第2話 追われるドラゴン娘
切迫した呼吸音と、荒々しい足音が響く。
名峰ソルモンスのふもと、針葉樹のあいだを背の高い少女が駆けていた。草を乱暴に踏みしめ、うめき声を漏らし、はめられた首輪を力いっぱい引っ張って外そうと――あるいは壊そうとする。
〔取れない……!〕
少女――名前はシアという――は舌打ちし、怒りと悔しさをにじませた。
〔これさえ外せれば……!〕
荒い息遣いのまま、彼女は後方を見やった。ゆったりとした馬蹄の響きが辺りをとどろかしている。土埃が上がって、徐々に距離が縮まっているのがわかった。
〔体が重い……!〕
シアは歯ぎしりして、追ってくる盗賊団へ目を向けた。逃げ切れないだろう。遠からず捕まるのは間違いない。
それでも、今の彼女に選択肢はなかった。逃げるため、シアは重くなる足取りを忌々しく思いながら、必死になって駆け続ける。
だが、土地鑑のない彼女はあっさりと崖下まで追いつめられた。木々で視界が悪かったのもあって、目の前にある切り立った壁に気づかなかったのだ。
傾斜はほぼ直角といっていい角度だ。岩肌が丸見えになっていて、ところどころに低木が生えている。今のシアではどうやっても登れない。
「そんな……!」
ハッと後ろを振り返ったときには、もう取り囲まれていた。徒歩の盗賊が二十人ばかり。それに馬に乗った幹部クラスと思しき男が三人……下卑た表情で、蔑むような目をシアに向けている。
「ローブを剥げ」
頭目らしき男が言った。盗賊がシアに近づいて手を伸ばす。
「さわらないで!」
シアは払いのけようとするが、逆に手首をつかまれてしまった。そうして有無を言わさずローブが剥ぎ取られる。布地で隠されていた顔があらわになった。
たなびくような長い銀髪に尖った耳、側頭部からは鮮やかな藍色の角が二本、生えている。瞳は不安げに揺れ、美しい顔は恐怖と緊張でこわばっていた。
胸元の大きく開いた青いドレスを着ており、豊かな体つきがはっきりとわかる。胸は大きくふくらみ、腰はくびれ、スカートのスリットから覗く太ももは肉感的だった。
「おおっ! こりゃあ間違いねぇな!」
頭目と思しき男は豪快に笑った。
「竜族の巫女か……話にゃ聞いてたが、べっぴんじゃねぇかよオイ。たまんねぇなぁ? 味見できねぇのがホント残念だぜ」
「あまり妙なことを考えないでくださいよ、お頭」
騎乗した男が苦笑いを浮かべる。
「さすがに軍に目ェつけられるのは勘弁ですぜ? そりゃあ『生け捕り』ってだけで状態についての指定はありませんでしたけどォ……」
「わぁってるよ」
お頭と呼ばれた男は手を振った。
「あとで文句つけられたらたまったもんじゃねぇしな……。つーかどんだけ美人でもこいつらドラゴンだしなぁ。ってわけで、竜族の巫女さまにはおとなしく捕まってもらいてェんだがな?」
問いかけるように、盗賊団のお頭は不敵な笑みをシアに向けた。
「悪いことは言わねェ、素直に捕まったほうが身のためだぜ? 痛い思いはしたくねぇだろォ? 俺らだってお貴族さまに睨まれたくねぇんだ。ここはお互いのためによォ……」
「ち、近寄らないで! ドラゴンの力を知って――」
シアの声は震えていた。盗賊たちの嘲りが響き渡る。
「この期に及んでそりゃあねぇだろォ?」
お頭は馬首をめぐらし、騎乗したままシアに顔を近づけた。
「あんたが力を封じられてるのはわかってんだ。だいたい竜の力が使えんならこんなことになってねぇだろうがよ? え? なんで俺らに追いつめられてんだ? 見ろよ」
お頭は手で周りにいる盗賊たちを示した。
「傭兵くずれの野盗集団だぜ!? 強大な力を誇るドラゴン様なんて相手にしたらよォ、一瞬で全滅だぜェ!? つーか竜に変身して逃げられるだろ? なんでしねェんだ? お空の散歩と洒落込もうぜェ? なァ? あんたがやんねェ理由はよォ!」
お頭は両腕を広げた。
「できねェから!」
男どもの嘲笑がこだました。
「いやァ最強のドラゴン様も形無しですなァ! こんな野盗風情に大ピンチだァ!」
「ぐっ……!」
シアは目に涙を浮かべ、両手で力いっぱい首輪を引きちぎろうとする。だが首輪は頑丈で、びくともしない――いや、それ以前に力が入らなかった。
「へへ、おっかねェなァ……。その首輪、超強力な魔道具ってヤツでしたかい? ドラゴンの力を封じるッつー代物だ。そいつがなきゃあ、今頃俺らは全員ドラゴンのエサってわけだ」
「人間なんて食べない!」
「おおっと、そいつァ失敬! 誇り高きドラゴン様は高級お肉をご所望だ! 盗賊風情の下賤な安肉なんぞお気に召さねぇッてよ!」
粗野な笑い声が三たび響く。シアはびくりと怯えて体を震わせた。
「さて、そいじゃ……竜族の巫女さまをご案内いたすとするかァ!」
お頭がシアに手を伸ばす。ひっ……! という悲鳴を上げてシアは後ずさる。だが背中を岩肌にぶつけただけで、どこにも逃れることなどできなかった。シアは恐怖で目を閉じた――瞬間、背後で轟音がして、布越しに感じていた岩の感触が一瞬で消えた。
シアはビクッと体を硬直させて首をすくませる。それから、恐る恐る背後を振り返った。土埃を舞い上げながら、場違いな、のんびりとした声音が響く。可憐な少女を思わせる、かわいらしい声だった。
「あー、ヤバい……着地失敗しちゃった。これ、重要文化財とかじゃないよね? なんか歴史とか、いわくつきの場所だったりしない? 大丈夫?」
舞い上がる粉塵を手で払いのけながら、十歳くらいの子供が歩いてきた。あったはずの岩壁が粉々に砕けて、あちこちに散らばっている。
長い黒髪をポニーテールに結った子供だった。つぶらな瞳に可愛らしい顔立ちで、体つきは華奢だ。白い長着に山吹色の袴を履いて、雪駄をつっかけている。帝国ではまず見かけない和装だ。
〔岩から出てきた……? いえ、でも今、着地って……〕
シアがそう疑問に思ったところで、「おっと」と子供が左手を上げる。なんだろう? と上を見上げた途端、上空から一本の刀が降ってきた。
「んー、安モンだけどせっかくの餞別……餞別? 餞別かなこれ……?」
キャッチした刀に目を向け、子供はいぶかしそうに首をひねる。
「まぁいいや。せっかくだからもらっていくとして……」
子供はシアたちに目を向けると、
「どうも地上人さん! トーカヘイラー・バークデーンです! みんなからはトーカって呼ばれてました! はじめまして!」
にこやかに笑うのだった。