1.逃走
前に書いたもののセルフリメイクバージョンです。
少女は走っていた。
嵐の中を、小さな足で懸命に。
やがて、大きな木のうろを見つけると、その中に潜り込んで息をひそめた。
雨に濡れた身体が震える。それは寒さのせいでもあるし、外から聞こえる男たちの怒号のせいでもあったかもしれない。
少女は膝を抱えて、息を殺して、どうしてこうなったのだろうと大きな瞳に涙を浮かべた。
雷鳴はまだ止まず、男たちの声が遠ざかっても恐怖はぬぐえない。
小さな手で耳を塞いで、どうしてこうなったのだろうと思いを馳せた。
少女の名はアマーリア・ハーバー。
本来ならば、ハーバー侯爵家の令嬢であり、当主の第一子である彼女は大切に守り、育てられるべき立場であった。
けれど、今、アマーリアはこうして自分を害する人間から一人で逃げることを強いられている。
そのきっかけは、母の不審死。そして、その喪が明けるのも待たずして迎え入れられた愛人とその娘であった。
母を亡くし、やっと帰ってきた父は「今日から彼女が侯爵夫人になる」などと告げれば、五歳の女の子が反発を覚えるのも仕方がないだろう。けれど、「認めない」と叫んだアマーリアは父に殴り飛ばされた。その際に、頭を強打して気を失う。
医師に診せられることもなく、アマーリアは馬車に押し込まれると母親の実家に連れていかれた。
――アマーリアはそこでも受け入れられることはなかった。
「お前さえいなければ、あの子が死ぬことはなかった!!」
そう怒鳴ったのはアマーリアの祖父だった。
朦朧としていた意識が、そこでようやくはっきりする。
アマーリアのせいだなんてとんでもない。彼女は何かをできる立場ではない。
それを訴えるけれど、屋敷に受け入れられることはなく、しかし家には戻れない。すでに馬車は走り去り、アマーリアは着の身着のまま放り出されることになった。
そうして彷徨い歩くことになった彼女は、人攫いに目をつけられた。
赤い髪、赤い瞳のアマーリアはたいそう美しい少女だった。高価なドレスを身に纏い、困惑した様子のアマーリアは彼らにとって高く売れる良い商品に見えただろう。
明らかにまともでない男たちに声をかけられたアマーリアは咄嗟に逃げ出した。大人の通れないような細い小道をボロボロになりながら走って、そのうち天候が崩れて嵐になる。
そうして、今に至る。
父親と祖父の所業から、アマーリアの精神は擦り切れていた。
殺された、といっても過言ではない。
母を失い、父に殴られ、祖父に捨てられる。
五歳の少女にとってそれがどんなに辛い出来事であったか。
結果として、その出来事はアマーリアの心を殺し、その魂で眠っていたはずの存在を呼び起こした。
アマーリアの中には、もう一つの魂が眠っていた。
違う世界、『日本』という国で生きていた女の精神である。
その国で若くして亡くなった女は『転生』という形でアマーリア・ハーバーとして生まれた。けれど、決して表に出てこようとは思わなかった。
ずっと、ずっと、眠っていた。
女にとって、この世界で生きていく資格があるのは『己』ではなく、生まれたばかりの小さな女の子だった。アマーリアを制してまでこの世界で生きようだなんて思わなかった。
しかし、アマーリアが周囲の仕打ちに耐えかねて、消えてしまった。つかもうとした魂も、こんな世界ならもう要らないとばかりに天に昇って行った。
そうして、アマーリアの記憶を受け継いで、女は膝を抱える。
涙は、もう出なかった。
前に書いたものからちょくちょく設定とか時系列とかは変わるかも。
とりあえず、ストックあるうちは毎日更新できるかと!