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第10話 ホルツヴァート伯爵の受難

 ディートヘルム・ホルツヴァート伯爵の平穏が(やぶ)られたのは、その日の朝早くのことだった。


 名峰(めいほう)ソルモンス……観光都市ルーエの目玉であり、この名山を一望できる丘のうえにできた町だからこそ、ホルツヴァート伯爵家は裕福だった。


 祖先から受け継いだ領地は小さく、本来ならば典型的な「歴史が深いだけの――」と揶揄されがちな家になるはずであった。しかし、町の宿から見晴らせる絶景が素晴らしく、多くの観光客を引き寄せた。


 特に見事なのは、茜空(あかねぞら)の夕日がソルモンスの山に沈んでいく光景だ。歴代の皇帝たちはむろん、あの統一帝すらしばしば訪れた。


 ところが、そのソルモンスで異変が起きた。突如として地響きが鳴り渡り、土埃(つちぼこり)が舞い上がった。すわ何事か! と町は騒然となり、すぐさま調査隊を派遣すべきだと議論が巻き起こった。


 とはいえ、ソルモンスと接するのは何もホルツヴァート伯爵家だけではない。ソルモンスの北側、西側、南側にもそれぞれ領主はおり、むしろ登山をするなら東以外が向いているとされるほどだ。


 実際、南はやや上級者向けと言われるが、北や西側には登山者のための村まで建てられている。一方で、ホルツヴァート家のある東は登山に向かなかった。ソルモンスと距離があるうえ、あいだには深い森があって山までの道のりを困難にしていた。


 調査をするなら、まずはほかの三領主と連携して動いたほうが……などと喧々囂々(けんけんごうごう)の議論となってさっぱり収集がつかず――というところへ、突如二十人を超える盗賊団が捕縛されたとの情報が入ってきた。


 それも全員が――馬に乗せられたリーダー格の三人をのぞいて――宙に浮かされたままの町に入ってきたのだから、目立つことこの上ない。


 おまけに引き渡してきたのは角の生えた長身の女……ではなく、明らかに場違いに思える小さな娘だった。最初は角の生えた美女の従者かなにかかと思ったが、会話を聞くにもっと気安い関係に思える。


 そもそも盗賊たちを浮かせていたのは角の女ではなく、袴姿(はかますがた)の娘のほうだ。


 ディートヘルムは貴族としてそれなりに武芸をたしなんでいる。足運び、重心、体捌(たいさば)き……なにげない日常の動作から、ある程度力量を察することができた。


〔どう見ても……達人じゃないか?〕


 少なくともまったくの素人ではない。なんらかの武術を、それも相当鍛えた使い手だとわかる。盗賊団を壊滅させたのがこの袴姿なのは……まぁ、よしとしよう。


 ここは観光都市だ。皇帝をはじめ、ときには意外な大物も姿を見せる。この娘が何者かは知らないが、大陸は広い。無名の達人もいるだろう。


 問題は……と、ディートヘルムは頭を抱える。


 彼は騒然とする現場をなんとか(しず)めるために大急ぎで駆けつけたのだが――そこで盗賊団――いや、盗賊団を名乗る一団を見て、心底(きも)を冷やすことになった。


〔トラウゴット・シュタール男爵……!〕


 内心の(あせ)りを表に出さないよう必死にとりつくろいながら、ディートヘルムは無名の達人に事情を聞いた。そして念押しされるように「ちゃんと取り調べてね?」といわれ、うなずくほかなかった。意外なほどの圧があったのだ。


 また、どう見ても野盗にしか見えない恰好で大々的に連行されてきた以上……そのまま釈放というわけにも行かなかった。


 彼はキリキリと痛む胃を抱えながら、どうにか盗賊団(ということになっている)を屋敷に連れて行った。そして、お頭と呼ばれていた男を自分の執務室まで連れてくると、


「何をしているんだ……シュタール男爵?」


 苦々しい顔で、ディートヘルム・ホルツヴァート伯爵はたずねた。だが、相手はソファに腰掛けたまま一顧(いっこ)だにせず、


「……なんの話だ? 俺ぁ、ここらで一旗()げようと――」


「会ったことあるのに、ごまかし効くわけないだろうが! くそ! 誰か見られてなかっただろうな!? 今の時期、貴族たちは誰も観光に来ていないはずだな!?」


 ディートヘルムは内心の苦悩を表すように頭を()きむしった。


 トラウゴット・シュタール男爵――元傭兵だ。バルツァー王国内に出現したダンジョンを、冒険者に先んじて破壊した功績で騎士に任じられ、さらに冥界から攻めてきた敵部隊を返り討ちにしたことで、シュタール男爵家の令嬢と(めあわ)せられた。


 成り上がりもの、などと口さがない連中もいるが、剣の腕は本物だ。


 今から五年前、当時十九歳だったディートヘルムはバルツァー王主催の武闘会に招かれ、意気揚々と参戦したことがある。さすがに〔優勝間違いなし!〕と思うほど傲慢(ごうまん)ではなかったが、幼少期から武芸をたしなんでいたこともあって、それなりに自信はあった。


 だが、その自信を完膚(かんぷ)なきまでに打ち砕いたのだがトラウゴットだった。一回戦で当たると、ディートヘルムはあっという間に叩きのめされて、本当の強者との格の違いというヤツを嫌というほど思い知らされたのだ。


 トラウゴットはそのままの勢いであっさり優勝してのけ、バルツァー王の目に()まった――同い年だったこともあって、ディートヘルムとも交流するようになった。


 それこそトラウゴットが結婚して男爵位を手に入れたときだって、お祝いにわざわざ訪問しているのだ。見間違えるはずもない。


「なんで盗賊なんてやってるんだ!? しかもドラゴンの娘を追跡していたと……! もしかしなくても選帝侯(せんていこう)がらみか!? 次期皇帝にバルツァー王が有力候補として名乗りを上げていると――いや、言わなくていい!」


 ディートヘルムは脂汗(あぶらあせ)をかきながら、手を前に出した。


「私は何も聞いていない! 君が盗賊を名乗って何をしていたのかも知らない! いいかね!? 私はこの件にはいっさい関わっていない!」


「俺が普通に落ちぶれたとは考えないのか?」


「騎士としても名高いトラウゴット・シュタール男爵が? バルツァー王から見捨てられたのだとしても、君を()し抱えたい人間なんていくらでもいるだろうさ!」


 ディートヘルムは倒れ込むようにイスに座った。


「こんなの……どう見ても皇帝選挙がらみの陰謀じゃないか。なんでうちの領地で……」


 忌々(いまいま)しさを隠さず言って、ディートヘルムは息をつく。


「とにかくだ。私は何も見ていなかったし、バルツァー王に敵対する意志もない! そもそもホルツヴァート家は次期皇帝選挙に関わっていない!」


「おいおい。お前も偉大なる魔導ユーゴー帝国の貴族だろうが」


「選挙権があるのは七選帝侯であって、うちは関係ない! そもそもホルツヴァート家は中立だ! どこにも肩入れしていないんだ!」


 ディートヘルムは立ち上がって両手を広げた。


「変な陰謀に巻き込むのだけは――!」


 言いかけたディートヘルムの耳に、廊下の喧騒(けんそう)が聞こえてきた。


「ホルツヴァート伯爵」


 扉が開いて、真っ白な服を着た女が入ってきた。


「し、シェイミー公爵令嬢……?」


「一応、俺もいるんだけどね」


 後ろからひょいと長身の男が入ってきた――見たことがある。


「どうも、弟のクラウスです」


 名乗った男の名前を聞いて、ディートヘルムは(ひざ)から(くず)れ落ちそうになるのを必死にこらえなければならなかった。


〔なんで……! シェイミー姉弟……! よりにもよってペルフェクティオ選帝侯の懐刀(ふところがたな)がこんなところに……!〕


 だが、その衝撃も次の出来事で吹き飛んだ。


 入ってきたシェイミー公爵令嬢は、不意に白狼を召喚した。え? とディートヘルムが戸惑う間もなく、白狼は(すさ)まじい速度で飛びかかってきた。


「おわぁ!?」


 情けない声を上げて腰を抜かすディートヘルム。


〔なんだ!? 何かしてしまったのか!? いや私は何もしていない! 無実だ! それとも何もしていないことがダメだったのか!?〕


 走馬灯のように思考が脳裏(のうり)をよぎるが、スローモーションのようにゆっくりと向かってきていた白狼はディートヘルムを無視して、その後ろの戸棚に襲いかかった。


 強靭な爪を振り下ろす。だが、吹っ飛ばされたのは白狼のほうだった。


 見ると、白いクマなのかネズミなのか、とにかく手のひらサイズの小さな使い魔らしき生き物が白狼を吹っ飛ばし、そしてバルコニーへと突撃した。


 窓を突き破ると、手すりに止まっていた白い鳥を引き裂いてから空へと飛翔(ひしょう)し、どこかへと飛び去っていった……。


「あらら、やられちゃったね」


 クラウスは割れた窓ガラスを靴で踏みながらバルコニーへ出て、鳥を……いや、白い鳥はもういなかった。落ちたはずの死体がない。これも――使い魔だったのだ。


「お互いに会話は聞けましたし、もう十分ということでしょう」


「あ、あの……」


 思わず、ディートヘルムは半ば呆然としながら問いかけた。


「さっきの使い魔は――」


「おそらく『盗賊団』を捕まえた人が隠密させていた式神でしょうね。相手は推定天人とされていますから」


 シェイミー公爵令嬢が答えた。


「まぁ、ご覧のとおり私も会話は盗み聞きしちゃってましたけど。ふふ、ねぇトラウゴット・シュタール男爵?」


 シェイミー公爵令嬢は美しく微笑(ほほえ)んだ――ディートヘルムの胃はねじ切れそうだった。

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