56.いなくなった碧
逃げる準備として、ポーションや食料の調達、武器の新調や防具の整備を行っていたある日のこと、アダムス伯爵家が旅立ったという噂を聞いたレオノアは感心していた。
タイミングが良すぎる。
学園で、マリアが「アダムス伯爵令嬢が意地悪をするの」と周囲に呟いたその翌日にはもう姿を消していた。
(『婚約者が早く来いとしつこいの』なんて手紙には書いてあったけれどどこまで本当かしら)
彼女の婚約者は他国の有力貴族だ。それにしたって、家族まで皆、国を出てしまったあたり、何かが起こる予感がする。彼女もまた、家族は大事にしているようだった。
レオノアは苦笑しながら「さて、どうしましょうか」と呟いた。
周囲はレオノアが出すぎた真似をしなければ何もしなかった。だが、それはイザベラが後ろで動いてくれていたおかげでもあることを彼女は勘づいていた。現に、すでにいくつかの嫌がらせが始まっている。こんなことをする暇があるのなら勉強でもすればいいのに、とレオノアは思うけれど、犯人はレオノアの足を引っ張って成績を落とせば、ルーカスたちから引き離せると考えている。
だから選ばれないのだと気づくことも無い。
(春季休暇が待ち遠しいわ)
期間が短いために村まで帰ることはできないが、少なくとも嫌がらせにあうことはない。友人と一緒に過ごせるし、今以上に辛いことにはならないだろう。
レオノアは正直なところ、故郷に戻りたかった。友人も仲間もいるけれど、勉強もできるけれど、王都にいても面倒なことや辛いことが多すぎるのだ。平穏に過ごすことができたなら、魔力なんていらないのにと心の底から思う。だが、それが許されない以上、踏ん張るしかないことも知っていた。
学園の授業が終わると、レオノアはすぐに教室を出た。
誰かに絡まれることも増えて、そのたびにルーカスやウィリアム、オリビアなどが助けてくれるけれど、そのことが更に彼らを煽っている気がする。
とはいえ、誰かに間に入ってもらえなければ、逃げることすらできない。だから感謝はしている。
そのまま、誰かに話しかけられないように注意しながら寮に帰り、着替えて冒険者ギルドへと向かった。
「それで、何で黙々と薬草採取してるんだい?」
「欲しいから」
短く答えられたそれにルカは苦笑した。非常に機嫌が悪いようだ。態度が悪いと思ったのか、レオノアは一度深呼吸をしてから「ごめんなさい」と謝った。
「今、少し厄介ごとが多くって。八つ当たりしてしまったわ」
「別に怒鳴ったり殴ったりしてくるわけじゃないんだから、謝るほどではないよ」
「嫌な気分にさせたなら、それは謝るべきことだわ」
レオノアはそう言って「ダメねぇ、私も」と苦いものを嚙み潰したかのような表情をした。
ルカはそんな彼女を見ながら、自分の周囲で騒いでいる人たちのことを思い出して苦笑する。彼女のようにすぐに自分の行動を反省してくれるような者たちが多ければよかったのに、なんて考えてしまう。
「ポーションの大量生産でもするのかい?」
「色んな種類のポーションを常備しておこうと思って。最近物騒でしょう?」
「……確かにね。例のメデューサの件聞いた?」
「ええ。……人為的に連れ込まれたものだったらしいわね。驚いたわ。あんな危険な生物を連れ歩こうなんてまともな人では考えないもの」
「卵を運んで、ダンジョンにやってくる冒険者や弱い魔物を食わせて成長させたらしい。まぁ、犯人らしきものもすでに捕食されているようだったけど、そういった手段で危険な魔物をダンジョン外へと運び出す人間がいることが発覚したから、今後ダンジョンに入る際と出る際の検査が強化されるらしい」
レオノアも考えていたようにいままでそんなことをやろうとした人間はいなかった。だが、現実にやらかした愚か者が現れた以上、対策を取らないわけにはいかない。
「おい、ルカ!いきなり走って……レオノア、久しぶりだな!」
「……なんか、ウィルの顔を見ていると落ち着くわねぇ」
「ホッとするね」
話題が話題だけにどこかピリピリしていた二人は、ウィルの姿を見て少し和んだ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
ウィルは意味わかんないと思うし、ルカに怒っていい。