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吾妻は、これほどまでに屈辱を味わされたのは初めてだった。
「……っちくしょうが!なめやがって……!あれを突っ込むことしか能のねぇオナニー野郎がっ!」
吾妻は歯ぎしりして口汚く罵ると、部下男2人も激しく同意する。
「――っ全くですね!社長、あんな野郎なんかと契約結ぶなんてこっちから願い下げですよ」
「ですね!御曹司の息子だが知らないが、あんな奴がいる会社なんていずれ破滅です」
男2人の必死な慰めように吾妻は余計怒りを覚え、しばらく彼らに当たり散らすと憤慨したまま会議室を出た。
エレベーターから降りると、一階の広いロビーには人だかりがあった。
何かあったんですかね、と部下の1人が不思議そうに言う。
全くの無関心であった吾妻だったが、視界に入った人物を見て激しく動揺した。
唯人とその彼を支える背の高い女が出口に向かっている姿があった。
「何よ、あれ……」
低くつぶやく吾妻の横で部下の1人が、
「おい、あの人、ブルービヤードにいる桜子ちゃんじゃね?」
「ほんとだ」
「ブルービヤード?」
吾妻は部下の方を振り向いて訊ねる。
「え、ええ……。キャバクラ店の名前です。そこに働いている桜子ちゃんっていう割と歳いってる子ですよ。あそこの店、基本25歳以下までなのに歳聞いたら27歳って本当のこと言うもんだから記憶に残っちゃって」
男は笑い含みに言うと、もう1人の部下も「そうそう」と頷き、
「あのモデル体型の美人だから入れたんでしょうけど、接客はまるでダメっすわ。ヘルプで入ってきた時話しましたけど、お堅い女だから全然盛り上がらねぇんですもん。面接してんの?って思うくらい」
ハハハハハと笑う部下2人をよそに、吾妻は遠のいていく2人の姿を目に焼き付けていた。
*
唯人を支えて帰宅した桜子は、唯人をベットに運ぶため初めて彼の部屋に入った。
自分の部屋同様、ベットと机のみの簡素な部屋だった。
唯人が着替えをしている間に氷水が入った洗面器とタオルを持って再び入ると、横になっている唯人の額に濡らしたタオルを乗せる。
「やっぱり、病院に寄った方がよかった気が……」
「このくらいの熱、明日には引いているので心配いりません」
目を瞑ったまま唯人は力なく微笑む。
「スポーツドリンクや口当たりのいいものを買ってきますね。他に何か欲しいものはあります?」
「何も入りません」
ただ、と唯人は続けて言った。
「……傍に、いてくれませんか?」
「――はい。できる限り看病しますので安心して眠って下さい」
違った意味合いで桜子は受け取ったが、それでも応じてくれたことに安心した唯人は、すぐに眠りに落ちたのだった。
次の日の昼過ぎ――。
「だいぶ良くなりましたね」
桜子は唯人の熱が微熱まで下がっていたことに安堵して言う。
「ありがとうございます、桜子さんの看病のおかげでここまで良くなりました。そのせいで昨夜のお仕事休ませてしまいすみません……」
桜子は約束通り付きっきりで唯人の看病をした。
「いえ、私も唯人さんを早退させましたから、これでおあいこです」
同時にふふっと笑いがこぼれた。
初めてじゃないだろうか、2人して笑い合ったのは――。
「熱が完全に下がるまで来なくていいってフレアさんも言ってましたから、今日もゆっくり休んで下さい」
桜子はそう言って唯人の食べ終わった食器を持って部屋から出ようとすると、桜子さん、と呼び止められた。
「桜子さん、今日……お仕事に行かれるんですか?」
「そうですね。唯人さんの熱もだいぶ下がりましたし、今日は行きます」
その瞬間、唯人は切なげな表情になると「もう、そろそろ――」と言いかけたが、
「……いえ、なんでもありません。頑張って下さい」
そう言って力なく微笑む唯人に、桜子はどこか後ろめたい気持ちで「はい」と答えた。
さすがに唯人が何を言いたったのかは分かる。
九条に説得されても踏ん切りがつかなかった桜子だったが、この時、ようやく決心した。
*
――ブルービヤード。
青髭の店長は桜子が辞めることを聞くと残念そうな顔をしたが、そう遠くない日に桜子が辞めると悟っていたようだ。
「こればかりは仕方ないわね。また働きたくなったら桜子ちゃんなら大歓迎よ〜。でも、あと一週間は勤務してくれるとありがたいんだけど?」
「はい、もちろんです!」
「よかったわ〜!んじゃ残り一週間よろしくね」
思っていたよりも早く辞められる事に桜子は店長にお礼を言うと、キャバ嬢たちも知るやいなや桜子との別れを惜しんでくれた。
そのうちの1人である黒服の戸當も、
「桜子さん、辞められるんですね。助かっ――いえ、寂しくなりますが、残り一週間頑張りましょう」
と、寂しさなんて全然感じさせない、むしろ嬉しくて堪らないような口調だったが、別れを惜しんでくれた。
戸當とは同じ日にこの店で働きだした仲で、唯一、黒服の人と仲良くなれた人物でもあった。
それもあって遠慮がないというか、キャバ嬢は長く続けて働く場所じゃないですよ、と何度も言われてきた。
――きっと彼から見たら私は“イタイ女“だったんだろうな。
などと、感慨深く思う桜子だったが、それも残りあと一週間――。
桜子は最後まで身を引き締めてやり切ろうと思った。
この日は本指名がなく、ずっと誰かのヘルプについていた時である。
少し離れた卓の方からざわめきがあった。
どうやら酔ったお客が戸當とキャバ嬢の服を汚してしまったようだ。
おしぼりで服を拭いている姿が目に入る。
よほど呑まされたのだろうか、戸當たちは顔色を悪くして着替え室に引っ込んでいくと、別の黒服の男が桜子の元にやってきて「お願いします」と呼び、桜子は席を外した。
「4番卓のお客様から指名が入っています」
「分かりました」
桜子は指名された卓に向かうと、全員容姿の整った男女5人組の若い会社員たちで、テーブルにはすでにシャンパンタワーや、あらゆるお酒がずらりと並んであった。
中心に座っている女性が上司なのだろう、その女上司が「あー来た来た」と嬉しそうに桜子に言うと、自分と女部下との間に座るよう桜子を促した。
――さっきの騒ぎはこの人たちが原因か。
周囲を見ると男性陣はすでに酔い潰れて項垂れていた。
「ご指名ありがとうございます」
「待ってたわよー、なかなかこっちに来ないから黒服さんと別の子に呑んでもらうの手伝ってもらってたんだから」
確かに並べられているお酒の量は尋常ではない。
戸當以外も呑まされていたのだろう、顔色が悪い黒服が何人かいた。
「申し訳ございません。なかなか席が外せ――「でね、」」
と、女上司は桜子の言葉を遮ると、
「今ちょうど困っていたところなの」
そう小悪魔な笑みを浮かべては、桜子の隣に座っている女性を見ながら女上司が言った。
「この子ったら私のお酒が呑めないって言うの。ひどいでしょう?」
指摘された女性は顔が青ざめていた――いや、彼女のテーブルの下にある手が僅かに震えていたのだ。
まるで呑むのを断ったら、酷い仕打ちが待っているかのように。
見かねた男性社員がやんわりと諫めに入った。
「吾妻社長……もうこの辺でお開きにしませんか?さすがにもう……」
「ぁあ?」
吾妻は男を威圧すると、
「何言ってるのよ?あとこの一杯呑んでくれなきゃ帰らないわよ。真島が呑めないってのなら……そうだ!桜子ちゃん、あなたが呑んでくれる?」
吾妻は名案だと言わんばかりに手を叩くと、“その一杯“を桜子の目の前に置いた。
シャンパングラスに入っているのは黄色の液体だった。
桜子がお酒の種類を訊ねると、
「さあ?何が入っているでしょーか。呑んでみてのお・た・の・し・み」
と、吾妻は笑いながら誤魔化すが、社員たちの青ざめた表情を見ればかなり危険なのは間違いない。
色からして――アルコール度数がものすごく高いゴッチェ・インペリアルかと思い、さすがにこれは断ってもいいお酒だ。
「申し訳ありません、あまり強いお酒は……別のお酒を頂いてもいいでしょうか?」
桜子が穏便に断ると、吾妻は急に態度を一変させた。
「はあ?仕事舐めてんの?あんたキャバ嬢でしょ?だったら呑んでなんぼでしょーが。か弱いふりして男をたぶらかすことしかできねークズが!――やっぱお前呑め」
そう言って再び真島の前にグラスを置かれた。
真島が一向に手をつけないことに吾妻はため息をつくと、
「はあ……。まっったく、使えねぇのよね、お前。体も張れねぇ、仕事も出来ねぇ、呑みの場所でも白けさせる。そんな女に給料払ってるこっちの身にもなれってのよ」
真島は震える手でグラスを持とうとした――が、その前に桜子が奪うようにグラスを奪うと、口を真一文字にしては酒を口にした。
ものすごい強烈な痛みが口の中に走るが、それでも勢いよく呑み干した。
喉が焼ける――。
咳が止まらない――。
「ごほっ!!――っごほ、ぐっ――!!」
咽せ返る桜子の肩を吾妻は笑いながら叩いた。
「アハハハハハハ!スピリタスとゴッチェ・インペリアルだからきっついでしょ!」
両方ともアルコール度数90%を超えるお酒だった。
桜子はここで粗相するわけにはいかず、心配する真島や男性社員たちを振り切り、ふらつきながらトイレへ行こうとした時、着替えから戻ってきた戸當が桜子の異変に気付いて駆けつけた。
「大丈夫ですか?桜子さん!」
戸當が切羽詰まった声で訊ねる。
しかし、桜子にはもうその声がこだまして聞こえ――そのまま意識を手放したのであった。
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