第3話 天人
誰も、何も話さなかった。シアはもちろん、盗賊たちですら突然の出来事に唖然としている。一方、トーカと名乗った少女――いや、少年は不思議そうに首をかしげた。
〔女の子かと思ったけど違うよね? この匂い……〕
首輪のせいで力を封じられているシアだったが、五感のほうはそのままだ。肉体や魔力を抑制するだけで、ドラゴン特有の嗅覚や目の鋭さは抑えられないらしい。
〔人間……じゃないのかな? 見た目が子供なのもそれが理由? 十代後半みたいだけど、どう見ても十歳か……ううん、そんなことよりこの子――〕
ぞくりとシアは身震いした。
〔強い……!〕
これまでの人生で、一度も嗅いだことのない匂いだ。尋常ならざる強者の気配……ドラゴンの隠れ里を襲撃してきた、あの帝国軍の人間たちより明らかに強い。
「なんだ、嬢ちゃん……? どっから来た?」
戸惑った様子でお頭が言った。
「ったく、危ねーぜ? オメェぐらいの年のガキがこんな場所に一人なんざ……親はどうした? せっかくのかわいい娘を――」
「僕は男の子だよー。まぁスクナビコナって男女差ほぼないから、ぱっと見だと勘違いされることも多いんだけどね。男は成人しても声変わりしないしヒゲも生えない。女もみんなツルペタで絶壁の貧乳なんだよなー……」
トーカは刀を帯に差しながら、ぼやくように言った。
「スクナ……?」
「あれ? 知らない? 簡単に言っちゃえば小人族だよ。平均身長が四尺五寸――地上の単位で、えー……だいたい一三六センチくらいだからね。大人になっても子供みたいな見てくれの種族。ちなみに僕は六寸……一三九センチだから、これでも高いほうではあるんだ、一応ね」
トーカは苦笑いする。
「で――あらためて訊くけど、これってどういう状況?」
トーカは盗賊団を一瞥した。
「見た感じ、野盗集団に襲われてる女の子って構図なんだけど」
合ってる? と真剣な表情で訊く。
「これ、間違えてると大変なんだよね。『うっかり犯罪者を助けた!』とかだと、もう揉めに揉める。これに関しては本当にシャレにならないからね。ご先祖さまや奥さまからも口を酸っぱくして言われてるし……まぁ心情的には女の子につきたいんだけど。なんせ夢はハーレム! だからね! やっぱりかわいい女の子を助けるほうがテンション上がるっていうか――」
熱く語り続ける少年に対し、お頭のほうは不気味なものを見る目でトーカを見ていた。
「おま、お前……まさか天人か……?」
お頭は顔を強張らせ、震える手で腰の剣に手をやっていた。無意識なのか、乗っている馬が後じさっている。ほかの盗賊たちも、じりじりと後ずさりしてトーカから距離を取り始めた。
「天から降ってきやがったとでも……?」
「ん? そうだよー。種族的には人間じゃなくてスクナビコナだけどね。天界に住んでいるという意味では立派な天人かな」
トーカは友好を示すように軽く手を上げてみせた。
「まぁ着地に失敗して、盛大に自然破壊してるんだけど――大丈夫だよね、これ?」
トーカは不安そうに背後の砕けた岩を見やる。
「開き直るわけじゃないけどさ、僕もいきなりのことで準備不足というか、なんにもできてない状態でいきなり落とされちゃったもんだから、着地のことをなにも――」
「フンッ!」
と気合一閃、盗賊のお頭の不意打ちだ。横薙ぎの刃は、しかしトーカには当たらない。頭部を狙った一撃をしゃがんでかわす。頭上を鋭い一撃が通過していく。
「散開! 退け――!」
とお頭が叫んだ瞬間、その体がぐらりと揺れる。剣を取り落とし、脱力した様子で馬に寄り掛かるように倒れる。そのままずり落ちて鐙から足が外れ、地面に転がった。
「問答無用で判断が早い」
いつの間にか、しゃがんでいたはずのトーカがお頭の馬上へ乗っていた。遠くを見るように、彼は手を目の上にかざしている。
盗賊たちは、お頭の指示どおり脇目もふらずに散開して逃げていた。やられたリーダーには一瞥もくれない。
フッ、と馬上のトーカが消えた。大急ぎでシアが目で追うと、黒い影が風のように舞っている。木々のあいだを縦横無尽に駆けめぐり、影がふれると同時に盗賊は倒れ伏していく。仲間たちがやられても、盗賊たちは一向に頓着しない。すべてを無視して一心不乱に逃げている。
だが、黒い影は逃がさなかった。木々にさえぎられてシアの視界からは消えてしまったが、それでも音は聞こえてきた。悲鳴と誰かが転ぶような音、馬のいななき……そして荒々しい足音が徐々に少なくなっていき、やがて辺りはしんと静まりかえった。風で揺れる梢の音色だけが響いている。
それから、馬の蹄の音が聞こえた。トーカが二頭の馬を引きながら、シアのところまで戻ってきたのだ。気を失った盗賊たちを魔法で宙に浮かし、連れてきている。二十人以上いた盗賊たちは、すべて刈り取られたようだ。
シアは夢でも見ているようだった。つい先ほどまでの窮地が嘘のように、彼女は危機から脱していた。が、それから起きたことはもっと夢のようだった。トーカはシアのそばまで近づくと、不意に刀を一閃させたのだ。
シアは微動だにしなかった。反応できなかったわけではない。竜の動体視力は、はっきりとトーカの動きを捉えている。弱体化しているとはいえ、身をすくめるくらいはできただろう。だが、彼女はそれすらしなかった。
その所作が、あまりにも美しかったがゆえに。
シアは武芸に詳しいわけではない。だが、それでもトーカの腕前が尋常でないことはすぐ見て取れた。抜刀から納刀までの一連の動きはとんでもなく流麗で、惚れ惚れとするほどだ。
だから、斬られた――という事実よりも、あざやかな手並みと納められる直前の、木漏れ日を受けてか輝く銀色の刀身に見入ってしまった。
呆けたままのシアがハッとしたのは、地面に何かが落ちた音が聞こえたからだ。
「え……?」
とシアは自分の首を手を当てる。首輪がなくなっていた。慌てて下に目を向ければ、一刀両断されたあの忌々しい首輪の残骸が転がっていた。
「あー、ごめん。何も訊かずに斬っちゃったけど、壊しちゃまずかった?」
シアの反応が予想外だったらしい。トーカは首輪を拾い上げ、「直せるかな、これ……」と複雑そうな顔をしていた。
「ん……あははは!」
その反応があまりにもおかしくて、シアは思わず笑ってしまった。森に、少女の可憐な笑い声が響き渡った。