8.魔術
部屋に帰った後、ソファで横になっている俺のそばに、アイリスが腰かけて話しかけてきた。
「カゲツさん、でしたよね。
あなたはミヅキさんの薬の副作用を魔術で抑えていたと、そう仰いました。
でもカゲツさん、異界の勇者――異世界の方ですよね?
異世界にも、魔導術式があったんですか?」
俺は寝転びながら、どう応えようか頭を悩ませる。
……ややこしいんだよなぁ、この質問。
「まず、俺が使っているのは魔導術式じゃない。
星霊魔術っていう、古代ギリシャ魔術の流れをくむものだ。
そこをはっきりさせておこう」
アイリスがきょとんとした顔で目をぱちくりと瞬かせた。
「ギリシャ、ですか? 聞いたことのない魔術ですね……」
俺は苦笑を浮かべて応える。
「そうだろうな、俺たちの世界にある、国の名前だ。
そこで三千年から二千年くらい前に発達してた文明、そこで使われていた魔術の系譜だ。
そんな古代ギリシャ魔術に現代のオカルトをミックスして生み出されたのが星霊魔術って訳だ」
「はぁ~。なんだか、意味の分からない単語ばかり。それに年数も凄いですねぇ。
この大陸、どんなに古くても一千年くらい前の史料しか残っていませんよ?
――あ、古代遺跡は別ですけどね。
あれは『一千年以上前から遺跡として存在する』と言われる、神秘の塊なので」
ほー、そんな面白そうなものがあるのか。
機会があったら見に行ってみたいもんだ。
不意に、俺の腹にズドンと、四十キロくらいの重しがのしかかってきた。
重しが猫のように俺の腹の上で、ごしごしと顔をシャツにこすりつけている。
「……美月、何してるんだ? お前は」
美月を見下ろすと、口をへの字に曲げて俺を見上げてきた――なんで『俺が悪い』みたいな顔してるんだよ……。
「なんでもない! なんでもないから気にしないで!」
なんだ? 俺とアイリスが仲良く話してたから、疎外感でも受けたのか?
しかもいつの間にか、折角借りた竜の巫女のローブを脱いでやがる。俺のワイシャツ一枚で抱き着いてくるとか、親の教育は本当にどうなってるんだ?
俺はため息をつきながら美月に告げる。
「あのな? お前も中学二年だろ? おっさんとはいえ、父親以外の男に薄着で抱き着くのは止めろ」
「香月さんは、おじさんじゃないもん!」
……お前が最初に、俺のことを『おじさん』呼ばわりしたんだろうが。
なんなんだこいつ。意味が分からん。
「おっさんじゃないなら、なおのこと抱き着くな。若い女が若い男に抱き着いて良いのは、恋人になってからだ」
美月の顔が、面白いほど歪んでいた。
苦悩と悔しさ、そしてなぜか期待が入り混じった表情で『フランケンシュタインの怪物』みたいな顔になってやがる。
俺の頭の横で、クスクスと笑うアイリスの声が聞こえた。
「ふふ、やきもちを焼いてるんですよ。もう少しミヅキさんを構ってあげてください」
やきもち~?! なんでそんなもんを焼く……ああ、異世界で心細いままだったか。
そんな中で、俺がアイリスと仲良くしてれば、不安にもなるか。
一人だけ除け者だもんな。
仕方なく、俺は美月の頭を腕で抱え込んで、胸に押さえつけた。
本人はどうやらそれで満足してるらしく、急に大人しくなってご機嫌なオーラを醸し出していた。
そのまま俺の身体も両腕でホールドされたが、子供が抱き着く力なんて大して気にもならない。
……安いな、お前。本当に悪い男に騙されるなよ?
俺は、楽しそうに笑っているアイリスを見上げて告げる。
「――話を戻すと、俺の使っている魔術とは別に、近年発達した『魔導学』という学問があるんだ。
その中で『仮説の魔術』として魔導術式が論じられている。
この『俺たちの世界の魔導術式』の理論が、『この世界の魔導術式』と一致している――と思う。
俺は魔導術式を使うための魔力が弱いから、火の初級魔術すら起動させられないんで、検証はできないけどな」
アイリスがきょとんとした顔で俺を見下ろしていた。
「初級魔術すら使えないほど、魔力が弱いのですか?
それでは五等級以下、ということになりますけど……」
「等級なんかあるのか?」
アイリスが微笑みながら頷いた。
「はい。魔術を使えないレベル、これが五等級です。
一般市民では最大三等級までの強さが確認されています。
貴族階級は最低三等級から、上は一等級です。
私のように、特別に魔力が強い人間は特等級と呼ばれます」
へぇ、魔力でも階級社会が生きてるんだな。
随分と煩わしそうな世界だ。
「それ、魔力が低いほど扱いが酷くなるって奴だろ? 違うか?」
アイリスが困ったように微笑んだ。
「はい、その通りです。
私の発言力が強い理由に、この強い魔力も関係しています。
貴族たちは競うように強い魔力を欲しがりますから」
俺は改めてアイリスの顔を査定した。
穏やかな性格が顔に現れたかのような垂れ目、整った鼻筋と唇。輪郭もほっそりしている。
特に秀でてるというほどではないが、間違いなく美人の類だ。
これに特等級の魔力が付く。さぞ『良い物件』扱いだろう。
「あんた、さては苦労して生きてるな?」
「いえ、私は竜の寵児。寵児である間は、結婚なんてまず縁がありませんから」
ああ、巡礼の旅って奴か。宗教のために、自分の人生を捧げてるタイプなんだな。
「じゃああんたは、いつ結婚するんだ?」
アイリスがにこりと微笑んで告げる。
「創竜神様から、お役御免を言い渡されてから、ですかね。
その前に運命の人に出会ってしまったら、創竜神様のお赦しを頂いて婚姻を結ぶかもしれませんけど。
中々、そんな『運命を感じる』なんて方にも、出会う機会はないですから」
「そりゃそうだ。簡単に出会えないから貴重な出会いになるわけだからな。
あんたにそんな、素敵な出会いがあると良いな」
アイリスが意味深に微笑んで、俺に告げる。
「……もしかすると、そんな方にはもう出会ってしまっているのかも?」
俺は眉をひそめてアイリスを見上げていた。
「どういう意味だ? この街でそんな男に出会ってたのか?
俺たちに同行するのがあんたの恋路の邪魔になるってんなら、俺たちのことより自分のことを優先してくれ。
あんたみたいな不憫な人生から潤いを奪うつもりは、俺にはないからな」
話を聞く限り、物心ついた頃にはもう、巡礼の旅をさせられていたらしいし。
アイリスは、まともな子供時代すら送っていない。
両親とも引き離され、身の回りの世話をする使用人たちと一緒に、大陸を旅する人生だったと聞いた。
そんな楽しみのない人生から、せっかくの恋のチャンスを奪い取る真似なんて、俺はしたくない。
「いーえ、心配しなくても大丈夫ですよ。ありがとうございます……ふふ」
……最後の含み笑いは、なんだ?
そしてさっきまでご機嫌だった胸の中の重しから、妙な不機嫌オーラが漂い始めた。
再び顔をごしごしとシャツにこすりつけ始めたので、仕方なく胴体ごと抱きしめてやると、再びゴロゴロと喉を鳴らす声が聞こえそうなほどのご機嫌オーラが漂い出す。
「美月、お前ほんっとに悪い男には気を付けろよ?」
美月は黙って俺に抱きしめられたまま、俺の胸に顔を埋めていた。
……これが犬だったら、振り回した尻尾で竜巻が起こってるんじゃないかってぐらいの喜びようだな。
その後、俺は美月の背中を撫でたりして宥めながら、アイリスと世間話を交換していった。