3.そして物語が始まる
目が眩む光が収まると、俺はだだっ広い部屋の中に居た。
赤い絨毯敷きの広間に、玉座にふんぞり返る髭のおっさん。周囲には鎧を着た兵士や騎士らしき男どもが大勢居並んでいた。
これは……謁見の間? いつの間にヨーロッパに飛ばされたんだ?!
周囲の男たちが目を見開いて俺の横を凝視していた。
――しまった、美月の奴、下着姿じゃないか?!
慌てて手を掴んでいた先を見ると、美月は好奇心に満ちた目で周囲を見渡していた。
「わー、なにこれ! ワープしたの?! どういう魔術?! それとも、テレポーテーションの異能?!」
俺はため息をついてから、着ていたワイシャツを脱いで手早く美月に着せていった。
「大人しく着てろ。ボタンくらいは自分で留めろよ」
美月は袖の匂いを嗅いで楽しそうに応える。
「あ、香月さんの匂いがする」
「そういうのは後にしろ!」
「はーい」
美月がボタンを留め始めたのを見てから、再び周囲に目を走らせる――男どもが心底残念そうに顔をしかめていた。欲望に正直で良いことだ。
俺の体格のワイシャツなら、美月にはミニスカートのワンピースくらいの丈になる。
俺はTシャツにスラックス姿になっちまったが、もうそれは諦めよう。
目の前に居た重厚なローブを着た男が、俺に告げる。
「――、――?」
……何を言ってるか、さっぱりわからねぇ。少なくともヨーロッパの言語でも、アジアの言語でもねーな。
さっきの魔法陣といい、あまり信じたくない仮説だが――ここは異世界じゃねーだろうな?
俺は左手を掲げて呪文を口にする。
「伝令の神よ! 我が言葉に力を与え給え! ≪神の勅使≫!」
俺の身体を、新たに神々しい力が包み込む――それを確認してから、俺は告げる。
「俺の言ってること、伝わるか? ここはどこだ?」
目の前の重厚なローブを着た男が、目を見開いて飛び上がるほど驚いていた。
「翻訳魔術?! 異界にも翻訳魔術があるのか?!」
……聞き間違い、じゃねーよな。今、確かにこいつは『異界』と言った。
俺は深く息をついてから、重厚なローブを着た男に告げる。
「あんたらの知ってる魔術とは違うだろうが、使える奴も居るってことだ。
それより質問に応えろ。ここはどこだ? 最初に俺たちに、なにを言った?」
重厚なローブを着た男が、咳払いをしてから襟を正した。
「失礼した。私は筆頭宮廷魔導士、カスパール・ローゼンクロイツと申す者。
ここはネーベルヴァーム王国の王城、その謁見の間。
最初に尋ねたのは『汝らが、異界の勇者か?』だ」
俺は頭痛を覚えて、頭を手で押さえた。
異界の勇者? 何の冗談だ?
「……確認するぞ。
あんたらは、何か目的があって異世界から俺たちを勇者として召喚した。
たぶん目的は国を守るとか、世界を守るとか、そういうテンプレだろう? 違うか?」
困惑した表情のカスパールが、戸惑いながら俺に応える。
「『テンプレ』の意味はわからんが、確かに窮地に陥った我が国を救う最後の手段として汝らを召喚した。
なぜそのような内情まで理解しているのか、異界の勇者はそこまでの神通力を持っているのか?」
俺は小さく息をついてから応える。
「そうじゃねーよ。こっちの創作物語じゃ、よくあるネタってだけだ。
まさか自分が巻き込まれるとは、夢にも思ってなかったがな」
困惑したままのカスパールが俺に応える。
「そうだったか、ならば話は早かろう。
汝らには我が国の窮地を救ってもらいたい。
現在、我が国は――」
俺はカスパールの言葉を手で制した。
「その前に、確かめておくことがある。
俺たちを元の世界に戻す方法、お前らは知ってるのか?」
カスパールは眉をひそめ、何かに悩んだように口を塞いだ。
「……おい? 正直に言わねぇなら力なんぞ貸してやらんぞ。
お前らが元の世界に戻す方法を知らんのなら、俺たちはここを出ていくだけだ」
「それは困る! 古文書の解読は一部しか成功していないんだ!
解読できたのは、異世界から勇者を呼び出す魔導術式だけで、戻す方法が記載されているのかもわかっていない!
本当だ、信じて欲しい!」
やけに必死になったカスパールが、血相を変えて告げてきた。
『魔導術式』、と来たか。ヴォーテクス・グループが広めてる魔導学が提唱してる、新しい魔術の名前と被る。
偶然の一致か? いや、確かめてみるか。
「おいカスパール、あんたちょっと火の初級魔導術式を使って見せてくれ」
困惑した顔で眉をひそめて、カスパールが俺に応える。
「それになんの意味が?」
「俺が知る魔導術式とあんたらの魔導術式が同じか、確かめたい」
困惑した表情のカスパールが右手を前に差し出し、手のひらを天井に向けた――その手に、小さな火が灯っていた。
俺たちの世界の理論は仮説の高層ビルで成り立ってはいたが、筋は通っていた。
それでも実際に魔導術式を使えた人間は、現代にはいなかったはずだ。
まだまだ発展途上の学問、それが魔導学だった。
だが今のカスパールが見せた『魔導術式』、魔力の流れは魔導学の理論通りに見えた。
俺はため息をついて告げる。
「ありがとよ、これで一つ手掛かりがつかめた。
俺の世界とこの世界は、何らかのつながりがある。
その古文書、後で俺にも読ませろ。解読を手伝ってやる」
カスパールが戸惑いながら俺に告げる。
「それは構わんが、喫緊の課題として敵国がすぐそばまで攻め入ってきている。
まずはそれを何とかして欲しい。
このままでは、我が国は滅亡を免れん」
俺はため息をついてからカスパールに告げる。
「じゃあまず、現状を教えろ」
カスパールが顔を引き締め、頷いて告げる。
「現在、我がネーベルヴァーム王国は、隣国フルスハイム王国とフロストタール帝国から攻め込まれている。
我が軍十万に対し、フルスハイム王国は十五万、フロストタール帝国は三十万の兵力を持つ。
攻め入ってきているのは共に五万ずつ、南北から挟撃を受けている。
我が軍を二手に分けて均衡を作ってはいるが、援軍がやってくれば瓦解は免れん。
まずその二国を追い返す手伝いをして欲しい」
十万の兵力で、十五万と三十万の国から挟撃だ? そりゃあ確かに、異世界の勇者なんぞに頼りたくもなるか。
俺は深いため息をついてから頭をかきむしり、カスパールに告げる。
「話は分かった。古文書を解読する時間を確保するためにも、そいつらを追い払う必要がありそうだ。
ちなみに今は何月で、何時ごろだ?」
「今は七月、夏の刈り入れ前だ。時刻は午前十時を……十二分過ぎたところだな」
カスパールが懐中時計を確認しながら俺に告げた。
カレンダーや時刻の概念は共通してるくさいな。
季節のずれはないが、時間は十二時間くらいずれてるか。
「魔導士が居るなら、大出力の魔導術式は使えないのか?」
「そのようなものがあれば、苦労はせんよ。
魔導士部隊は居るが、魔導術式が扱える対象はせいぜい十人を超える程度が限界。
大規模戦闘では数こそ力だ」
なるほどな。この世界の『魔導』の規模も、おおよそつかめた。
「わかった。俺たちに一日休息をくれ。俺たちは深夜に召喚されてここに飛ばされた。
まずは眠らせろ。
それに時差ぼけに身体をならすまでに数日はかかる。そのくらいは余裕があるだろう?」
カスパールが頷くと同時に、玉座でふんぞり返っていた髭のおっさん、まぁ国王だろう。そいつが口を開く。
「協力を感謝する。異界の勇者よ。
我が名はクルト・シュタールヴィント・ネーベルヴァーム。この国を治める王だ。
貴殿らは国賓として待遇する。
すぐに客間を用意するゆえ、しばし待たれよ」
俺は頷いて応える。
「よろしく頼むぜ、王様。
俺は滿汐香月、香月でいい。
こっちは竜端美月、美月で構わん。
それと、翻訳魔術は俺しか使えん。美月にも翻訳魔術を使わせる方法、何かないか?」
カスパールが懐から銀のイヤリングを取り出して差し出してきた。
「魔法銀の魔導具だ。
翻訳魔術が付与してある。耳に付けて居れば、言葉に困ることはない。
あいにく今は一組しかないが、カゲツ殿はなくても問題ないか?」
「急がないが、俺の分も用意してくれ。
この魔術を維持してると、他の魔術に差しさわりがある。
特に命がけの戦闘をするなら、全魔力を用いることになるかもしれん。
他の魔術を併用してる余裕なんぞ、なくなるからな」
俺はカスパールの手からイヤリングを受け取ると、呆気に取られている美月の耳に付けてやった。
「これでお前も、奴らの言葉がわかるようになる」
美月は頬を染め、俺をまじまじと見つめていた。
「……香月さん、なんでこの状況で交渉みたいなことを冷静にできるの?」
なんでって言われてもなぁ。
こんな状況はさすがに俺も初めてだが、仕事の延長だと思えば対応できなくはないし。
「大人ってのは、いろんな経験を覚えてるもんなんだよ。
お前も大人になれば、そのうちわかるだろ」
俺はその場で、美月にさっき聞いた事情を伝えていった。
美月は驚いて声を上げる。
「え?! 異世界なの、ここ?!」
「そこからかよ?!」
俺が疲れを感じながら声を上げた直後、背後から国王が俺に告げる。
「立て込んでる所をすまないが、客間の用意ができた。
案内させるゆえ、続きは部屋でしてもらえないか」
振り返ると、高級使用人らしい男がそばに立っていた。
「お部屋へご案内いたします」
「おう、頼む――それと、美月の服も用意してやってくれ。できれば俺の服もな」
俺たちは高級使用人が先導する背中を追いかけて、謁見の間を後にした。