7・【レオノール視点】ちょっと待て
少し震えた、高く、愛らしい声が耳に届いた。まさか自分に向けて言ってるとも思わず、振り向くと、つい最近も見た薄桃色の髪が見えた。あれは確か、フォンテーヌ侯爵家の……。
焦るように見開かれた藤色の瞳は、真っ直ぐ俺を見ているようだった。何だ? 何を伝えようとしているんだ?
続く言葉を待って一歩足を踏み出すと、その体が大きく前に傾ぐ。まずい、とそう思った時には地面を蹴って彼女に向かって両腕を伸ばしていた。受け止めた体は、本当に同じ人間なのかと疑うほどに細く柔らかく、打ち付けられていたら壊れてしまっていのではとゾッとした。
受け止められて本当に良かった。一瞬の出来事に、心拍数が爆上がりだ。
「……っ、ビビったぁ。おい。大丈夫か?」
思わずそういうと、落ちてきた彼女が顔を上げる。正直、女に困ったことはないけれど、それにしても驚くほどの美女だ。ただ、やはりどこか見覚えがある気がする。今にも泣きだしてしまいそうなこの大きな瞳に。こんな美人をそうそう忘れる筈もないのだが。
「レオ様……」
「ん?」
少し掠れて、色のある声。俺の手を必死に掴む小さな手。本当に何なんだ。記憶と、目の前の状況と、思考が巡り混乱する。その思考を引き付けるように、彼女は言葉を続けた。
「あの日から、ずっとあなただけを思っておりました」
「……は?」
あの日、あの日? 何の事だ? それより、おい、ちょっと待て。この騒動を嗅ぎ付けた野次馬達の姿が視線の端に見え、俺は少し冷静になる。腕の中にいる彼女の頬が紅潮し、藤色の大きな瞳からは一筋の涙が零れ、その様子があまりにも美しく儚げで……――頭からさっと血の気が引いた。これじゃあまるで、俺が幼気な生徒を弄んで、今まさに責任を求められている図じゃないか? いやいやいや、待て待て待て。いくら俺でも、こんなに年の離れた娘を相手にしたことはない……よな!? そんな俺の焦りも空しく、彼女は続ける。
「わたくしと、結婚してください」
……終わった。何と言うか、俺の社会的人生が。潜入捜査どころか、思いっきり目立ってるじゃねえか。俺は思わず脱力して、手で顔を覆って大きく息を吐いた。
◇◇◇
「あははははは!」
翌朝、俺は救護室に来ていた。あの後、若干パニクった俺は、彼女に怪我がない事だけを確認し、特に言われた事には反応せず「後々痛みが出たらちゃんと医者の診察を受けろよ」とだけ言って逃げるようにその場を去った。今、目の前でブロンドの長い髪を揺らし、白衣を着て大口を開けて笑うのは、ケニス・シェフィールド……今はカレン・ヴォルテスと名乗っている。養護教諭として今はこの学院で働くが、以前は軍に席を置いていたこともあり旧知の仲で、今回学院で偶然再会した。一見若作りだが年は俺より上で、尚且つ男だ。元々体の線は細いが、最新の医療と魔晶石の技術で女の形をしている。それは、調査の為でなく元々こいつの趣味のようなものらしい。再会した時は、全く誰かわからなかった。まあ、別にどっちでも良いが。俺は憮然として処置台に腰を掛ける。呻くような低い声が喉の奥から出る。
「笑い事じゃねぇ……」
俺の様子に、カレンは益々楽しそうに笑いながら揶揄ってくる。片や部屋の隅に立ち、白銀の真っ直ぐな髪を一纏めにして白い騎士服を着る女、王立高等学院専属護衛騎士隊隊長イリーナ・ブラッドフォードは怒りを露わにしている。
「私生活に口を出すつもりはありませんが、まだ高等学院も卒業していない子女に手を出すとは……上官とはいえ、信じられませんね」
この国の軍部は、トップに国の管轄する防衛庁が置かれている。俺は、そこの参事官を任されているので、この国の騎士は概ね部下に当たる。イリーナは、年若くもここの騎士隊を任される程の腕を持つらしいが、こいつも初めから面白いほど生意気な口を聞く。その気概は買ってやるが、今回の件は恐らく事実無根だ。
「手は出してねえ……筈だ。たぶん」
「なによ、心当たりあるの?」
「いや~戦闘の後なんかは飲みすぎて記憶なくすなんざザラだしなぁ」
「最低です!」
「あはははは!」
2人の声が重なる。最低とか言うな、少し傷つくだろバカヤロウ。しかし、それにしてもその手の事は取り分け気を付けてきた筈だ。俺の血を継げば、半分とは言えそれは王家の血筋になる。後々、面倒な事になるの請け合いだ。俺自身、そうがっついてるタイプでもない。だから、その線は本当に除外して良いと思うのだが……でも、だとしたら本当に何なんだ。
「冗談だよ。あれは、フォンテーヌ侯爵家の娘だよな? 何学年なんだ?」
「入学したばかりよ。知らないの? 有名人よ? 侯爵家の一人娘であり、本物の“花の精”と見まがう程の美貌。性格は温厚で、成績も優秀。公に婚約者を据えていないから、なんとか縁を繋げないかとみんな必死」
まあ、美人な嫁さんと侯爵家の実権が同時に握れるというなら、男ならワンチャン狙うかもしれないな。ハニートラップの線も考えたが、フォンテーヌ侯爵家は由緒ある家柄だ。今更わざわざ俺にカマを掛けてまで、王家との繋がりを欲しているようには思えない。それに、同学年に皇太子もいることだし、成績も悪くないなら皇太子妃を狙っても良いくらいじゃなか? なんで俺なんだ? 俺が首を傾げていると、イリーナが淡々と発言する。
「騎士隊の者達も俄かに騒がしかったので、片っ端から指導して回りました。ただ、一部の騎士から状況を鑑みて彼女の周辺に巡回騎士を増やした方が良いという意見が出たので、それに関しては同意して現在女性騎士を中心に持ち回りで人員を配置しています。……我ら同志で密かに守ろうと固く誓い合ったのに、まさかこんなおやじに手籠めにされているとは!」
後半は、怒りに震え思わず零してしまったような、どこから捻り出したかわからないような怨嗟の声だった。だから、手籠めにしてねぇ! と言いたいところだが、もう面倒だから聞こえなかったことにする。話が進まん。珍しく感情を露わにしていると思ったら、あれか。ファンか何かか? それにしても、一生徒に対して騎士隊が増員とは……。
「そんなにか?」
「この前偶然見かけたけど、纏わりつかれちゃって、ちょっと可哀相なくらいだったわよ」
一人の少女に対して、野郎共が寄ってたかって群がっている図を想像すると、モヤっとするものがある。俺も一応この身分だから経験がないわけじゃないが、ひと睨みすれば大抵蜘蛛の子を散らすように去っていく。なるほど。同学年の野郎共の防波堤に選んだとしたらどうだろう。皇太子妃も望んでいなくて、望まない結婚も避けたかったら、この学院に俺より爵位が上の男はいないし、丁度よい隠れ蓑くらいにはなるんじゃないだろうか。
その線が濃厚な気はするが、それにしてもあの藤色の瞳がちらつく。容易には逸らせないほど、真剣な眼差しだった。やっぱり、ミソは『あの日』なんだろうな。俺はつい、眉間に皺を寄せて唸ってしまう。すると、カレンが尋ねてくる。
「で、この後どうするの? 返事でもしに行く?」
返事、返事か……これは真面目に捉えていい案件なのか? 俺は、溜めていた息をふぅと吐き出し天井を仰ぐ。どこもかしこも、気取った作りだ。何だか、何もかもがかったるいな……。
「いいや、放っとくよ。ガキはごめんだ。おままごとに付き合う気はねえ」
イリーナがその返答に対してくどくど何やら言ってくるが、俺は耳を塞ぐ。彼女が本気で言ってようが、そうじゃなかろうが、振り回されるのはごめんだ。その後は、何やかんや定期報告をし合い、その場は流れた。
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