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桜子たちは婚姻届をいの一番に役所に提出し、桜子はめでたく(?)花ノ路から月乃姓になった。
今は唯人が淹れた紅茶で一息ついているところである。
籍を入れたというのに結婚した――という実感が全く湧かない桜子。
それもそうだろう。
何しろ結婚と称したかりそめ夫婦なのだから――。
穏やかに紅茶を嗜む唯人をちらりと見ると、その姿はどこかの貴族かと思うほど優雅さが全身から漂っていた。
桜子は唯人を見れば見るほど、自分の知っている人物とかけ離れていることに戸惑う。
物凄く整った容姿なのはゲームの中でも共通していたが、雰囲気がまるっきり違う。
最初の頃など、人を人とも思わない冷徹な人間だったというのに――。
「どうかしましたか?」
桜子の視線に気付いた唯人がほんのり頬を染めて訊ねた。
「い、いえ。ただ、月乃さんだいぶ大人びたなぁ、と」
唯人はくすりと笑うと、
「性別も違いますし、3年も経ちましたから少しは成長しましたよ。それに今は桜子さんも月乃ですよ。唯人と呼んで下さい」
「はぁ……」
3年の月日もあれば人は変わるか、と感慨深く思う一方、彼がこれほどまでに自分を引き留めた理由を桜子なりにこう解釈した。
唯人のストーカー女のせいで桜子が危険に晒されたため、力になりたいのだろう――と。
頼れる男だった桜子にプロポーズしたのだから、元々女に興味がないのかもしれない。
本人もこのゲーム中は一切触れないと断言し、約束を守る人間だというのは数年ゲームの中で一緒に行動していたから知っている。
身の心配はない。
「そうだ、これからどこか――」
唯人が言いかけた時、彼のスマホからファンシーな着信音が鳴った。
彼らしからぬ着信音に桜子は意外に思っていると、電話口に対して唯人は鋭く詰問した。
「本気で言っているのですか?――いえ、何でもありません。すぐに向かいます」
何事だろう、と桜子が思うのも束の間、唯人は顔色を悪くして謝罪した。
「すみません、桜子さん。新婚早々、すぐ出掛けなければいけなくなりました」
「え?――ええ、どうぞ」
唯人は慌ただしく出掛ける準備をすると、必要な経費はこのクレジットカードから、と渡して家を後にした。
そして数分後――。
唯人からメールが来た。
“申し訳ありません。急に海外出張が入ったのでしばらく家を空けます”
「嘘……」
2人のかりそめ夫婦生活は、初っ端から離れ離れのスタートとなったのであった。
*
ホテルの一室にて小気味よくキータッチ音が響く。
左右非対称の赤髪に肉欲的な肢体の美女は、裸体のまま椅子に座ってデスクワークをしていた。
隣のベットには小さな寝息を立てている女性がいるが未だ起きる気配はない。
その時、スマホのバイブ音が鳴った。
赤髪の女はスマホを手に取ると、先ほど自分から連絡を入れた人物だと分かり、自然と口角を上げ通話に出た。
電話口の男は不機嫌を隠そうとしない物言いで訊ねる。
『なぜこのタイミングで長期出張を入れたんです?』
相手は義理の弟である唯人だった。
いつもなら2つ返事で了承する義弟だったが、さすがに腹に据えかねたのだろう、わざわざ不平の電話を入れてきた。
「なぜってあなたが適任だからよ、私よりもね。それに今まで好き勝手してきたんだから文句言わないでちょうだい。そういう約束でしょ?唯人」
唯人はこれまでの3年間、いつ何時も義姉の命令に忠実であった。
どんな無茶な要望も応え、結果を出し、文字通り休みなく働いてきたのだ。
その彼が不満を垂らしたのはこれが初めてで、フレアはほくそ笑む。
『――分かっています』
唯人は端的に了承しては、一方的に通話を切った。
フレア・フォン・デア・シュテンベルクは唯人の義理の姉である。
唯人の父親の再婚相手の連れ子なので血の繋がりはなく、接点など数えるほどであった。
ところが3年前の事件をきっかけに2人の歯車が動き出した。
唯人は桜子を救うため、ずっと疎遠だった実家に帰省してきたのだ。
実に10年ぶりの再会であった。
実父はダイレクト型仮想世界の装置を開発した人物で、ウィルスプログラムを解除するには最新機材や最先端技術を持っている人材が必要だったからだ。
しかし実父は必死に懇願する息子の願いを一蹴した。
今まで散々好き勝手に遊び、挙句の果てに引きこもった息子に見切りをつけたのだ。
父親の有無も言わさぬ態度に絶望する唯人だったが、思わぬところに助け舟があった。
たまたまその場に居合わせたフレアだ。
しかし――
『協力するかわりに、これから私のだす命令には絶対服従よ、異論も認めないわ。――いいわね?』
唯人は桜子のためフレアとの取引に承諾。
そしてこの3年間、ずっとフレアの指示によって唯人は社畜のように仕事をこなし、フレアは不可能だったプロジェクトを成功させ、事業をますます発展させていった。
これも唯人を飼い慣らすための眠り姫のおかげで。
その眠り姫がいつ目覚めるか分からない眠りからついに目覚めた。
フレアは立ち上がり窓の外を眺めながら微笑を浮かべた。
「楽しくなりそうね」
そう小さくつぶやいたのだった。
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