46.新居
叙爵式から一週間後、俺たちはネーベルヴァーム王国の辺境にあるヴォルフスベルク伯爵領、つまり俺の領地に居た。
フロストタール帝国と山脈ひとつを挟んだ、王国の外れ。簡単にいえば田舎だ。
国境に面してはいるが、攻め込まれる心配はまずない。
それでも本来なら、辺境伯という有力貴族クラスが土地を守護するべき地域だという。
どれだけ俺を国家の中枢から追い払いたいのか、うかがい知れるというものだ。
こうして帝国国境に面した地域に封じて、俺を帝国に対する重しにする、というのが当面の役目なのだろう。
到着した屋敷は、『上位貴族並』とハーゲンが言っていただけあって、敷地もアホみたいに広かった。
五階建てで、ちょっとしたホテル並みの大きさ……これ、本当に維持していけるのかぁ?
馬車から降り立ったのは俺、美月、アイリス、赤竜――そしてハーゲンだった。
「ほっほっほ! では私もしばらく、羽を伸ばさせていただきますかのう」
楽し気に笑うハーゲンに、俺は苦笑を浮かべた。
「悪いなハーゲン、伯爵のあんたは、領地の仕事もあるだろうに」
「いやいや、今では息子たちにほとんど領地経営を任せております。
カゲツ殿が気になさるような迷惑など、何もありませんよ」
ハーゲンは『魔導術式の講師』という名目で付いてきた、俺の監視役だ。
カスパールの野郎は、アイリスや赤竜だけじゃ安心できないらしく、ハーゲンまで寄越してきた。
俺としても不都合はないから構わないが、爺さんの迷惑ぐらい考えろってんだ。
俺たちを出迎えた侍従――シルバーグレイのダンディ爺さんが、俺に頭を下げながら告げる。
「私、この屋敷を任されております、ガイスト・ヴァルトファルケと申します。
今後はヴォルフスベルク伯爵家に仕える侍従として、カゲツ様を旦那様としてお仕えいたします。
以後、お見知り置きください」
「おう、よろしくなガイスト。確認するまでもなく、お前も俺の監視役なんだろう? 大変だな、お前も」
「ははは、旦那様の神経も実に図太くいらっしゃる。
監視のし甲斐がありませんな」
笑顔のガイストに案内され、屋敷に通される。
玄関もでけぇなぁ……従者や使用人も大勢いるみたいだ。
「なぁハーゲン、こんな家、本当に俺が維持できるのか?」
「当面は戦功褒賞という形で、報奨金が出ますよ。
間もなく収穫期、それが済めば、最初の税収が入ります。
それでお釣りが来ますとも」
なるほどな、時期は丁度良かったわけだ。
俺たちはリビングらしき場所に通され、ソファに座っていった。
侍女たちが震える手で紅茶を入れて行く――やっぱり、並の従者程度じゃまだ、俺を怖がるのか。
紅茶を一口飲むと、ガイストが俺に告げる。
「では従者の主だったものを改めてご紹介いたします」
顔を上げると、ガイストの背後に年配の侍女が一人と、若い侍女が一人立っていた。
年配の侍女が真顔で告げる。
「グレタ・バウムガルトナー、侍女頭を務めさせていただきます。
ガイストと共に、この屋敷を切り盛りさせていただきます」
若い侍女が、緊張した顔で告げる。
「ハンナ・ヒルシュと申します。ミヅキ様の専属侍女を務めさせていただきます」
俺はガイストに尋ねる。
「アイリスの専属従者は居ないのか?」
「アイリス様は竜の寵児であらせられます。
白竜教会から従者が来ておりますので、そちらが対応することになります」
なるほどな、こちらが用意するまでもないってことか。
美月が笑顔でハンナに告げる。
「よろしくね! ハンナ!」
ハンナは恐縮するように縮こまり「はい、よろしくお願いいたします」と応えていた。
俺は部屋を見回してみる――主だった従者ってのは、これだけか。
「俺たちの監視は、これだけで足りるのか?」
ガイストがニヤリと笑みを浮かべて応える。
「もちろん、屋敷の従者全員が監視を仰せつかっております。
報告は定期的に王都にいらっしゃるローゼンクロイツ侯爵に上げることになっております。
内密に事を運びたければ、我々の居ないところでお願いいたします」
「ほー、まぁ頑張ってくれ。俺はやましいことをする気はないし、ちゃんと相談するからよろしくな」
「はい、かしこまりました」
紅茶で一服した後、俺は立ち上がって告げる。
「じゃあ旅装を着替えちまおう。
それぞれの部屋に案内してくれ」
頷いたガイストが他の従者を呼び、俺たちをそれぞれの部屋へと案内していった。
****
俺と美月の部屋は、王宮で用意された部屋と大差ない、つまりホテルのスウィートルーム程度の部屋だった。
「だから、豪華すぎるだろうがよ……」
美月は楽しそうにベッドに飛び乗り、弾み具合を楽しんでいた。
「わーい! 香月さんとの愛の巣だー!」
ああ、そうか。もうここに住むから事実婚が成立するんだな。
俺はベッドで飛び跳ねている美月を捕まえ、上から覆いかぶさり首筋に唇を落とした。
「こら、子供じゃないんだから飛び跳ねるな」
「くすぐったいよ、香月さん!」
頬を染めて照れる美月と、俺は数分じゃれあうと、立ち上がって美月を起こし、着替えを促した。
部屋着に着替えた俺の前に、ドレス姿の美月が姿を現していた。
ルームウェア用の軽量ドレスでも、十三歳の美月には不評なようだ。
「重たいよ、これー」
俺は小さく息をついて応える。
「そうだな、少し不便そうだ。どうするかな……。
――そうだ、デュカリオンに相談してみるか」
俺がそう言った瞬間、美月は携帯端末を取り出してデュカリオンをコールしていた――子供の俊敏性、とんでもないな?!
「――あ、デュカリオン? 実はねー、……そう! そうなんだよ! うん、うん、わかった! 待ってるね!」
電話を切った美月が、嬉しそうな笑顔で告げる。
「あっちの世界の服を持ってきてくれるって!」
俺は思わず頬を引きつらせながら応える。
「おいおい、こっちで恥をかくような服じゃないだろうな。
ミニスカートなんて、大ヒンシュク間違いなしだぞ? 気を付けろよ?」
美月は小首を傾げていた。
「どうして? ミニスカート、可愛いじゃん」
「あのな、この世界の町の人間を覚えてるか?
みんな膝丈より長いスカートしか穿いてなかっただろ?
肌を見せるのは、それだけマナー違反ってことなんだ」
もしミニスカートを穿くとしても、タイツは必須になるだろう。
それで通用するかは、やってみないとわからんけどな。
美月にはひとまず、今のドレスで我慢してもらって改めてリビングに集合した。
俺は居並ぶみんなを見渡し、咳払いをしてから告げる。
「改めて、香月・滿汐・ヴォルフスベルク伯爵だ。
そして――」
「美月・滿汐・ヴォルフスベルク伯爵夫人だよ! よろしくね!」
みんなが拍手で俺たちを祝ってくれる中、俺は照れながら美月の肩を抱きよせていた。
十三歳だが、事実婚の妻として、正式に俺の伴侶となった女。
これからの生涯を共に歩み、俺が幸福にしていく女性だ。
みんなの拍手が鳴りやんでから、俺はアイリスに告げる。
「アイリス、お前の側室の件は、これからの共同生活で見極めさせて欲しい。
その生活の中で、俺がお前とも共に生きていけると思えたら、改めてお前を側室に迎え入れる――それで構わないか」
アイリスは微笑んで頷いた。
「はい、今はその希望だけで充分です。精一杯、ご期待に沿えるよう頑張ります」
その後、慎ましい生活の割に豪華な夕食が用意された。
俺は美月と、夫婦として最初の夕食を共にダイニングルームで過ごし、アイリスや赤竜、ハーゲンと楽しく笑いあいながら時間を過ごしていった。
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それぞれ別々に入浴を済ませた俺と美月は、夜の寝室で寝間着のガウンコートに着替え、一つのベッドの中で抱き合っていた。
真っ暗な部屋、月明かりが差し込むだけのどこかロマンチックな雰囲気で、俺は美月の耳元にで囁く。
「怖いなら、俺は無理強いをしない。
だがお前が『本当の愛』を知りたいというなら、俺は最善を尽くす。
どうしたいかは、お前が――」
俺の唇を、美月の唇が塞いでいた。
「……今さら、それは言いっこなしだよ。
私たち、もう夫婦なんでしょ?
式はまだだけど、胸を張って『私の夫だ』って言える人になったんでしょ?
それなら、私に『本当の愛』を教えて」
俺は美月の頬に口づけをしながら応える。
「……ああ、お前は『俺の妻』だ。誰に恥じることもない。
お前が望む愛を、俺が与えてやる」
その晩俺は、生まれて初めての愛の歓喜を覚えるほど、美月との愛に溺れて行った。
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明け方が近くなり、俺の腕の中で恍惚としている美月が、ぼそりとつぶやいた。
「これが、『本当の愛』なんだね。
私の細胞、ひとつひとつにあなたの愛が染み渡っていった。
もう私の全身の細胞が、あなたの与えてくれた愛で溢れてる。
今の私は『新しい私』、あなたの愛が私の全て。
私はあなたに愛されるために生まれてきたんだね。
あなたに愛されている私こそが、本当の私だった――お母さんが言った通りだったんだ」
俺は黙って、胸の中の美月を抱きしめ直し、その額に唇を落とした。