。リラとお揃いで」
「え…でも……」
友人であるにせよ、異性から身につけるものをもらうのはいかがなものか…と逡巡したマーゴに、デイヴィッドは問答無用で髪飾りをつけた。
「何を今さら。礼儀作法の授業をさぼる様なお嬢さんが気にすることかい?それに、私と君は遠縁とはいえ親戚なのだから、黙って受け取っておきなさい」
ほら、可愛い。と微笑まれ、マーゴはしばらく戸惑う。けれど、やはりそこは女の子で、こんな素敵な髪飾りが自分のものになる事に嬉しさを感じて、はにかみながらコクリと頷いた。
「ありがとう、ヴィッド」
お礼を言いながら頬にキスをする。すると、主人の真似をしてリラも大きな体をデイヴィッドに預けながら顔を舐めた。
くすぐったいと笑いながら、デイヴィッドもまた実に楽しそうだ。
「花の時期には本物と組み合わせても映えると思うよ。そういう風に注文したからね」
「え!?これってもしかして特注!?」
再び慌てだすマーゴを、くすくす笑いながらデイヴィッドは腕に閉じ込める。
「一度受け取ったものを返すのは無しだよ。返されても行く先がないしね」
「いや、それはそうかもしれないけど…」
髪飾りはともかく、首輪用のチャームはあまり行く先があるとはマーゴにも思えない。
じゃれ合う二人に、自分も混ぜろとばかりにリラが混ざってきて、団子になりながら芝生の上に寝転がる。
笑い声が広がって、大事な人たちの温もりが心を震わせる。
ああ、なんて幸せなんだろう。
そう思いながら、マーゴはくすくすと笑い続け、もう一度デイヴィッドにお礼を言うとその頬にキスを落とした。