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その日の午後、予定通りウィリアム王子が帰国した。
ふわっと城に現れたウィリアム王子は、最後に会った時と変わらない優しげな微笑みを浮かべていた。
父の国王陛下に優しい言葉をかけ、兄セオドラ殿下の姿を見て涙した。ソフィア妃殿下に対しても義弟としての態度を崩さなかった。
私達の知っているウィリアム王子だった。
こいつが、ヒューイット…なのか?
私には信じられなかった。
…これが幻術の力?
偽物と知っていても、惑わされる。
翌日、予定通りセオドラ殿下に目覚めていただいた。
ベッドの横に妃殿下とウィリアム王子が並んで座った。トルディオン王子はその後ろでウィリアム王子になっているヒューイットの心を読んでいるはずだ。
ウィリアム王子の態度は崩れない。
挨拶を終えたトルディオン王子とウィリアム王子の2人は病室から出て、隣の応接室に入って行った。
私はドアの外で警護に当たっていた。
ルーク殿は席を外し、幻術について調べていた。
ところが、しばらくして妃殿下の叫びにも似た声が病室に響き渡った。
「えっ?…セオドラ様?
えっ?ええっ…?
セオドラ様?お体が…?
ど、どうしましょう…。
誰か!誰か来てください!早く!
セオドラ様が!あぁ、ど、どうしましょう。
早く来て!誰かっ!」
私が慌てて病室に入ると、セオドラ殿下は体が全く動けなくなっていて、予想外の出来事にソフィア妃殿下が狼狽えていた。
すぐさま、医師達が診察したが何もわからない。
殿下、しばらくのご辛抱ですぞ、と私は言ったが、なんでこんな事になっているのか、全くわからなかった。
戻って来たルーク殿は腕組みをして、苦虫を噛み潰したような顔をしてセオドラ殿下を見ていた。
ソフィア妃殿下はずっとセオドラ様の側にいて、泣いていた。
「セオドラ様。
わたくしがずっとお側におります。
セオドラ様…。
大丈夫です。わたくしが、おりますから!」
その声を聴きながら、セオドラ殿下は、ゆっくりと目を閉じて眠ってしまわれた。
それは普通の眠りではない。いつ醒めるのかわからない、深い眠りだった。
ソフィア妃殿下は立ち上がり、涙を拭って大声で言った。
「出て来なさい。ヒューイット!
わたくしの前に姿を現すのです!
隠れていないでここに来なさい!」
ケタケタケタ…
ウィリアム殿下が笑いながら応接室から入って来た。
バレてましたねぇ、と言う声はウィリアム殿下のものではなかった。
「ソフィア…」
開け放った応接室のドアの向こうに、トルディアン王子のものと思われる足が見えた。足…だけが。
「ト、トルディアン王子…?
ヒューイット!何を、何をしたのですっ!」
「見ればわかるでしょう?
足だけになったんだよ。俺をナメてるからあんな事になってしまって…。
でもね、大丈夫だよ。痛みを感じる間もなかったはずだからね。」
ヒューイット!!
「そんな事よりさ。ソフィア。久しぶりだね。」
ウィリアム王子の体がゆらりと揺れて、ヒューイットが初めて姿を現した。
どこにでもいる普通の男。
背は高くもなく、低くもない。太ってもおらず、痩せてもいない。
その辺を歩いていそうな、普通の男。
なのに…。
そこにいるだけで背筋がぞくりとする。
まとわりつくような眼差しに恐怖を感じる。
「おやおや…なんていう顔をしてるんだい?
ソフィアを迎えに来てあげたんだよ。嬉しい顔をしなくちゃだめじゃないか。」
ヒューイットは一歩、また一歩とソフィア妃殿下に近づいて行く。
両手を広げて、にこりと笑い、優しい声でソフィア妃殿下を呼ぶ。
「ソフィア。
さぁ…恥ずかしがらないで。こっちにおいで。
待たせて悪かったね。」
ソフィア妃殿下は一歩前に出た。
「いい子だね。さあ、おいで。」
妃殿下はヒューイットの顔をじっと見つめてさらに一歩近づき、ヒューイットは妃殿下をその腕に抱き締めようとした。
パンっ!!
妃殿下が思い切りヒューイットの頬を叩く音が病室に響いた。
「おお〜っ!痛い、痛い。」
ヒューイットは頬をさすりながらソフィアに、ニタリと笑った。
「そうか、そうか…。
ソフィアはえらいねぇ。こんな事も出来るようになったんだ。小さい頃は何もできず、俺にすがり付いて泣いているばかりだったのに。大人になったね。」
そして、ちょっとだけ眉を八の字にして、ソフィアを見つめた。
「きっとまだ、思い出せないんだよ、俺との約束。かわいそうに…。
仕方ないなぁ。少し、時間をあげるね。」
ヒューイットはゆらりと揺れて消え始めた。
「1週間後のこの時間に、またここで会おうね。
俺のソフィア。
それまでに思い出すんだよ。俺との約束…」
ヒューイットの声だけが辺りに響いた。
その後は大騒ぎとなった。
セオドラ殿下の眠りの原因は全くわからないと医師達は言ったが、マリアンヌさんはルーク殿と私に小さな声で言った。
「もしかしたら、殿下の片割れが抜け出て、どこかで呑んでいるのかもしれません。探せないでしょうか?
片割れが体に戻って来たら、殿下の意識も戻るのではないかと…。」
大きく頷いたルーク殿は、何がなんでもセオドラ殿下を連れ戻せ、と命令を出し、配下の者達を国中に送った。どこかの酒場で飲んだくれているはずだ、と。
パール国の牢にいるというウィリアム王子の確認もとれない。パール城はその殆どがタマラ兵に占拠されていたからだ。
国王陛下は報告を聞くと、じっと天井を見つめて動けなかった。ロッシュ宰相もそんな国王陛下を見ているしか出来なかった。
トルディオン王子は足しか見つからず、護衛に付いていた者達は全員遺体で部屋の中で発見された。いつヒューイットにやられたのか、誰にもわからなかった。何の物音もしなかったからだ。
ハンナ妃は気を失ってしまった。
エリも動けない。
カオスと化した城の中で、ソフィア妃殿下は冷静だった。皆をいたわり、励まし続けた。
しばらくすると異変を察知した王都の皆が城の周りに集まって来た。どの顔も不安で曇っている。
すると、ソフィア妃殿下は皆が止めるのを振り切ってバルコニーに立った。
「王太子妃のソフィアです。
皆さん、冷静になりましょう。わたくし達は何があっても皆さんと共に在ります。
皆さんはそれぞれの家にもどって自分の大切な人を、愛する人を守って下さい。
わたくし達の願いは1つです。
これからも幸せな暮らしを続ける事です。小さな幸せを見つけて、皆で前に進んで参りましょう。」
白銀の髪をなびかせて皆に語りかけるソフィア様は光り輝いて見えた。
いつの間に、ソフィア妃殿下はこんなに強くなられたのだろう…。
セオドラ殿下と結婚された日、このバルコニーに2人並んで立っていたのは、まだ可憐な少女と言ってもいい17歳のソフィア様だった。
純白のドレスを纏い、瞳の色と同じすみれ色の小花を混ぜたブーケを手にして、このバルコニーに立ちセオドラ殿下と皆に手を振って笑っていた。
そうだった。結婚式の日、セオドラ殿下は私に深々と頭を下げてこう仰ったんだ。
心からの感謝を!
今まで、本当に有難う。
これからも私を支えてほしい。
私は片膝を着き、右手を左胸に当てて頭を垂れて、こう答えた…。
これからも誠心誠意お仕えいたします。
この時、私の中で、私のやらねばならない事がはっきりとした。
セオドラ王太子殿下とソフィア妃殿下を何があっても守り抜く。
それが親衛隊副隊長であり、セオドラという男の友である私の役割なのだ。
この時、私は覚悟を決めた。
自分の名誉を捨てでも、人の誹りを受けてでも生き続け、お2人を守り抜く。
何があっても…。
 




