74・【レオノール視点】薔薇の装丁のノート
小さく震えるロゼを前に、掛ける言葉が見つからなかった。
現行犯だ物証だなどと考えずに、もっと早くに奴を捕えていたなら……そんな後悔が頭を過ぎる。
“フェアリー・コンプレックス”は、心に住まう闇を増幅させ顕在化させる。
彼女の心の闇に、気が付いてやれる瞬間は幾らでもあったはずだ。
……情けないな。
重ねてきた年齢分、大人になれていると思い上がっていたか。
彼女が笑っていない……ただそれだけのことで、どうしようもなく途方に暮れた気持ちになった。
◇◇◇
事件の処理は、比較的スムーズに進んだ。
サウスクランの個展にいた“黒衣派”の面々、および古神ノクタの神殿に残っていた者すべてが捕らえられ、聴取の手が伸びた。それに伴い、誘拐事件の全容や流通方法などもボロボロと情報が得られていく。
神官マクシミリアンは、複数の誘拐事件への関与は認めるものの、魔草“妖精の涙”の入手経路については頑なに口を閉ざし……ある朝、牢の中で全身の魔力を抜かれ事切れていた。古魔術の脅威を改めて思い知らされ、今後軍部では急ぎ対策を検討する運びとなった。牢獄に残された手記には、古神ノクタへの信仰と古魔術に対する思いがびっしりと残されており、最後のページには、愛する孫娘と共に微笑む姿絵が描かれていた。その絵の中のマクシミリアンは、一連の騒動の中では見た事もないほどに穏やかな顔をしていた。きっと、それこそが、奴の求めたものだったのだろう。
グレッグ・ウィンドモアは、“フェアリー・コンプレックス”を使用していた頻度、使用料が他の者より圧倒的に多く、捕らえられた後は崩れるように正気を失っていった。ロゼを拐かしたあの日が、会話の成立するギリギリの状態だったそうだ。脳と魔力回路に甚大なダメ―ジを負っており、もう、元の状態に戻るのは難しいそうだ。彼に掛けられた容疑に関しては、他の“黒衣派”の者などの証言を基に固められていく形になる。
俺が見に行った時も、空を仰いでブツブツと呟き、その瞳にはもう何者も映っていないようだった。
罪の比重がより重いマクシミリアンは死亡。
グレッグ・ウィンドモアは心神喪失と判断され、この二人に関してはこれ以上の追及は無理だと議会でも結論が下された。今後、魔草“妖精の涙”の入手ルートに関する情報は、新たに捜索隊が結成され、そのメンバーで捜査を続けていく事となった。
グレッグは、薬が完全に抜けきった後は、北部の雪深い土地にある犯罪者達が収められた修道院に入る事が決まっている。家族に関しては――特に家長のウィンドモア伯爵に対しては――グレッグを野放しにした責任は重いと判断され、二つの選択肢が用意された。一つは、グレッグを廃嫡し、ウィンドモア伯爵家の領地の3分の2を王国に返納した上で、男爵位に降爵されるというもの。もう一つは、グレッグの戸籍はそのままに、家族全員が全ての財産を手放し褫爵され、貴族位ではなくなるというもの。
ウィンドモア伯爵は、家族とも相談し……結果、爵位を捨てる事を決断した。近々、グレッグを追う形で、北の大地に住まいを移すそうだ。
今日、俺は、救護室にグレース・ウィンドモア伯爵令嬢を呼び出した。
事件からバタバタと時間が掛かってしまったが、ロゼの言うように結果的に彼女達を騙す形になってしまった事、きちんと詫びたいと思っていたからだ。
救護室で待っていると、扉がノックされ、件のご令嬢が入ってくる。
「……随分とばっさりいったな」
グレース嬢は、早々に学院を去る事が決まった。
今日は、私物を取りに来たのだと言う。
恐らく、短髪に合わせているのだろう。ちょっといい所の坊ちゃんのような恰好をしていた。
ふっと口元を笑わせ、俺の前に座る。
「スッキリしました。これでもう、女らしさだの、貴族らしさだのと言われず、私らしくいる事が出来ます」
そう語る彼女は、どこか寂し気でもあったが、清々しい笑顔だった。
カレンが、うんうんと大きく頷き、その言葉に同意する。
「ほんと、自分らしくいるのって大事よね! グレースちゃん、とっても素敵よ!」
「お前が言うと説得力あるな」
つい笑って零せば、カレンはふんっと鼻を鳴らし言う。
「あ~ら、あんただって人の事言えないじゃない」
……確かに。
俺は、ん゛んと咳ばらいをし、茶に手を伸ばして一息つく。
そして、まずは気になっている事を尋ねることにした。
「……あの日の事を、聞いても良いか?」
イリーナからも報告は受けている。しかし、グレース嬢の方が見えているものも多いだろうと思っていた。……彼女の事も含めて。グレース嬢はゆっくりと頷き、語り始める。
「あの日、私は、自室で髪を切って、侍従の姿で家を抜け出しました……」
グレッグの既に他界している想い人がロゼの母親――フローラなのではないかと思い至った時、ならばグレッグはロゼの元に訪れるだろうという強い予感を抱いたそうだ。グレース嬢は、自らグレッグと対峙できないかと考え、秘密裏に邸宅を抜け出すという方法を選んだ。それに関しては、厳重注意という事で落ち着いている。
学院に行ったら、ロゼのあられもない姿の姿絵がばら撒かれていて……頭に血が昇りながらも魔法で紙を水浸しにして回ったと言う。
用紙がばら撒かれていたのは屋外に留まらなかったそうだ。
屋内の壁にも張り出されていて、目につき次第読み取れないほどに水浸しにしながら紙を追って走り続けたところ、最上階にケイティ・ハンゼン子爵令嬢の姿を見つけた。
「ハンゼン子爵令嬢は、紙をばら撒きながら泣いていました」
「……良心の呵責からか?」
グレース嬢は、首を横に振る。
「悔しいと……兄上からの最後の指示が、ロゼに関わる事だったので」
俺とカレンは、合わせて思わず溜息を零す。俺は、こめかみを抑えながら呟く。
「……呆れて物も言えないな」
「ほんとよ。実際、どの程度の関係だったのかしら?」
「それに関してはよく……ただ、私は何となく彼女の気持ちがわかりました」
グレース嬢は、苦笑しながら語る。
「子爵令嬢は、ロゼがすべてを持っているように感じたようです。美貌も、優秀な能力も、人々からの羨望も。私も……少なからずロゼが羨ましいと思っていた時期もありましたので、その焦りのような感情は理解ができました。まあ、結局は自信のなさの裏返しですが」
「人の事を羨んだって仕方ないだろう。人は誰でも、自分の持っている武器で戦っていくしかないんだ」
「あんたね~……そんなんだから冷徹だの冷酷だのと囁かれるのよ? もっと乙女心を勉強しなさいな」
「いやいや。でも、公爵閣下の言う通りです。私も、生まれ落ちた瞬間からその見識があれば良かったのですが……幼いと言うのは、悔しいものです」
その後、グレース嬢はイリーナと共に彼女の聴取にも同席した。亡き兄の影ばかりを追って自分を見ようともしない両親を恨むものの、兄の死に責任を感じている以上、強く自分の思いを伝える事も出来ず……復学後は学院にさえ自分の居場所を見出せずに孤独に苛まれるようになった事。さらに学院では、心を寄せていたグレッグが執着するロゼの姿を見るようになって嫉妬の気持ちが募ってしまった事を語っていたそうだ。どんな質問も素直に答え、それに関してはイリーナも、『ずっと誰かに話したかったのではないかと思います』と言っていた。
そんな中、父親と懇意にしているマクシミリアンに“フェアリー・コンプレックス”と魔力の提供、そして古魔術の習得を勧められ、のめり込んでしまったと……。
「こう言ってはなんだけど、最低な野郎共ね」
「まったくです。もっと言ってやってください。ハンゼン子爵の罪状はどうなったんですか?」
「誘拐事件に関しては、マクシミリアンの担当だったようでな……子爵の方は、組織の中ではあくまでも魔草“妖精の涙”の密輸入を担当していたらしい。なので、今の所は王国に対する虚偽申告と皇太子および伯爵令嬢の誘拐事件への関与が主な容疑だ。魔草“妖精の涙”に関する法律が定まり次第、追加でそれも上乗せされる予定だ」
子爵令嬢に関しては、“フェアリー・コンプレックス”の事件においては意見が割れている。明らかに犯行に関与してはいるものの、父親や周囲の命に逆らえなかったのではないかと言う意見も多数出ているからだ。さらに、古魔術を用いた犯行に対する法律がない為、ロゼ達に対し中級魔獣を差し向けた件や創立記念パーティーの魔獣騒動に関しては、判決が下るのは時間が掛かりそうだ。彼女もまた、どこかの収容施設で薬を抜きながら実刑を待つことになるだろう。
グレース嬢が、はっと何かを思い出したように顔を上げる。
「そう言えば、公爵閣下の事も話していました」
「俺の事?」
「ええ。『子供だったのだから仕方ないと言われたことも、必要なのは古魔術ではなく過去を乗り越えていく力だと言って貰えた事も、嬉しかったです』と」
「……そうか」
あの時、もう少し歩み寄れていたなら……今とは違った結果になっていたのだろうか。
それでも、俺にはあれ以上どう言ってやる事も出来ない。そして、特にロゼへの仕打ちに関しては、決して許されるものではない。本当ならあの場で、体中の骨を粉砕してやりたかったが……それは恐らく彼女も望むところじゃないと思い、何とか堪えた。アデルバードに言われなくとも、俺からも厳罰を求めるつもりだ。
「……ロゼちゃんの方は、どう?」
グレース嬢は、小さく首を横に振る。
「……通信具も、出てはくれません。手紙で現状を伝えましたが、読んで貰えているのかどうかも……」
俺は、視線を落として、少し物足りないカップの中身を見る。
ロゼは、あの日以来、邸宅はおろか自室からも出て来なくなってしまったそうだ。
魔草“妖精の涙”の特定に関しては、マーサ経由で聞いてみたところ間違いないと言う返答は返ってきた。でも、それだけだ。
食事もあまりせず、一日に何度も湯浴みをしては体を清め、窓の外を眺めては日が暮れるのをぼんやりと待っているらしい。その姿は、断頭台に上がる日を待つ罪人の様だと……。父親と会う事すら拒み、扉越しに声を掛ければ時折謝る声が聞こえてくるそうだ。
2年前。ロゼの父親――アデルバードの執務室に、ロゼの目につくように姿絵の記事を置いたのは、エルサという侍女だったそうだ。フォンテーヌ侯爵家に見限られた元侍女が、ロゼの事を悪く言う言葉をそのまま信じてしまい、グレッグの誘惑もあり話しに乗ってしまったと語ったらしい。その侍女は、申し訳なかったと心から反省の意を示し、邸宅を離れたそうだ。
「会いに行ったり……連絡を取ったりはしていないんですか?」
グレース嬢に問われ、俺は苦笑する。婚約者でもない、友人でもない……俺達には、関係を表す言葉が何もない。ずっと、ロゼが向かってきてくれたからこそ成り立っていた関係だ。
「どんな顔をして会いに行けば良いのか、わからなくてな」
俺がぼやくと、カレンがはぁと溜息を零す。
「日和ってるわねぇ……そんな事言って、実は『嫌い』と言われたことがじわじわ来てるんでしょう」
「…………」
思わず飲んでいたカップをガチャンとソーサーに落としてしまう。危ねえ。ぎりぎり中身は零れなかった。グレース嬢は、やれやれと肩を落としながらカップを口に運ぶ。
「まあ、お気持ちはわからなくはありません。私だったら瀕死です。でも、本心ではないと思いますよ?」
「……なんでそんな事わかるんだよ」
グレース嬢とカレンが顔を見合わせて、「「ね~~」」と二人で声まで合わせる。
こうなってくると部が悪い。俺は、早々に話を切り替えようとしたが、グレース嬢が明るい声をあげる。
「あ、そうだ!」
グレース嬢は、鞄の中をゴソゴソと探る。
中身を取り出すと、その手にはノートのようなものが握られていた。
「はい。これ」
「? なんだこれ?」
差し出されるままに受け取り、尋ねる。
すると、グレース嬢はにっと歯を見せて笑う。
「ロゼのノートです。……公爵閣下に好かれる為に方々に意見を求めて纏めていました」
俺が息をつめていると、カレンが楽しそうに告げる。
「なにそれ! ロゼちゃんらしい! ちょっと見せて、見せて」
俺は、カレンが伸ばしてくる手を躱し、ノートを持つ手を高く上げる。
カレンの「ケチっ」という言葉をスルーして、眉間に皺を寄せながらグレース嬢に尋ねる。
「そんなものを、俺が預かってどうするんだよ」
「良いじゃないですか。これを口実にロゼに連絡を取ってみてください。私はもう渡せそうもないし、返しておいてください」
グレース嬢は、家族と共に北に向かうと言っていた。
俺は、ここにきて当初の目的を思い出し、告げる。
「その……悪かったな」
俺の言葉に、グレース嬢は目を丸くして、笑いながら首を横に振る。
「こちらこそ、愚兄が本当に申し訳ありません。……ロゼにも、いつかちゃんと謝れたらと思っています」
「彼女はそんな事望まないだろう」
思わずそう言えば、グレース嬢はふっと微笑む。
「なんだ……よくわかっているじゃないですか」
俺も同じように微笑み、思いついたことを提案する。
「君さえ良ければ、見習い騎士として推薦する事も出来る。家族とは離れることになるかもしれないが、いつでも頼って欲しい」
「え、本当ですか? それなら折角なので、希望する職場があるんです!」
グレース嬢が目を輝かせて前のめりになり、その勢いに思わず笑う。
ロゼ……君の友人は逞しいな。
俺はノートを眺めながら、彼女の笑顔を思い浮かべていた。
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