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75・【ロゼ視点】心の傷を癒す時間


 

 幼い頃。


不意に話し声が聞こえて、わたくしは小さくなって静かにやり過ごした。折角お話をされているのに、お邪魔をしてはいけないと思って。

 

「本当に……ロゼ様の魔力さえあんなにもお強くなければ、フローラ様は今も笑ってこの邸宅にいらしたでしょうに……」


 溜息交じりに呟かれるそんな言葉を聞くのは、一度や二度ではなかった。みんな心から悲しそうに、時折、涙を交えながらそう語る。


そう語る方ほど、とても心の温かい優しい方が多かった。わたくしの瞳を見て、眉根をぎゅっと寄せて、でも次の瞬間には笑っている。

 


 

 心に広がる不安。

 時折、わたくしはどうしたら良いのかわからなくて、わけもなく泣いて困らせたりもしたわ。



 誰一人悪くないのに、何かが掛け違う。

 


 

 そうして、彼らはいつの間にか暇乞いを出されていた。立ち去るその姿を、マーサが少し怖い……でも、どこか悲しそうなお顔で見届けていたのを知っている。


 毎回、別れが少し寂しかった。寂しがって貰えていたのかは、わからないけれど……。


 どうして彼らがここを去らなくてはいけなかったのか……その理由がわかる頃には、お父様が王都の邸宅に中々訪れてくれない理由もわかるようになってしまっていた。


 ……みんな、みんな、わたくしの為。みんな、わたくしの所為。


 それでも、その時のわたくしには罪悪感という気持ちはなかった。


 お母様がいらっしゃらない現実を悲しいとは思うのだけれど、それだけはよくわからない。きっと、わたくしは心の冷たい人間なのだわと、そう思っていた。


 ◇◇◇


 朝、目が覚めて、わたくしは窓の側に寄る。

 季節は、もうすっかり冬になってしまっていた。


 降り積もる雪が、小さな頃からとても好き。

 ふわふわとしていて、可愛らしくて。

木々も草も花々も、雪帽子を被りすっかり見えなくなる。


 広がるのは、眩いほどの冠雪。



 幼い頃は、白い息を吐きながら足跡を付けて歩き回ったりもしたわ。冷たい雪に寝転んで空を見上げれば、大地も、空も、どこもかしこも真っ白。


 目を閉じれば、今でもその光景が目に浮かぶ。

 

 この雪のように、わたくしの心も真っ白になってしまえば良いのに……。わたくしは、後ろで控えているエマに言う。


「エマ……体を、洗いたいの。湯浴みの準備をお願いできる?」

「…………しかし、今の時刻は湯浴みをするには、少々お寒いかと存じますが……」

「いいの……お願い」


 エマが、「……かしこまりました」と言って部屋を出ていく。本当は自分で準備が出来ればいいのだけれど、わたくしには、何をどうすれば良いのかさえわからない。

 

 ……ごめんなさい。


 わたくしは、とても無価値。

 斯様に心が止まってしまっては、ますます出来る事がない。

 

 生まれてきてしまってごめんなさい。

 でも、生きていたいと思ってしまってごめんなさい。


 

 ……幼い頃の方が、余程図太く生きていられたような気がする。

 

 わたくしは、そこから一歩も身動きが取れないまま、静かにしゃがんで蹲る。雪が照り返す眩しい光を感じながら。

 

 


 ◇◇◇

 

 レオ様は、そんなわたくしの日常にある日突然飛び込んできてくれた。静かで朧げなわたくしの景色の中に、はっきりと輪郭を残す人。

 

 今ならわかる。なぜ彼なのか。彼は、地に足をつけ、いつだって力強く生を全うしているから。迷いのないその姿勢に、強く憧れたのだと。


 レオ様の歩んだ軌跡に自分の心を重ね合わせて、真っ白なわたくしの心にとりどりの色が広がっていくのを感じた。風が吹き抜け、花々が蕾を開く音までも聞こえてきそうだった。


 ねえ、レオ様……『お前の大事な物も、全部守ってやるからな』と言うお言葉の、その大事な物の中に、わたくし自身を入れてはダメかしら?


 孤独からも、不安からも、どうか守ってはいただけないかしら?


 それがきっと、さもしいわたくしの本当の願い。

 幼いわたくしの、生命線だった。



 ◇◇◇


 一日の内に、何度か湯浴みをする。

 水でも良いのにと零しては、それはいけないと止められながら。


 特に何もせず、ただ窓の外を眺めて過ごす。

 何もやる気が起きない……あんなに忙しく過ごしていたのが嘘みたい。

 

 思考を止めたい。とても静かな筈なのに、頭の中に耳障りなノイズが響く。どうすれば、考える事さえ止められるのかしら? 何もしていないのに、酷く疲労を感じる。

 

 時刻はそろそろ夕刻。もう少し待てば、やっと夜が訪れる。眠ってしまえれば、何も考えずに済む。


 その時を静かに待っていたら、コンコンと、扉をノックする音が響いた。お返事を躊躇っていたら、先に外から声が聞こえてくる。


『ロゼ……その、お父様だ』


 わたくしは、ぎゅっと身を固く縮こまらせる。怖くて、動悸がして震えが起こる。

 

 ……お父様に、どう思われているのかしら。

あの姿絵は、ご覧になられた?

 あんな物を大衆の目に晒されてしまって……お父様はこんな娘を持ってきっと恥ずかしい思いをされているはず。その現実が恐ろしく、自分を抱えてカタカタと震えていると、お父様が続きを話される。


『……ちゃんと、食べられていないと聞いた。君は、とても細いから、きちんと食べないと倒れてしまう。それから……もし、寒かったら、ちゃんと追加で魔晶石を使うんだ』


 とても優しい声。わたくしは、その優しさに触れる度に涙が出てきてしまう。こんなにも温かく受け入れてくれようとしているのに、どうして扉から出ていく事が出来ないんだろう。


『あと、今日は……()()を持ってきた』


 扉の下の隙間から、スッと何かが差し入れられる。

 遠目に見たら、どうやら封筒の様だった。


 お父様の声が、また聞こえてくる。


『それは……お母様から、君に宛てた手紙だ』


 わたくしは、思わず目を見開く。

そんなものがあったなんて……。

お父様は、続きを話される。


『すまない。本当は、もっと早くに渡すべきだったのかもしれない。ただ、君が、フローラの死をどう受け止めるか……それが怖くて言い出せなかった。情けない父で、本当に申し訳ない。読む、読まないは自由だ。でも、もし読んで……いつか、君の心が落ち着いたら、ぜひ、何と書いてあったのか教えて欲しい』


 そう言うと、お父様の気配が遠ざかっていく。

 わたくしは、震えが落ち着いて、呼吸を整うのを待ってから、そっと立ち上がりそれを拾った。



 ◇◇◇


 夜がどうしようもなく怖くなると、元々お母様が使われていた部屋を訪れた。お父様が、そのままにしておくようにと命じられていて、調度品はすべてそのままに残っているし、いつだって綺麗に整えられていた。


 部屋を訪れそっとベッドに入ると、お母様の温もりがすぐ側にあるような気がしていた。


 でも、“おかあさま”と話しかける勇気は出なかった。だって、わたくしの事を疎ましく思っているかもしれないから。だから、“愛と豊穣の神様”と呼びかけることにした。


 神様なら、人々の声を聴くのは当たり前でしょう?

 拙いわたくしのお話も聞いてくれるかなと、そう思って。

 

 お母様のベッドで、眠れるまで神様に語り掛ける。

 お父様の事。お友達の事。そして、レオ様の事。

 嬉しい事も、辛い事も。

 そうしているだけで、何だか心が落ち着いた。

 柔らかいベッドの温もりで段々と眠くなって……。


 朝起きると、誰かに自室に運ばれている。まるで、全てが夢だったように。


 いつの頃からだったかしら。

 お母様のお部屋に行かなくても、眠れるようになったのは。


 そんな必要も、なくなったのは……。


 そうだわ……。フクロウのランタン。

 レオ様の後を追って、それを手に入れてから夜が怖くなくなった。


 目を閉じて思い浮かぶのは、レオ様が見たであろう星空。

 

 夜は、安息。レオ様にも、穏やかな夜が訪れていますように……。

 そう願いながら眠るようになった。

 

 ◇◇◇


 わたくしは、寝巻に着替えてベッドに寝転ぶ。

 フクロウのランタンの明かりを頼りに、手紙を取り出す。


 何が、書かれているのかしら……。

 ドキドキしながら、そっと封を開いた。




『赤ちゃんへ


 何から書けば良いかしら。形式的な文章は、敢えて省きます。

 まずは、これを読んでいるという事は、無事に生まれてきてくれたという事よね?


 お誕生、おめでとう。


 そして、きっとわたくしは側にはいないのよね。

 それは、本当にごめんなさい。


 

 あなたを身籠ったと聞いた時、わたくしは、本当にびっくりしたの。実感なんて全然わかなかったし、正直、不安も大きかったわ。いつまでも子供みたいと揶揄されるわたくしに、子供を育てる事なんて出来るのかしらって思ったの。でも、アデルも居てくれるし、何とかなるでしょうって、どこか楽天的だったのかもしれない。


 でも、不思議よね。お医者様に、産むのは難しいかも……って言われた途端、絶対に産みたいって思ってしまったの。自分が居なくなるという感覚が、今一つ掴めなかったと言うのもあるかもしれないけれど、絶対に守ってあげなくちゃって思ったわ。


 そして、沢山イメージしたの。


 1歳のあなたは、伝え歩きをする頃かしら。

 2歳のあなたは、もしかして癇癪が酷い?

 3歳のあなたは、好き嫌いせずに何でも食べられているかしら。

 4歳、5歳、6歳と……年を重ねていくあなたを。


 どの瞬間のあなたも愛おしくて、その姿を思い描く度にわたくしの選択は絶対に間違っていないって思ってしまうの。


 お父様は、お母様がいなくちゃ生きていけないような人だから、最初はもしかしたら大変かもしれない。でも、きっとあなたとお話している内に、乗り越えられるはずよ。お父様は、最後は絶対にお母様の希望や夢を叶えてくださる方だから。



 年を重ねていくあなたの姿を見られないかもしれないという事だけが、とても悔しいわ。でも、あなたは覚えていないのでしょうけど、お母様とあなたとの時間は今なお絶賛継続中なのよ?


 今、あなたはお腹をポコポコと蹴とばして遊んでいるわ。

 わたくしは、元気な女の子だと思っているのだけれど……予想は当たっているかしら?


 この8か月間。毎日とても幸せだったわ。

 あなたがちょっとずつ大きくなるのを感じて、一人じゃないって強く思った。あなたは、わたくしを“お母様”にしてくれて、わたくしにとても特別な時間をくれたわ。本当に、なんて良い子なのかしら。きっと、一生分の幸せを今貰っているの。あなたが、くれているのよ?


 だから、お医者様にお母様の死因はうんたらかんたらと言われても、気にしちゃダメよ?


 お母様は、あなたに沢山幸せな時間を貰って、お母様の判断であなたを産むと決めたの。むしろ、これはわたくしの人生最大の我儘なのよ。だから、気負わずに幸せになって頂戴ね。


 女の子なら、名前は“ロゼ”が良いとアデルに伝えておくわ。

 わたくしがフローラだから、お花の名前でお揃いでしょう?


 あなたは、どんな人を好きになるのかしら?

 あなたを傷つけるような人を好きになってはダメよ?

 あなたを宝物のように大切にして、心から愛してくれる人じゃなきゃ。あなたは、わたくしとアデルの大切な宝物なんだから。


 困ったり、悩んだりしたら、一人で抱えちゃいけないわ。

 そういう気持ちは磁力なの。似たものをどんどん引き寄せて大きくなってしまうんだから。


 涙が零れて止まらなくなってしまったら、物陰に隠れていないで、陽だまりに出なさい。お日様の温もりが植物を癒すように、きっとあなたの事も優しく包んでくれるから。お母様も、日の光に乗ってあなたに会いに行くわ。涙も雨も、きっと乾いてしまうはずよ。


 我儘を、沢山言ってね。周りの人を、沢山愛して。

 美味しい物をいっぱい食べて、大好きな歌を口ずさんで。


 今日も、明日も、明後日も……5年後も10年後も50年後も、あなたの毎日に笑顔が溢れていますように。


 願いを込めて……。


    お母様、フローラ・フォンテーヌより』

 

 

 わたくしは、そっとお手紙を封に戻し、声を出さずに涙を流した。

 ずっと、ずっと、語り掛けていた声に、漸く答えが返ってきた気がした。

 

 お母様……弱虫でごめんなさい。

 

 わたくしは無事、“ロゼ”と名付けられました。

 素敵なお名前を、ありがとう……――。


 

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。


続きは本日12:00、そして19:00に配信予定です。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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