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俺が急いで自室に戻ると、ソフィアがいつになく大はしゃぎで俺に抱きついた。
「セオドラ様!お帰りなさいませ。
わたくし、今日はこども園に行ってきたのです。
嬉しくって!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるように喜んでいる姿は、幾つになっても変わらない。白銀の長い髪を半分だけアップにし、うす紫の小さな花飾りを付けている姿は本当に愛おしい。
そんなソフィアの頭を、俺はゆっくりと撫でる。
この自室から離れた所にはしばらく出れないよと言ったら、ソフィアはどんなにがっかりするだろう。
王立こども園は何年か前に俺が作った。
王城の中にあり、皆の就労時間中に子供を預かる施設だ。
いつだったか、ソフィアはこども園に行って子供達と遊び、風邪を移された。そして、しばらく寝込んでしまい、そのまま入院か…と皆を慌てさせた。
今年は風邪予防のための新薬が出来たので、俺もソフィアも注射をしたんだ。その効果が出る頃なのだろう。ずっとこども園に行きたいと言っていたソフィアに、マリアンヌが許可を出したのだ。
「今日は私服の騎士達に護られて、ハンナさんと共に子供達の世話を手伝って帰って来たのです。」
ソフィアは楽しそうに話し出す。
男装のジュエルは子供達に大人気で、大勢の子供に囲まれて、あたふたとしていたとソフィアが笑った。
私はどうすれば良いのでしょう、と足元に纏わりついて離れない小さな子供達に、ジュエルは仁王立ちになって固まった。
「ほら。こうして屈んで目線を子供に合わせ、お話しすれば良いのです。」
子育ての経験のあるハンナ妃にそう言われ、屈んだジュエルは、ほほう…と嬉しそうな顔をした。
「これ。お前は鼻水を垂らしている。
こっちに来なさい。」
と、まだバブバブしか言えない子の鼻水を手巾で拭いてやり、
「おいおい。お前は何故にそんなに泣く?
ここに来て話してみなさい。」
と、言って別の子の背中を撫でやったりするうちに、子供達がジュエルの膝で眠ってしまい、動けなくなったジュエルもこくりこくりと居眠っていた。
帰り際にジュエルは手を振りながら、また来るから待っていなさい、と子供達に言い、私は忙しいのだけど…と小さな声で呟きながら満更でもない様子だった。
「ジュエルはとても楽しそうでした。」
ソフィアも楽しかったのだろう。次々に子供達の事を話し続ける。
ソフィアは赤子達のおむつを変え、ギャンギャンと泣く赤子にミルクをあげ、よしよしとあやして帰って来たという。
その中には半年ほど前に生まれた、アランとアリスの子もいて、一際大声でミルクを欲しがって泣き、こくこくとミルクを飲んでいたそうだ。
俺は楽しそうに話すソフィアを見ていたんだけど、ソフィアが心配そうに聞いた。
「…わたくし、嬉しくって話しすぎてしまいました。
セオドラ様はお疲れのようですもの…早くお食事にいたしましょう。」
「待って…ソフィア。話がある。」
俺はソフィアを抱きしめて、言葉を選びながら言ったんだ。
「しばらくの間、王城のこの部屋の近くにいて欲しい。最近、変な出来事が多いんだ。
ジェイクが身辺警護を強化することになっているから心配ないけど、念の為に…ね。」
しばらく頬を膨らませていたソフィアは、頷いた。
「皆で刺繍に使っているお部屋はいいでしょうか?これから生まれてくるベラの子に、皆でプレゼントを作ろうと相談しているのですもの…。」
あぁ、それくらいなら大丈夫だろう、と俺はソフィアの白銀の長い髪を手に取って口付けた。
…心配させるから、何があったのかは言えない。
でも、ソフィアの事は守りたいんだ。
俺の愛する、ソフィア…。
ニコッと笑ったソフィアに軽く口付けをして、ソフィアの手を取り、2人でダイニングルームへと急いだ。
それからしばらくは、何も起きなかった。
ルークも、殿下の気のせいだったかもしれませんな、と言い、ソフィアの暮らしも元に戻そうか、と言っていたんだが…。
ある昼下がりの事だ。
執務室から何気なく外を見ると、ソフィアとハンナ妃が四阿でお茶を楽しんでいた。
離れて護衛をしているのはジュエルで、微動だにせず辺りを見ていた。
のどかな昼下がり。何を話しているのか、2人はコロコロと笑っているのがわかった。
すると突然、ジュエルが黒い闇を纏って走り出した。ジュエルは剣を抜き、何かを叫びながらソフィアに向かい…そして、ソフィアの首元に剣を…
「!ソフィア!!」
俺は慌ててソフィアの元に飛んだ。
ソフィアとジュエルの間に立った俺はジュエルを睨みつけた。
「何をしようとした!
言ってみろ、ジュエル!
えっ?声が聞こえんぞ!言え!
ソフィアに何をしようとしたんだ!」
……?
「殿下?
どうされたのですか?」
ソフィアが立ち上がり、俺の手を握って不安げに俺を見た。
「どう…って、ソフィア。」
…お前、命を狙われてたんだぞ…。
そう言いかけて周りを見ると、四阿の椅子に座るハンナ妃が俺を見て眼をパチクリとさせていた。
ジュエルは手巾を手に持ち、えっ?という顔で俺を見た。
わ、私は…
「ソフィア様の手巾が…落ちて風に飛びましたので、それを拾って…。」
ジュエルの手が微かに震えているのが分った。
すると、俺の背後からジェイクの長閑な声が聞こえた。
「殿下、もうよろしいでしょう?
ジュエルが驚き過ぎて、震えておりますぞ。
ジュエル、驚かせて済まなかった。
妃殿下とハンナ妃、それにジュエルの仲が良いので、王太子殿下が少し悪戯をしたんだよ。
殿下の悪戯はタチが悪い!」
いつの間にかジェイクが俺のそばにいて、ニタニタと笑っていた。
辺りには真っ黒な闇は、どこにもなかった。
誰も騒がなかった。
何も起きていない…のか?
…闇は?見間違いなのか?
いや、見間違いじゃない。
でも、皆には見えないんだ。
闇は存在してる。ソフィアを狙っている。
俺は慎重に行動しなければならない。
闇は俺にしかみえないのだから。
俺は笑って誤魔化した。
「いやいや、仲がよくて妬けるからね。邪魔しようかと思ってさ。
さあ、お遊びは終わりにして…仕事だ!」
俺は執務室に戻って机に座り、ペンを持った。
1つ確かな事がある、とその時、俺は思った。
誰にも見えない黒い闇からソフィアを守れるのは、俺だけだ。俺だけなんだ!
ジェイクは何も言わず、何事もなかったかの様に俺の護衛として部屋の片隅に立っていた。
ジェイクがなぜあんな事を言ったのか、なんて考えもしなかった。




