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序章

中世イギリスをモデルにした、とことんほのぼのな(でも一応)恋愛小説です。

初投稿で不慣れなところも多いですが、お付き合いいただけたら幸いです。

 白い花が満開に咲き誇る木の下で、彼女はふと視線を上げた。

 目に映るは人間の男女。一見恋人同士かと思ったが、女が一方的に男に寄り添っている姿に違うかもしれないと思い直す。

 おそらく2人はこちらの存在に気が付いていないのだろう。あえて教える必要もないし、彼女も邪魔をする気はなかったので、くるりと踵を返したが、女の激しい声が耳を貫いて、驚きの余り足を止める。

「ふざけないでよっ!」

 振り返れば、男が片耳を押えてしかめ面をしていた。

 至近距離というのもあるだろうが、人間である彼がそれだけうるさいと感じたならば、彼女がうるさいと思うのは当然だ。犬である彼女の聴力は人間の数十倍はあるのだから。

 男が、女とは対照的に静かに告げる。

「悪いが、申し出を覆す事はしないよ、レディ・カーライル。私は君と結婚する気はない。婚約は解消する」

「式まであと一週間もないのよ!?」

「君は私を何も知らないと思っているだろうが、私の目も耳も節穴ではないのだよ。東屋での密会は楽しかったかい?」

「なっ!」

「しかも、お腹には子どもがいるとか。そのまま黙って結婚すれば私の子とでも誤魔化せると思ったのかな?私と君との間にはそんな事実はないというのに」

 その言葉に女は確かに逆上したようだ。数秒後、何かを叩く音が庭に響き、聞き取れないほど早口に女が何かを喚きたてた。

 それに対し男はどこまでも冷静に返事をする。

「悪いが、君が社交界にいくら毒を流そうと醜聞を曝そうと、私は君の援護をするつもりはない」

「人でなし!」

「なんとでも言うがいい。その代わり、子どもの父親に責任を持つよう進言はさせてもらうよ」

 木陰に潜んだ彼女にはよく見えないが、聞こえる声音はとても冷やかで、思わず女に同情しそうになる。しかし、その女が先日彼女を汚らわしいものを見る目つきで下げずんだ相手だと気がついたので自業自得だと心の内で呟く。

 やがて女が苛立ちを隠さない足音で遠ざかり、男だけになる。

 すると、男が思いもよらない行動に出た。彼はなんと、彼女のいる木陰を見て軽く手招きをしたのだ。

「おいで」

 先ほどまでの冷やかな視線はどこへ行ったのか、実に柔らかな笑顔で彼は彼女を迎える。

 戸惑いながらも静々と近寄ると、大きな手が彼女の頭を撫でる。その手つきにうっとりとしながら身を寄せると、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「いい子だ。よく躾けられてるんだな」

 それは一般的には褒め言葉なのだろうか。ただ、彼女の主人が聞いたら顔を顰めていただろう事は想像ができる。愛するべき彼女の主人は、彼女を教育はしても躾ける事はしていないと常々周りに言っているのだ。

 一介のグレート・ピレニーズである彼女には人間の言葉のニュアンスなどわからない。それでも、目の前の彼が好意からその言葉を告げた事はわかったので、彼女は抵抗する事もなく撫でられるままに任せる。

 彼はしばらく頭を撫でた後、楽しそうに彼女を抱きよせる。彼女から見ても煌びやかな衣装を汚していいものかと一瞬逡巡したが、彼が望むままに抱き寄せられた。彼の肩に頭を乗せると、彼が優しく背中を擦ってくれたので心地よさに目を閉じた。

 ふと、その手が止まり、彼が小さくため息を吐くのが聞こえる。何事かと首を向けようとしたが、しっかりと抱きかかえられているためそれは叶わない。

「…そのまま結婚した方が、紳士としては正しいのだろうな」

 ポツリと呟いた言葉は、先ほどの女とのやり取りの続きだろう。苦しげな声に、彼女はピタリと動きを止める。

「でも、他の男の子どもを宿した女を妻にする事はしたくなかったんだ」

 それは、冷徹に女を切り捨てた男の声と同じだと思えないほど弱々しかった。

 彼の告解を要約すると、婚約した女性は他の男と密通し子どもを成したらしい。てっきり彼が父親だと思った侍女の祝いの言葉で、彼はその事実を知った。自分にはまったく覚えのない子どもを妊娠した婚約者に、彼は決別の言葉を言い渡した。

 結婚予告も出し、正式な式まで残り5日。名誉のためにはそのまま結婚するべきだったのかもしれない。自分の名誉のため、そして彼女の名誉のために。彼女は列記とした伯爵家の娘であり、名誉は何にも増して重んじられる。たとえ彼女が淑女でなかったとしても、その事は秘密裏にされているのだから。

 浮気相手はプレイボーイとして名高い子爵家の三男坊で、公爵である彼に比べ地位も金もない。だから婚約者はそのまま結婚しようとしたのだろう。そんな屈辱を与えられた相手とこれから一生を共にするかと思うと眩暈がした。しかも、生まれてきた子どもが男の子だった場合、その子が彼の嫡子として彼の公爵という称号を受け継ぐのだ。それだけは絶対に避けなければならない。

 彼の話を聞きながら、彼女は人間で言うと首を傾げるような動作をする。

 まったくもって、人間というのはなんて面倒臭い生き物なのだろう。「名誉」だとか「爵位」だとか、そんなものが生きていく上でなんの役に立つのか彼女には理解できない。お腹の足しにもならない事でこれほどに悩めるのが人間だというのは知っているが、毎度の事ながらそう思う。

それでも彼女が身じろぎせず彼の話を聞いているのは、『人間でない貴女だから、打ち明けられる話があるのよ』と笑う主人の言葉があるからだ。

人間はとてもややこしい生き物だから、彼らよりは単純な生き方をしているこちらが手を貸してあげた方がいい時があると、彼女は経験からよく知っていた。

黙って話を聞いて抱き締めさせてあげれば、少しは気持ちが凪ぐだろう。彼女の主人はいつもそうしている。そしてそれは彼にも有効であったらしい。しばらくそうしていた後、彼はまだ浮かないがまだマシな顔でふわりと微笑んで彼女から身体を離した。

「お前は本当にいい子だな。まるでこちらの気持ちがわかっているみたいだ。このまま連れて帰りたいよ」

 それはご免こうむる。

 彼の腕の中は気持ち良かったが、彼女にはそれ以上に心地よい主人の存在があるのだ。

「…冗談だよ」

 立ちあがって誇りを払うと、最後にもう一回、名残惜しげに頭を撫でると彼は庭から立ち去って行った。



「あらリラ。お帰りなさい」

 主人の部屋に行くと、彼女の大好きな主人が満面の笑顔で迎えてくれた。

 彼女のベッドに足をかけて、頬を一舐めすると、くすぐったそうな笑い声をたてながら主人は彼女を抱きしめる。

 それから「あら」と呟きながら彼女の身体を優しく撫でて問いかける。

「誰かに甘えてきたの?薄情な子。それとも、甘えさせてあげたのかしら?」

 残り香を付けて、一体誰とデートしてきたの?と微笑む姿は女神のようで、彼女は主人に身体をすりよせる。

「ふふ、いい匂い。お前の恋人はとても素敵な人みたいね」

 主人はそう言うが、彼女にとっては主人以上にいい匂いのする人はいないし、いつだって主人が一番である。

 愛すべき主人のような人間がいる。主人のような人間ばかりではないけれど、その事実があるから彼女は人間という別の種族の生き物を心の底から愛している。だから手だって差し伸べたくなる。

今日の彼もいつか、彼女のように本当に愛すべき人間に出会えるといい。彼女をやさしく受け入れその背を撫でてくれた彼は、幸せになるにふさわしい人物なのだから。

そう願いながら、彼女は主人の膝にそっと寄り添った。


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