5.寝言
日が落ちてから、ゆっくりと美月が目を覚ました。
育ち盛りの美月のお腹が、食料が欲しいと訴えている。
どうしたらいいかと迷った美月は、枕にしていた香月の胸を揺すった。
「ねぇ香月さん。そろそろお腹が減ったから起きようよ」
「ん……」
どうやら、香月はまだ寝足りないようだ。
なぜか緩む頬をそのままに、美月はその広い胸板に再び顔を埋めていた。
「えへへ……この胸は私だけのものだー」
ぐりぐりと猫のように顔をこすりつけていると、香月の腕が美月の頭を優しく包み込んだ。
――えっ?!
思わぬハプニングに驚いた美月が、頬を染めて香月を見つめる――まだ彼は、目をつぶったままだった。
「――ん、エレイン。あと五分待て」
その香月が漏らした一言で、美月の機嫌が一気にレッドゾーンまで折れ曲がった。
美月は香月の襟を両手で掴んで強く揺さぶって声を上げる。
「エレインって誰?!」
その叫びに、香月の意識が夢の世界から呼び戻されていた。
****
俺はハンドベルで侍女を呼ぶと「二人分の飯を頼む」と告げ、食事が到着するのを待っていた。
……さっきから美月の奴、そっぽを向いてこっちを見ようとしやがらねぇ。
なんだ? 何があったんだ?
「あー、美月? お前いったい、どうしたんだ?」
「なんでもない!」
まいったな、完全に意固地になってやがる。
子供の相手は苦手なんだよなぁ……。
俺は頭をかきながら、目覚めた時の記憶を呼び起こしていた。
確か――
「なぁ美月、お前、俺に何か尋ねてなかったか?」
美月はそっぽをむいたまま、ぼそりと告げる。
「……エレインって、誰?」
ああ、寝言で名前が出ちまったのか。
「昔の知り合いの名前だ。ガキが気にするような相手じゃない」
まだ納得しないような美月が、俺に告げる。
「知り合いが、一緒のベッドで寝るの?」
……俺は寝てる間、何を口走ったんだ?
「だから、子供が気にすることじゃ――」
「いいから答えて! エレインさんって香月さんのどんな人?!」
あまりの声の大きさに、俺は両耳を塞いでいた。
デカい声で叫びやがって……チッ、しょうがないか。
俺は特大のため息をついてから、美月に応える。
「……前の女だよ。三年前まで、一緒に暮らしてた」
美月の気配がさらにとげとげしくなっていく――なんでだよ?! 正直に答えただろう?!
「その人、今は何してるの?」
なんでガキがそんなことを気にするんだ?
俺は憂鬱なため息を短く付いてから、なるだけ平静に告げる。
「今か? 楽園でのんびり暮らしてるんじゃねーかな。
年も取らず、永遠の平穏を享受しながら、神々と楽しく語らってるだろうよ」
美月が驚いたようにこちらに振り向いた。
「……死んじゃったの?」
「……俺が殺したようなもんだけどな。
俺の力が足りず、あいつを救えなかった」
俺は憂鬱な気分を息に込めて、胸の奥から吐き出した。
「これで気が済んだか?」
ふと美月を見ると、泣きそうな顔で眉をひそめていた。
「……ごめんなさい、つらいことを思い出させて」
つらいこと、か。三年前のことをまだ引きずってる俺が、女々しいだけなんだがな。
俺は美月の頭を撫でてやりながら、微笑んで告げる。
「大したことじゃない。ガキが細かいことを気にすんな」
うつむいた美月が、ぼそりと告げる。
「……エレインさんは、どんな人だったの?」
どんな……とても大切な思い出なのに、たった三年前だって言うのに、俺の記憶はどんどん色あせていく。
こうして生きてる人間は、死者を置いて行くのかな。
「忘れちまった。いい女だったのは確かだが、それを思い出す必要もねぇだろ」
「……でも、寝言で名前を言うほど親しかったんでしょ?」
「……まぁ、そうだな」
寝言ってのは厄介だ。夢の中では、いつでも当時のあいつが俺の前に現れる。
まるで俺の中に住んでるかのように、その瞬間だけは鮮明に思い出せるんだから。
美月が何かを言おうとしたところで扉が開き、侍女たちが食事を持ってきてダイニングテーブルに並べ始めた。
俺は両手を打ち鳴らして告げる。
「飯が来た! さっさと食っちまおう!」
俺は立ち上がると、美月に手を差し伸べる。
美月はおずおずと俺の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
****
食事はパンとスープ、燻製肉のソテーに葉野菜のサラダ、それほど豪華じゃないが、滅びる寸前の国が出す食事でもないな。
まだまだ余裕はあるってことだ。
窓から見える景色は真っ暗、時計は午後七時を指している。
一寝入りはしたが、時差ぼけを治すのはしばらくかかりそうだ。
俺はパンちぎり、スープにひたして食いながら、そっと≪絶対障壁≫を解除してみた。
――美月からむせ返るほどの芳香が吹き出して、部屋中に満ちてやがる?!
慌てて「≪絶対障壁≫!」と呪文を叫び、美月の異能から身を守った。
その様子に、美月がきょとんと俺を見つめて告げる。
「何してるの?」
俺はジト目で美月を見据えながら応える。
「お前の二つ目の異能、あれの状態を確認したんだよ。
なんなんだよ、昨日よりずっと酷くなってるじゃねーか。
こんな匂いの中に居たら、アイギスがなきゃ一瞬で理性が吹き飛んでるぞ」
美月が小さな声で、ぼそりとつぶやく。
「……吹き飛んじゃえばいいのに」
「なんか言ったか?!」
「ううん! なんにも?!」
……しらじらしい。何が狙いなんだ、こいつは。
それにこの異能も質が悪い。密室だとアイギスを維持し続けないといけねーじゃねーか。
寝てる間にうっかりアイギスが解けちまったら、一巻の終わりだぞ?
それになんで、美月から漂う芳香が、むせ返るほど強くなってるんだ?
しかも、この様子だと謁見の間でも、この匂いはしていたはずだ。だが兵士や騎士たちに異変は感じられなかった。
……この匂いは、俺にしか効果がない? そんな、まさか!
嫌な予感を覚えながら晩飯を口にしていると、ドアがノックされてから開かれた――カスパールだ。
「食事中に失礼するよ、カゲツ殿。
君たちが寝ている間に客人が来てね。伝言を頼まれた」
俺は食事の手を止めてカスパールを見つめ返して告げる。
「誰だ? その客人ってのは。それになんの用件だ?」
カスパールは困ったように眉をひそめて告げる。
「この国――いや、この大陸は『白竜教会』という宗教団体が最大勢力を誇っている。
『創竜神』という竜の神を祭る、少し変わった宗教だ。
そこで『竜の巫女』と呼ばれる者が、君たちになるだけ早く会いたいそうだ。
この国の白竜教会神殿で君たちを待っている。
――彼女からの伝言は『デュカリオンが待っている』だ。誰だね? デュカリオンとは」
――デュカリオン。
ヴォーテクス・グループの製薬部門でトップを務める、経歴不詳の謎の人物。
美月が度々《たびたび》口にする名前でもある。
ヴォーテクス製薬が近年、異能開発に用いている賦活剤というアンプルは、各国が血眼になって研究対象としているホットな話題だ。
……そんな名前を、なぜ異世界で聞くことになったんだ?
俺は困惑しながら、カスパールに告げる。
「名前に心当たりはあるが、この世界に関係のない人物だ。
なんでその『竜の巫女』とやらが、その名前を知っているのか、さっぱりわからん。
――あんた、神話や民話で『デュカリオン』という名前を聞いたことがあるか?」
元々はギリシャ神話において、大洪水を生き延びた唯一の夫婦、プロメテウスの息子の名前だ。
異世界に同名が居るとも思えないが。
案の定、カスパールは首を横に振った。
「そんな名前、心当たりは全くない。
人名としても珍しいと思うが、何者なんだ?」
「……俺たちの世界の、科学者の名前だ。俺もそれ以上は知らん」
カスパールも困惑したように眉をひそめ、俺に告げる。
「そうか……だが竜の巫女は嘘を言わない人種だ。
彼女が言った言葉なら、間違いなく、その人物が待っているはずだ。
時間は問わないと言っていたから、食事が済んだらすぐに馬車で神殿まで送り届けよう」
俺は頷いてから、食事を再開した。
美月を見ると、きょとんとしていて、事態を理解していないようだ。
――この異世界で、元の世界の人間の名前が出る。そんな異常事態に気が付いていないのだろう。
何が出るのか、楽しみな事だ――俺は今後の対応プランを考えながら、口を動かしていった。