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王太子の結婚 〜飲んだくれの俺が幸せを見つけるまで〜  作者: 雪女のため息
〜暗闇の向こうに〜
56/73

6

 明るい陽の光が入る部屋で、俺は目覚めた。


 見覚えのないその部屋は薄いクリーム色の壁に、淡いピンクのカーテンが掛かっていた。


 ここはどこだと辺りを見回すと、そぐ側にソフィアがいて不安げに俺を見ていた。


「…セオドラ様?…セオドラ様!!

 目が覚めたのですね。

 よかった。よかったですっ!

 どうしようかと、わたくし、不安で…。」


 ソフィアがポロポロと涙を流して俺の頬に手を伸ばし、そっと撫でた。


「皆を呼びましょうね。」


 医者の元に行ったのか、誰かが部屋を出て行った。


 覚えていらっしゃいますか?とソフィアは俺に聞いた。


「セオドラ様は暴言を吐いたマリアンヌのここをこうやって掴んだのです。」


 ソフィアは自分の胸ぐらを掴んで見せた。

 俺は頷いた。


「そうしたらセオドラ様の姿勢が崩れて、頭を打ってしまって…。

 わたくしが叫んだので、皆が飛んで来てお城の中は大騒ぎになってしまいました。」


 ソフィアはまたポロポロと涙をこぼした。


「なのに、セオドラ様はなかなか目を覚ましてくださらないのですもの。


 お義父様はセオドラ様が倒れたと聞いて、びっくりしてウィリアム様を呼び戻してしまうし…。


 ハンナさんはトルディオン王子を呼び戻してしまって…。


 わたくし、もう、どうなることかと心配したのです!」


 ソフィアはそう言って、横たわっている俺の胸に顔を埋めて大泣きした。


 いやいや、すまなかったと言いながら辺りをよくよく見ると、弟のウィリアムがソフィアの隣に座っている。


「おにいさま、こんにちは!」


 へらっと笑いながらウィリアムが俺の顔を覗き込む。


「兄上が死にかけてる…みたいな手紙を持った騎士が慌てた風情で私の所に来たんで、すっ飛んで帰って来てみたら、なんと、頭を打って長々と気絶してるって…。

 なんですかね、心配して損しました。

 アズールの学校には休学届を出して来ちゃったのにすぐ帰るのも…ね。

 だからしばらく、こっちにいます。

 まあ、ゆっくり寝ていてください。」


 ウィリアムの後ろから、ほっとした顔のトルディオン王子が顔を出す。


「殿下…。心配しました。

 でも、目が覚めてよかった。」


 2人は、目が覚めたのなら長居は無用…と帰って行った。



 その後ろ姿を見送りながら、俺は聞いた。


「なぁ、ソフィア。

 俺はどれくらい寝てたんだ?」


 ソフィアは鼻の頭を赤くし、手巾で眼を押さえて言った。


「1週間!

 1週間も起きてくださらなかったのです!!」


 えっ?そんなにか…!


「わたくし、どうしていいか分からなくて…。 本当に心細かったのです!」


 すまなかったな、でも、もう大丈夫だ、と起きあがろうとすると、体が言う事を利かない。どうしたのか、と足掻くとソフィアが眉間に皺を寄せた。


「えっ?…セオドラ様?

 えっ?ええっ…?

 セオドラ様?お体が…?

 ど、どうしましょう…。


 誰か!誰か来てください!早く!

 セオドラ様が!あぁ、ど、どうしましょう。

 早く来て!誰かっ!」


 ソフィアが助けを呼ぶと、ジェイクが慌てて部屋に入って来た。


 それからしばらく、色々な者達が部屋に入り乱れた。落ち着いたのは日が暮れる頃で、やっぱり俺の体は動かなかった。


 医師がやって来て説明はしてくれたが、結論は…体が動かない理由はよくわからない、と言う事だけだった。


 ジェイクは渋い顔で俺の手を握り、殿下、しばらくのご辛抱ですぞ、と言った。

 ルークは腕組みをして、苦虫を噛み潰したような顔をした。



 ソフィアはずっと俺の側にいて、泣いていた。


「セオドラ様。

 わたくしがずっとお側におります。

 セオドラ様…。

 大丈夫です。わたくしが、おりますから!」

 

 ソフィアの声を聴きながら、俺はまた、ゆっくりと眠りについた。


 



 眠っていた間、俺はずっと夢を見ていた。

 いつもの夢ではない。

 ただ何もない真っ暗な空間で俺が1人走り続ける夢だ。


 ソフィア…どこだ?

 そう言いながら走り続ける。


 返事はない。何も聞こえない。 


 俺の後ろから暗闇が迫ってくる。

 暗闇はどんどん迫り、俺を取り込もうとする。

 追いつきそうで、わざと追いつかない暗闇は、まるで俺をいたぶっているかのようだ。

 

 息が苦しい。

 足がもつれる。


 それでも俺は走り続ける。

 いつまで経っても、夢は醒めない。

 夢だと分かっているのに、走り続けている。


 

 誰か、誰か!助けてくれ!

 俺は1人で走ってるんだ。助けてくれ!

 

 おい、ジェイク!ローリー!ルーク!

 どこだよ。


 ソフィア、ソフィア、ソフィア!

 俺のソフィア!ソフィア!

 俺はここだ!

 

 あぁ!もうだめだ。

 そう思って倒れた時、俺は目を覚ました。





 ソフィアは俺の側にいた。そして、やつれた顔で俺を見て、微笑んだ。


「あっ!セオドラ様…

 やっと…、やっと目が覚めてくださった。

 セオドラ様、わたくしが分かりますか?」


「あぁ、勿論だ。ソフィア。

 ソフィア、ここはどこだ?

 俺がここにいて、大丈夫なのか?


 パール国はどうなった?トルディオン王子は?

 俺はこんな所にいてはいかんだろ?

 仕事が溜まって皆が困っているだろう?」


  

 矢継ぎ早に問いかける俺を、ソフィアは悲しい眼で見つめた。

 

 セオドラ様…。

 ソフィアは俺の名を口にして、さめざめと泣いた。


「ごめんなさい。セオドラ様。

 わたくしのせいで…。ごめんなさい。

 許してくださいませ。」


 ソフィアは俺に縋りつき、謝り続けた。


 ふと見ると、部屋の窓から赤い月と青い月が見えた。でも、その形は妙に歪んで見えた。


 ソフィアの嗚咽を聞きながら、俺はまた長い眠りについた。そして、夢を見た。




 暗闇の中に1人の男が立っていて、俺を指差し嘲る。


 ざまぁねえな。

 でも、お前の望み通りになっただろ?

 ソフィアを助ける代わりに、お前はどうなっても構わないんだろ?


 俺がお前の望みを叶えてやったんだ。

 俺に感謝するんだな。


 みじめな最期をセオドラ殿に…!

 



 男が大声で笑った。


 ざまあみやがれ!





 そして、目が覚めた。



 

 俺は相変わらず、薄いクリーム色の壁に、淡いピンクのカーテンが掛かる部屋に寝ていた。


 だが、何かが違う。

 部屋の中は薄暗く、壁は薄汚れ、カーテンも汚いシミがついていた。どこからかゴミの腐った臭いが漂っている。


 おい、誰かいるかい?と出した声に自分で驚いた。俺の爺様の声と同じだった。


 誰も返事をしないので、俺は起き上がってみた。

 

 …なんだ、俺は動けるじゃないか。

 

「おい!誰かいないのか!

 ソフィア、どこだ?」


 でも、体は俺の思うようには動かない。ふらふらとしながら部屋のドアを開けてみる。


 部屋の前にいるはずの護衛もいない。

 しんと静まり返った廊下には人影もない。


 よろよろと壁に手をついて歩いていると、後ろから悲鳴が聞こえた。


 ゆっくりと振り返ると、そこにはソフィアとソフィアを護るように歩くジェイクがいた。

 

 セオドラ様?


 ソフィアは俺を見てそう呟き、ふらりと揺れた。

 気を失って倒れるソフィアを支えながら、ジェイクが声をかける。


「ソフィア様っ!」


 俺はもう立っていられなくて、その場に崩れ落ちた。


「セ、セオドラ殿っ!」


 ジェイクの叫び声がゆっくりと俺の頭をかすめて行く。また俺は眠りについた。




 もう、俺は夢も見なかった。




 そして、突然、目覚めた。

 意識が朦朧としながらも目が覚めたのだな、と俺は分かった。


 どれくらい眠っていたのだろう。

 ここはどこだ?


 その部屋の鼠色の壁にはなんとも言えない染みがあった。どこからともなく、タバコと油の混じった匂いがする。

 酔っ払った男達の声、女達の嬌声…


 えっ?ここは、どこだ?


 部屋のドアが静かにあいて、女が1人入って来た。


 柔らかな雰囲気でわかる。ソフィアだ。


「まぁ!セオドラ様!

 眼を開けてらっしゃるのね。」


 ソフィアは俺の側にある椅子に座り、俺の頬をそっと撫でる。


 俺はもう…声も出せないらしい。

 

「わたくしがお分かりになりますか?

 赤いチューリップを休み時間に買って参りました。あの四阿で一緒に見たいのですが…。今は叶いませんね。」

 

 俺に話しかけるソフィアは、今幾つなのだろう。

 

 白銀の美しかった髪は短く切っていて、顔にはいくつもの深い皺が刻まれている。唇も少しひび割れているようだ。

 俺の顔を撫でているその手は荒れてガサガサしていて、痛々しい。


 ソフィア…?

 何があったんだ?



 ドアをノックする音がして、男が入って来た。


「ソフィア様…。入りますぞ。

 おや、なんと!セオドラ殿が目を開けておられる。」


 あぁ、その声はジェイクだ。


 休み時間がそろそろ終わります、とジェイクが言った。


「わたくしは、もう少しここにおります。

 だって、セオドラ様が眼を開けておられるのですもの。」


 ソフィアの声にジェイクが言った。


「ソフィア様、セオドラ殿は何も分かってはおられますまい。

 酒場の店主にまた食事を抜かれますぞ。参りましょう。私はソフィア様のお体が心配です。」


 ソフィアは眼に涙を浮かべている。


「ジェイク、先に行ってください。わたくしだけでも、ずっとお側にいて差し上げたいのです。もう、セオドラ様のお側にいるのはわたくしとジェイクの2人だけなのですもの。

 皆、あいつらに殺されてしまって…。」


 ジェイクはソフィアを悲しげに見た。


「ソフィア様!!参りましょう!

 働いて食事をもらい、明日もセオドラ様に元気なお姿を見せて差し上げましょう。

 さあ、行きますぞ!」


 ソフィアはジェイクに頷き、悲しそうな顔で俺にキスをして部屋から出て行った。ジェイクは俺に親衛隊の礼をして、そっとソフィアの後に続いた。



 1人で部屋の天井を見ながら俺は心の中で呟く。


 何が起きたのだろう?

 皆、殺された…のか?


 俺が分かったのは、今のソフィアが幸せではない、という事だ。


 そして、ソフィアを護ってくれるのは、もうジェイクしかいないに違いない。


 俺はソフィアの幸せだけを願っていたのに。

 ソフィアがずっと元気で、楽しく過ごせる事を俺は願っていたのに。


 そのためなら、俺はどうなっても構わないって…。


 惨めな最期…。


 みじめな最期をセオドラ殿に…!




 

 ああ、やっと思い出した。なぜ今まで思い出さなかったのだろう。でも、やっと、思い出した。

 俺にそう言って、笑った男の事を。



 あの日。



 ソフィアが入院し、今回はもうだめだ、静かに見送って差し上げましょう、とマリアンヌをはじめとする医師団が俺に言った日だ。


 そう、あの日。

 あの男が言ったんだ。



 よろしいでしょう。

 その代わりに…

 みじめな最期をセオドラ殿に…!

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