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本日、3話目の投稿となります。
ほどなく、ほんの少しの荷物を持って、私とアレックスは王都から遠く遠く離れた山間の村にやって来た。
そこにはアレックスが何年も前から秘密の隠れ家にしている小さな家があった。
隠れ家に着いた時、アレックスは私を抱きしめて言ったの。
「ゾーイ殿。いや、これからはゾーイと呼ぶけど、いいかい?
ゾーイ、ここで一緒に暮らそう。
今、悪阻でとても辛いのだろう?無理をさせてしまったね。すまなかった。
俺はゾーイと子のためなら、どんな魔力を使うことも厭わない。
もし、ここが見つかっても、何処まででも逃げて逃げて、逃げ延びてみせる。俺は簡単にはやられない。だから、安心して欲しい。
もし、それでもセオドラ殿下に捕まってしまった時は、俺はそのまま罰を受けるつもりだ。全ては俺の責任で、ゾーイは俺の魔力で幻惑されていたのだと何が何でも言い張って、ゾーイと子の命だけは守る。それだけは心に決めている。
覚えていてほしい。
決してゾーイを離しはしない。いつまでも一緒にいる。
ゾーイは、俺だけのゾーイだから。」
私はこの人とずっと一緒にいたい。ずっと一緒にいる。
涙が出て、止まらなかった。
アレックスの隠れ家は木造りの小さな家だった。一階には部屋が1つ、それにキッチンと食事室、暖炉のある大きな居間があり、薄いカーテンの隙間からは光が溢れていた。
地下には大きな部屋が2つあった。壁の上の方に灯り取りの窓がぐるりとあって、とても明るいその部屋が私達の寝室になった。もうひとつが生まれてくる子の部屋に。地下にはゆったりとしたバスルームもあった。
アレックスと生まれてくる子の3人で、ここで静かに暮らしていくんだ。
私の目の前には、幸せだけが広がって見えていた。
着いたその日の夜、世間知らずの私はなんの不安も感じずに、地下の寝室で眠りについた。私の隣にはアレックスがいて、私の身体を優しくポンポンとしてくれた。それが子守唄のようで私は夢も見ずに、ぐっすりと眠った。
アレックスは村の皆ととても仲が良かった。
村に着いた次の日、村に1つだけある商店に買い物に行ったら、たちまち村の皆に捕まった。
「よう!アレックス。街での仕事が終わったのかい?
今度は何日ここにいるんだよ。」
「あれ?アレックスじゃないか?今晩飲もうぜ!」
皆はそう声をかけてから、アレックスの腕に手を添えている私を見てびっくりした顔をした。
「おい、そのネエちゃんはお前の…その……ナニかい?」
「おお〜い、みんな!大変だぞ!アレックスが嫁さん連れて帰ってきてる!」
あっという間に私とアレックスは村の皆に囲まれ、小さな食堂に連れ込まれてしまった。その食堂はすぐに村人で一杯になり、やがて皆がお酒を飲み始めて、おめでとう、めでたいな、と大騒ぎになった。
私はこういう所に来たことがなかったので、怖くて怖くてアレックスにしがみついていたけれど、村の皆は私を喜んで迎えてくださっているのだ、という事だけはわかった。
「ほら!あんた達!アレックスの嫁さんが怖がってるじゃないか。少し離れなよ!
しっ!しっ!」
食堂の女将のバーバラさんがそう言って皆を遠ざけて、私に微笑んでくれた。
「ごめんなさいね。びっくりしただろ?ここらの男は皆あんな感じなんだよ。でもね、根は優しい奴ばかりだからね。許してやっておくれよ。」
黙って頷いた私に、バーバラさんはパチンとウインクをした。
「ほんと、かわいいね。アレックスは一体何処からこんな素敵なお姫様を攫ってきたのやら。
大事にしなさいよ、アレックス!
粗末にするとバチが当たるよ!」
「大事にするさ。俺の宝物だ。」
アレックスはそう言って私の肩を抱いてくれたけど、私は真っ赤になって俯いてしまった。
お食事が出てきたので、2人で並んでテーブルに座り、私が神様に食前の祈りを捧げると皆がシーンと静まり返ってしまい、1人で大慌てした。
「ねえ、アレックス。皆さんはお祈りしないの?」
小さな声で聞くと、アレックスは私の頭をポンポンとして額にそっとキスした。
「そうだなぁ…気にするなよ。したいようにすればいいのだからね。」
私がアレックスを見つめてこくりと頷くと、なぜか周りから、ピューピューと口笛の音がたくさん聞こえて、食堂の中はさらに大騒ぎになった。
皆がニコニコと嬉しそうに笑っていて、誰かが楽器を弾き鳴らし、おじいさま達が踊り出し、若い男性たちは何やら叫んでいた。
私が村の食堂での作法がわからず戸惑っていると、アレックスは俺と同じにすればいい、と笑ってお手本を見せてくれたけど…。乳母が見たらきっと倒れてしまう…そんな食べ方だったの。
食堂のお食事は今まで食べたことのないモノだったけれど、よく煮込んであってとても美味しく、悪阻も大丈夫だった。
バーバラさんが、気に入ってくれてよかった。またいつでも2人で来ておくれ。大歓迎だよ。と言ってくださって、本当に嬉しかった。
隠れ家に落ち着いてしばらくした頃、国中に多額の賞金の付いたアレックスの指名手配書が配られたのを見てしまった。
村に一軒だけある商店にもアレックスの姿絵の書かれた指名手配書が貼ってあったのだけれど、村の皆はそれを見て大笑いしていた。
「アレックスによく似た顔だなぁ〜。この顔!」
「何をやったのやら…ものすごい賞金だぞ!極悪人だな、きっと!」
「おまけにさ、ウチのアレックスと名前まで一緒だとよ!笑えるぜ!」
そう言って終わりだった。
アレックスが村に魔力で何かしていたのかもしれないけど、アレックスは私に何も言わなかったから、本当の事はよくわからない。
村の皆に私も受け入れてもらえた。
アレックスの可愛い嫁さん、と皆が喜んでいろいろな事を助けてくれた。でも本当は、何にもできない私を村の人達は放っておけなかったのだと思う。情けないほど、私は何もできなかったから。
料理、洗濯、掃除、お買い物…家事の全てをアレックスが教えてくれた。
魔力を使えば簡単だったのだろうけど、自分の力でやりたかった。だって、私はアレックスの奥さんになったのだもの。おままごとみたいに思われるかもしれないけど、私は真剣だった。
それまでの私は、料理といえばクッキーを作った事があっただけ。手が汚れますからと、伯爵家のお抱え料理人が材料を揃えてくれたものを、ちょっと丸めて焼いたの。
掃除や洗濯も、全部使用人がやってくれていた。
そんな私がいくら真剣に家事をしても、最初から上手くできるはずもなかったのだけれど…。
卵を焼いたら殻だらけでジャリジャリとした。
買ってきたパンもうまく切れずにポロポロになった。
洗濯物は飛んで行ってしまうし、掃除をしたら何故かゴミが広がって、おまけにバケツをひっくり返した。
失敗して落ち込む私にアレックスはこう言ってくれた。
「人と自分を比べるのは愚かな事だよ。失敗したっていいんだ。やってみることが大事なのさ。
少しづつ、少しづつ慣れていけばいい。新しい暮らしを始めているんだから、焦る事はないんだよ。
俺と一緒に前に進んでいこう。」
そして頭をポンポンとして、キスしてくれた。
だから私はなんでもやってみた。少しづつ、少しづついろんな事ができるようになって、アレックスが毎日褒めてくれた。毎日が嬉しい事ばかりで楽しくって、幸せだった。
お産の準備はバーバラさんや村の女性達に手伝ってもらって、やっとどうにかなった。
お下がりのお洋服やおもちゃもたくさん頂いて、嬉しかった。
私達の子が使い終わったら、次に誰かの所に生まれてくる子にあげるのだと聞いて驚いた。貴族の間ではそういう風習はなかったから。
私はおむつでさえ自分1人では作り方もわからなかった。かわいい刺繍なら、とても上手に出来るのに…。令嬢として必要だと習っていたから。
「オムツはお下がりがたくさんあるけど、あと30枚くらいは自分で縫うんだよ。赤子が元気に生まれてくる様に、祈りながらね。」
バーバラさんにそう言われていたけど、おむつが30枚できる前に陣痛が始まってしまった。
思っていたよりとても早くて、アレックスが大慌てで私を村に1つだけある診療所へ運び込んでくれた。
それを知った村のおじいさまやおばあさまが診療所の周りに集まって、皆で子が産まれるのを楽しみに待っていてくれた。心配で居ても立っても居られない…、そんな感じだったのだと思う。
私の体はまだ大人になりきっていなかったせいか、ものすごい難産で赤子はなかなか生まれてこなかった。この国で1番の魔力を持つアレックスでもお産はどうにもできず、私のそばで待つしかなかった。
私は譫言のようにアレックスの名を呼び続け、アレックスは涙目になりながら私の手を握りしめ続けていたという。
珍しく狼狽えて私の手を離そうとしないアレックスを私から無理矢理引き離し、村のおじいさま達が熱いコーヒーを淹れてくれたのだと後からアレックスに聞いた。
「アレックス、どっしりと構えるんだ。お前さんが狼狽えてどうする!お前の嫁さんはもっともっと辛いんだぞ!
ほれ、コーヒーを飲んで落ち着け!」
アレックスはコーヒーを立て続けに三杯飲み、やっと落ち着いて私の側に戻ってきた。そして、私の乱れた髪を整えて微笑んでくれた。
「ゾーイ。大丈夫だ。俺がそばにいる。安心しろ!」
「大丈夫よ。アレックスと私の子…ちゃんと産んでみせるから。」
私はそう言ったらしい。意識が朦朧としていてはっきりとはしないのだけど、アレックスが額にキスしてくれたのは覚えている。
それからしばらくして、男の子が産まれた。
生まれてきた子が、ほんの一瞬だったけど光に包まれたのを私もアレックスも見た。
その小さな小さな男の子は大きな大きな声で泣いて、生まれてきた喜びを現しているようだった。
アレックスは声をあげて泣いていた。
「ありがとう!ありがとうゾーイ。
俺とゾーイの子だよ。」
アレックスがそう言った時、また生まれてきた子からキラキラと光が溢れた。周りの皆は何も言わなかったから、私とアレックスにだけ見えたのだと思う。
その光の意味がわかったのは、ずっとずっと後になってからだった。
アレックスは息子にゼノンと名をつけた。昔に聞いた神の名だとアレックスは言った。
「神に護られる子になる様に願いを込めたんだ。」
真っ赤でくしゃくしゃだったゼノンは、1ヶ月もするとアレックスにそっくりになった。
アレックスと一緒に小さなゼノンを見ていると、私は幸せで胸がいっぱいになった。
神様、私達に祝福を…とは言いません。
どうかゼノンが健やかに育つ事だけはお許しください。
神様、どうか…、ゼノンだけは…。
私は心の中で祈った。




