9.スキルと魔眼
部屋から出ると、サミュエルが待っていた。
小走りで近づくと、「おかえり」と手を振っていた。
「今日、まだ時間ある?」
「そうね……。ええ、まだ明るいし大丈夫だと思う」
夕刻を過ぎれば、夜ご飯がない。以前まで管理をしていたという女は「時間に間に合わなきゃ、材料だけ置いて帰るからね!」なんて言っていた。料理が作れないわけではないけれど、本当に材料を置いて帰ってくれるかどうかの方を心配している。
「暗くなる前には帰せるよ」
微笑むその表情が胡散臭い。少しばかり嫌な予感がした。
けれど、それに加えてサミュエルの用事が重要なものであることも予感していた。
サミュエルは初めから意味ありげだった。『六色の魔法使い』のことなど最たるものだ。
どうして自分にこんなにも構うのか。
その理由も含めて、知るべきことが多くある。
(面倒ごと……でしょうけど)
対処が可能な程度であればいい、とレオノアはサミュエルの後ろについて歩き出した。
レオノアは何も知らない。貴族として知っているのが普通であることも、知る前に追い出された。
ふと、乙女ゲームの中身について思い出そうとした。けれど、詳しくは思い出せない。大雑把に内容を知っている、という程度だ。
アマーリアが前世の記憶によって今のレオノアへと変わったとき、紙もペンも手に入れることはできなかった。何も書き記すものはなく、己が記憶だけでずっと覚えておくことは困難だった。そもそも、元になった人格もそこまでこの『乙女ゲーム』に執着しているわけではなかったのだろう。
現在、覚えていることは自分が「悪役令嬢」になるはずだったこと。異母妹が「ヒロイン」であること。一部ゲームシステムと朧げなストーリー。それくらいだ。
サミュエルに連れていかれたのは、シュバルツ商会の、昨日話した部屋だった。
サミュエルは昨日と同じように魔道具を渡した自身の兄を見て、顔を引きつらせていた。
「レオノア、君は僕たちのことを何も知らないということでいいかな?」
僕たち、を指すのは例の魔法使いの話だろうと察して、レオノアはうなずいた。
それを確認してから、レオノアがどうして平民になっているのかの説明を求められたため、彼女はとても簡単に端折って説明をした。
「お父様がお母様をおそらく暗殺。大はしゃぎで愛人と娘を迎える。正妻との娘が邪魔になったので正妻の実家に送り付ける。実家の方も孫が邪魔。捨てる。平民の優しい両親に拾われて、今」
「雑な説明どーも。それにしても、そんなに殺意をたっぷり浴びてよく生きてたね」
「運が良かったのよ」
そもそも運が良ければ、あの冷え切った仲の両親から生まれなかったかもしれないが、レオノアはそれでも自信たっぷりに笑顔を作る。それが彼の心のどこに響いたのだろうか。サミュエルはどこか嬉しそうに口角を上げた。どこか悪い笑顔だ。
「いいね、それでこそ赤を纏う魔法使いだ」
そういった彼が語ったのはおとぎ話のような出来事だった。
かつて国の始まり……伝説における英雄の血筋。そして、その素養を持つ存在。それが彼の言う「六色の魔法使い」であるらしい。
子孫で特に才能の濃い者がレオノアのように対応した「色」の「髪と瞳」を持って生まれてくる。
金・赤・蒼・橙・碧・黒。
ただ、そう色の名前だけで呼ばれたかつての英雄たち。レオノアたちはその「生まれ変わり」とも呼ばれる、らしい。
「もう一人、桃色の髪と瞳を持つ『聖女』と呼ばれた魔法使いもいたようだけど……悲劇的な最期を迎えたとも、そんな女は存在しなかったとも言われている」
その言葉で、かつてほんの少しの時間、父であった男に殴られたときにいた少女を思い出す。
柔らかな薄い桃色の髪に、濃い桃色の瞳の愛らしい少女だった。アマーリアが居ない以上、今のハーバー侯爵令嬢といえば彼女になるのだろう。
きっと彼女が『聖女』である。そんな予感がレオノアにはあった。
「勝手に納得したような顔をしないでくれるか?君には得てもらわなければいけないものがあるのだから」
「得なければ、ならないもの……?」
「錬金術師として受け継いでいなければならなかった魔眼だよ」
魔眼なんてなくたって、錬金術はできるだろう。そう思ったレオノアが眉をひそめた。一応は話を聞く用意がある。
事情を聞いてから決めようと、「それは何?」と尋ねる。
「俺たちが受け継いだ才能だよ。俺にも君とは違うだろう魔眼がある」
レオノアはもう貴族ではないし、そこまでの出世欲もない。村に住む薬師の「おばば」のように調薬で生計を立てていけるようになれればそれでいい、くらいの考えだ。多くを望みすぎるとろくなことがないと彼女は感じていた。
「……無理して手に入れるほどのものだとは思わないけれど」
「そうかい?きっと便利だと思うけど。それに……」
一気に複雑そうな顔になる。
「隠していても、いつかはバレる。いらぬ力は厄介ごとを招くと思っているのかもしれないけど、貴族なんかに目をつけられたなら逃げるにも力が必要になるよ。守りたいと願うものがあるのなら、なおさらね」
一番、恐れていることだ。
レオノアにとって一番大切な家族。それを奪われることだけは許容できない。
「必要だと思った時にこれを飲むといい。これは俺の死んだ祖父……まぁ、先代だな。彼が保管していた力を引き出すという薬だ。俺としては身を守るためにも力を得ておくことが悪いことだとは思えないけどね」
判断を委ねられて、レオノアは息をのむ。
どちらが正しいのかなんて、まだ判断がつかなかった。
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