7.デュカリオンが待っている(2)
俺が疲労感をにじませたため息をすると、美月がおずおずと俺に告げてくる。
「取り乱すなんて、香月さんらしくないよ?」
――心配されるほど取り乱してたか。俺もまだ青いな。
「ああ、すまん。異世界で電話がつながるなんて、すぐに信じられなくてな。
ちょっと混乱してた。だがもう大丈夫だ」
「あの、本当にデュカリオンと話してたの?」
「本物かどうかは知らないが、お前の保護者だと言っていたし、お前が俺を悩ませる異能は『賦活剤の副作用だ』と言っていた。
『星因子』なんて単語まで知っていたし、この世界の住人じゃないのは確かだ」
『星因子』――かつて世界中で流行し猛威を振るった新型感染症『ネメシス・クライシス』の特効薬、『アンチ・ネメシス』の主成分だ。
生成方法はヴォーテクス製薬が秘匿し、公開されたのは臨床データのみ。
だが世界人口が三割減少する勢いで猛威を振るう新型感染症に対し、各国は藁をもつかむ思いで特効薬に縋った。
結果として人類は新型感染症を克服したが、後に重大な副作用が発見された。
――十代の若者だけが『魔力』に目覚め、異能を開花させた。それが今から二十年近く前だ。
魔力と異能を使った新しい『魔導産業』は、今でも世界で先端技術として日夜研究が進められている。
俺や美月が住んでいた東京都の離島『南竜島』は、そんな魔導産業研究の日本最大拠点。
そんな場所で開発された異能強化の専用薬、それが賦活剤だ。
そんなことを知っているのは、間違いなくこの世界の住人じゃない。
もう一人、俺におずおずと話しかけてくる奴が居た――祈りを捧げていた女性、竜の寵児、アイリスだったか?
「あの、創竜神さまが『あなた方の力になって欲しい』とおっしゃるのですが、私に何ができるでしょうか」
ああ、デュカリオンが言っていた通りなのか。
「あんた、アイリス……でいいんだよな?」
アイリスはきょとんとした顔で俺の顔を見つめてきた。
「ええ、はい。私がアイリス・シュテルンヴァンデラーですが……自己紹介いたしましたっけ?」
「いや、細かいことは気にしないでくれ、俺も今は細かいことを気にしたくない。
――こいつは美月というんだが、薬の副作用で厄介な体質になってる。
こいつが発する匂いを嗅ぐと、俺の理性が消し飛んじまうんだ。
今は自力で何とか防いでるが、寝てる間も魔術を維持し続けるのは正直言ってキツい。
だからあんたに、副作用を抑え込むような奇跡を祈って欲しい――できるか?」
アイリスが眉をひそめて美月を見つめた。
「なんだか、とんでもなく迷惑な体質になっているのですね。
――わかりました。できるかはわかりませんが、創竜神様にお願いいたします」
アイリスが祈りの姿勢を取ると、彼女の身体が淡い白色の光に包まれた。
その光が飛び移るように美月の身体も光り出し、美月が驚いて身体を見回している間に、光は溶けるように消えて行った。
アイリスが目を開けて告げる。
「……これで、願いは聞き届けられたそうです。
効果はおよそ一週間。なるだけ五日程度で祈りを捧げ直した方が安全でしょう」
デュカリオンの言った通り、なのか。奴はいったい、何者なんだ?
試しにアイギスを解除してみるが、美月から漂っていた、むせ返るほどの芳香はきれいさっぱり消えていた。
俺は胸を撫で下ろし、一息ついた。
「ふぅ。これで常設する魔術を一つ、減らせたな」
美月はどこか不満げな顔で、ぼそりとつぶやく。
「別に、香月さんが理性を失ってもいいじゃない。せっかく既成事実を作れるチャンスだったのに」
なーにが『既成事実』だ。おっかねぇ思考回路してやがるな、最近の中学生は。
俺は美月の頭を乱暴に撫でてやりながら告げる。
「いいか、たとえあの副作用みたいな異能を自在に使えるようになったとしても、人に対して向けるなよ?
人の心を操る能力なんて、殺し合いの時でもなきゃ使っていいもんじゃない。
使う時は、相手の命を奪うつもりで使え。そのくらいの覚悟が必要な力だって覚えておくんだ」
ぐりぐりと頭を撫でられていた美月が、俺の手を捕まえて動きを止め、俺に告げる。
「……その言い方、香月さんは人の心を操る力を使えるの?」
俺はニヤリと微笑みながら応える。
「自分の能力ってのは、必要がなければなるだけ隠しておくもんだ。
でなければ、いざという時に切る札がなくなっちまうからな。
お前ほどの有名人じゃ、もう難しいだろうが、戦いの心得として覚えておけ」
美月が不満げな顔で唇を尖らせ、俺に応える。
「私は別に、この世界じゃまだ無名だよ!
煌光回廊なんて、知られてないし。
……じゃあ、私の異能はなるだけ使わない方がいいのかな?」
俺は顎に手を当てて考えてみる。
「そうだな……この世界のトラブルは、俺がなるだけ対処する。
だからお前の異能は、お前の身を護る時か、俺の指示がある時だけ使え。
元々、お前の異能は物騒なんだ。滅多に使っていい力じゃないからな」
それでも、大規模戦闘ともなれば使うことがあるだろう。
なるだけ隠したいが、この国を襲う状況が余りに厳しすぎる。
美月の力も、借りることになるだろうな。
……だがそれは、美月に人の命を奪わせるという意味でもある。
なるだけその手は、打たずに済ませたいもんだ。
再び、アイリスがおずおずと俺に告げる。
「あの、創竜神様が『できれば付いてやっていて欲しい』とおっしゃるのですが……私が必要でしょうか?」
俺は微笑んで頷いた。
「ああ、頼む。この世界のことを知るにも、同行者が一人くらいは居てくれた方が助かる。
王宮まで付いて来てくれ。
――カスパール、アイリスの客間も用意できるか?」
ずっと戸惑っていた様子のカスパールが、おずおずと頷いた。
「竜の寵児をもてなす客間ですから、今夜は無理です。
ですが明日中にはなんとか用意いたしましょう」
なんだ? 竜の寵児って奴は、そんなに偉いのか?
まぁいい、それは帰りの馬車の中で話を聞こう。
「用件は済んだはずだな。城に戻ろう!」
俺たちは頷きあった後、白竜教会の神殿を後にした。
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馬車の中で、俺はアイリスから竜の寵児についてあらましを聞いていた。
この世界に稀に居る、創竜神の加護を受けて生まれる女子、それを竜の巫女と呼ぶらしい。
彼女たちは強い祈りの力と魔力を持ち、各地の神殿を巡礼してるという。
そんな竜の巫女は、白竜教会の本殿と呼ばれる特別な場所でだけ、創竜神と会話ができるのだそうだ。
だが竜の寵児と呼ばれる、竜の巫女の中の超エリートはさらに強い力を持つという。
彼女たちは竜のような魔力を持ち、どの神殿でも創竜神と会話ができるらしい。
今夜アイリスが見せてくれたのは、その『どの神殿でも創竜神と会話ができる力』だったわけだ。
竜の巫女や竜の寵児は、白竜教会で神聖視され、特別な発言力を持つという。
――そりゃあそうだろうよ、崇める神様と直接会話できる巫女だ。彼女たちの言葉は神様の言葉同然。発言力が高くて当たり前だ。
カスパールの話では、このネーベルヴァーム王国は白竜教会の影響力が強い国らしい。
だからこそ、竜の寵児を粗末な部屋で待遇する訳にはいかないのだろう。
今夜は結局、俺たちの居る部屋に泊める、ということで落ち着いた。
……俺は反対したんだが、アイリスがそれを望み、カスパールがそれに応じちまった。
発言力が高いのも、考え物だなぁ。
美月の様子を見てみると、なぜか不機嫌になって真っ暗な窓の外を見ていた。
……なんで不機嫌なんだ? 『ベッドで女子二人が寝ればいいだろ』って俺が言ってから、へそが曲がって直りそうにない。
そんな偉い人間をソファに寝かせられるわけが無いし、妥当な判断だと思うんだがなぁ?
にこにこと微笑むアイリスを加え、俺たち四人を乗せた馬車は王宮を目指し、漆黒の夜闇を切り裂いて駆けていった。