フローラ
その声に振り向くと、そこには一人の女がいた。
柔らかなウェーブのある銀髪をたなびかせ、俺の視線に怯むことなく傲然と見返してくるその視線には俺といえども感嘆を禁じえない。年齢的には俺と同じくらいか…高い魔術的素養を持っているのか、その周囲には吹き荒れるような魔力が停滞しており、女を守っている。
――ほう、中々いい女じゃないか…。
精巧な人形を思わせる相貌だけでなく、纏っている『強い者』の雰囲気も俺好みである。
間違いなく、この女は俺の目的の人物だ。俺は理屈でないところでそう確信した。
しかし、納得いかない事が一つだけある。
これほどの女が父親の仕業とはいえ、周囲からの汚名をみすみす見逃すだろうか?
この女ならば、実の父親でさえその手で縊り殺してもおかしくはないはずである。
「初めまして、俺は安達棗。お前の名は?」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくしの名はフローラ・エル・ジャルバーンですわ勇者様」
そう言いながら着ている水色のドレスの裾をつまんで軽く礼をする。その様は実に様になっていて、彼女の美しさを引き立て育ちの良さを感じさせた。
「ところで勇者様。わたくしの従者の命、見逃していただけませんか?」
それは言葉通りのお願いではなかった。
俺が断れば即座に俺を攻撃するだろうことが魔力の流れと女の力強い瞳から感じられる。
「条件がある」
俺はそのフローラの態度に言葉にできない歓喜を覚え、しかし気取られないように冷静に言葉を紡ぐ。
「お聞きしましょう」
「お前を抱きたい」
まどろっこしいのは嫌いなので、俺は本心を口にする。それほどの俺はフローラに惹かれていたのだ。無論、それは恋愛などという甘いものではないのだが…。
「いいですわ」
「お嬢様!!」
問いの答えも簡潔だった。
アルガッドはまともに動かない身体でもがきながら、泡をくって叫ぶ。
「貴方は黙っていなさい」
「くっ」
しかし、それはフローラに届くものではなく、アルガッドは悔しげに唇を噛んだ。
「ですが、こちらからも一つだけ条件があります」
「そんな事が言える立場か?」
俺はアルガッドの頭に乗せた足に力を込める。ほんのわずかだったが、それだけでアルガッドは苦しげに呻く。どうやら身体能力の向上は俺の想像以上だったようだ。
「受け入れてくださらないのであれば、わたくしはここで舌を噛み切りますわ」
「………」
舌を噛み切るというのは、言葉で言うほどに簡単なことではない。とてつもない苦痛と恐怖が伴うある意味でとても残酷な死にかただ。
しかし――
フローラならばやるだろう。
一切の迷いも躊躇もなく。
「……いいだろう言ってみろ」
「お父様を助けていただけませんか?」
「……何?」
「お父様を――」
「それはもういい。分からないのは何から助けるか…だ。むしろお前の親父から助けてもらいたい人間の方が多いんじゃないか?」
「それは違います」
「違う?」
ええ、とフローラは頷く。
そして俺はある予感を抱く。
何かが始まる予感。
止まっていた歯車が回りだすような――
「お父様の汚名を晴らしたいのです」
「汚名?汚名というが、お前の親父が横領を――」
「それは違います!!」
フローラが声を荒げて否定する。
その形相は般若のように歪められ、瞳が憎悪に満ちていた。
「なぜなら――」
落ち着きと取り戻したフローラは俺の目をしっかりと見据え、決定低な言葉を口にした。
「お父様はもうすでに亡くなっているのですから…」
「はっ?」
それによって俺にしてはめずらしく頭が真っ白になってしまったのだった……。