66・【イシドール視点】野心
ロゼとのダンスが終わり、人混みの中に紛れていくその姿を見送る。
きっと、彼女はもう伯父上の事しか考えていないのだろうな。
心のどこかでは、まだ未練がましくその背を追いかけたがっている。
けれど、以前ほどの焦燥感はない。むしろ、いっそ清々しいほどだ。
その後、僕は、誘われるままに他の女性達と踊った。
彼女達は、口々に僕を慕い、今日をどんなに楽しみにしていたかと蕩けるような視線で語ってくれる。ただ今は少し、その気持ちが重たい。彼女達に責はなく、僕個人の事情で申し訳ないが、出来たばかりの薄皮に砂利を擦りつけられているような気持ちになってしまい苦々しい。
ただ、皇太子としては有難くもある。それほどまでに期待されていると言う事なのだから。
ちらっと会場を見渡せば、王家が意図的に潜り込ませた記者が数名。
王立高等学院は、我が国の技術力の高さや人材の有能さなどの総合的な国力を示している。
中でもこのパーティーは、国を代表する名家の次世代が公にその姿を現す為、他国からの関心も非常に高い。今年は、皇太子がデビュタントを迎えると言う事もあり、その流れも最高潮だ。
明日にでも、大々的にこのパーティーの様子が語られるだろう。多少、記事の内容は検めるとはいえ、記者達が実際に目で見て得た思いほど強いものはない。
僕は、礼節を重んじつつ、誰からも慕われる姿を見せなければいけない。
3、4回踊ったところで、もうそろそろ良いかと次に来る手をにこやかに断り、貴族達と挨拶を交わしながら一旦王族席に戻る。魔草の症状である魔力過剰生成症の後遺症がまだ体に残っていて、体が重く気だるい……。気を抜けば、立ち眩みでしゃがみ込んでしまいそうだ。
王族は、パーティー会場での飲食は厳禁だ。毒が混入されている可能性もある為、隠された場所で食事を取る。今回も、確かテラスに2箇所、屋内に1室、場が設けられていたはずだ。僕は少し迷ったけれど、屋内に足を向けた。
中二階の席にある扉から密かに裏に行き、薄暗い廊下を通り抜ける。
僕は、光属性の魔力を有しているから夜目が効く。他の貴族達の様に魔力抑制措置も受けていないので、瞳に魔力を込めればこの道も昼間と変わらず歩けるだろう。でも今夜は、窓から差し込む月明かりが心地いい。だから敢えて、力を使わずに廊下を進む。
部屋に辿り着き、扉をノックをしようとした所で後ろから声が掛かった。
「これは……イシドール殿下ではありませんか」
耳障りな低くしゃがれた声。恐らく、僕の訪れを待っていたのだろうに白々しい。
思わず内心舌打ちをしてしまう。
振り返れば、顎が尖り頬はこけ、ギラギラと瞳を釣り上げた男が暗がりから出てきた。
「……久しいな、宰相」
宰相、ロドリゴ。ふんっと鼻で笑い、片方の口の端を僅かに上げて近付いて来る。
今回の事件における議会を取り仕切るのはこの男だが、僕が“フェアリー・コンプレックス”の被害を受けていた事は伏せられている。サウスクランの神殿でその姿を見つけた以上、国王陛下や伯父上との間では事件の関係者とも考えられている。姿は見えないが、父上に彼の監視を命ぜられた影が今もどこかでやり取りを聞いているはずだ。
「……ああ、まずはお祝い申し上げなければいけませんな。デビュタント、誠にめでたく」
ロドリゴは、僕と数歩ほどの距離を開けたところで、コツンと足を慣らして立ち止まる。僕は、少し警戒しながらロドリゴに向き直る。
「祝いの言葉に感謝する。……それで? 何の用だ」
間髪入れず尋ねると、眉を軽く跳ねさせて顔を歪めて嘲るように笑う。小首を傾げ、大仰に腕を組んで自身の顎を擦りながら嫌みたらしく口を開く。
「ここのところ体調を崩されいたとか……さて、どんなご様子かと気になりましてね。想像していたよりはお顔色もずっと良く、安心致しました」
眉が、ピクリと動く。どこまでを知っての言葉なのか……。
僕は、口角を少し上げながら挑発するように言う。
「そうか……一体どんなご様子だったと思われていたのか気になるな。卿も元気そうでなによりだ。夜はよく眠れているかい?」
ロドリゴの顔から、すっと笑顔が消えた。
魔草は体内に蓄積された濃度が濃いほどに共鳴反応が強いと聞いたが、サウスクランの神殿の魔草の匂いが立ち込める中に居て、少女たちが怪しげな術で倒れていくのをただ静かに座って見ていたこの男は何だと言うのだろうか。
惑わされただけの被害者か、それともすべてを知っている加害者か……その繋がりを示す答えはまだ出ていない。ロドリゴは、僕を見下すように視線を細め、冷たい眼差しのまま静かに口を開く。
「……ご忠告申し上げます。力のない者は表に姿を出さない方が良い。どんな凶暴な魔獣が狙っているとも限りませんからな。貴方の様な方でも国の宝と定められたなら、騎士も貴族も、その身を賭して守らざるを得ない。貴方には、少々荷が重いのではありませんかな?」
僕は、密かにぎりっと歯噛みする。ロドリゴの言葉に重なるように、『自ら潔く皇太子の座を退け』という父上の言葉が脳裏に蘇る。その言葉を前に、僕が感じたのは安堵と絶望だ。
今回、“フェアリー・コンプレックス”……いや、魔草“妖精の涙”の影響を受け、自分の心の奥底にある欲望や弱さを、まざまざと見せつけられた。それは、彼女への想いに限られた事ではない。王族として生まれた事、皇太子としての責も含めて、あらゆるものへ感じていた孤独、疑念、不満。僕の中で確実に息づく、純粋な黒だった。
きっと僕は、ずっと逃げ出したくて仕方なかったんだろう。
押し付けられる社会の価値観が煩わしくて、耳を塞ぎ、目を背け、彼女への想いに逃げ込んだ。
語れる事など何もない、底の浅い自分に嫌気が差して、彼女への想いを語ってその場を凌いだ。彼女への純粋な憧れや愛情を、重苦しく汚してしまったのは僕自身だ。
「僕には……要人たる素養は無いと?」
「わたくしは、善意で申しておるのです。誰にでも、身の丈にあった場所がありましょう。国を背負う以上、弱さや愚かさは罪だ。国を滅ぼしかねぬ」
ロドリゴの言う事は、悔しいけれど間違ってはいない。
国の事を思えば、適任者は他にもいる。僕には、二人も弟がいるのだから。
『逃げても良いし、放り出しても良いの』という彼女の言葉が木霊する。それは、なんて魅力的な提案だろうと思う。でも、皇太子である事は、思っていた以上に僕の矜持に絡みつき、僕自身を形作っていた。それを今失えば、僕は今後どんな目標も抱く事は出来なくなるだろう。きっと、全てに空しさを覚えてしまう。
僕は、いずれ王になる。理想を実現するために。
持って生まれた宿命故ではない。ご立派な使命感や大義の為でもない。
これは僕自身の野心だ。
思わず、口元が笑みを描く。ロドリゴは、少し驚いたように目を見開く。
「弱き王か……それもいいな」
「……開き直られるおつもりか!」
「真に僕が無能な王であれば、忠実な臣下が僕の首を討ちに来るだろう。その時は刃の前に大人しく首を差し出そう」
僕はゆっくりとロドリゴに近付く。そして、間近から睨めつけるように視線を鋭くし、声を低くして告げる。
「僕か、それとも卿か……残ったものが答えだ。先が楽しみだな」
「……後悔なさいますぞ」
僕はその言葉に吐息だけで笑い、跳ね付ける。
「後悔か……その言葉、卿自身に帰って来なければ良いがな。これ以上は不敬に問う。疾くと去ね!」
暫くの間睨み合いが続いたが、ロドリゴは青筋を立てたまま冷たい表情で一礼し、踵を返して去って行った。コツ、コツという規則正しい音が耳につく。
はぁと溜息を零せば、扉の向こうから声が聞こえてきた。
……それは、穏やかに話す父上と母上の声だった。
今、こんな姿を、両親に見られたくはない。どうしたものかと考えていたら、ロドリゴの消えたその先に、すっと影が現れ視界に入ってきた。
遠目に、侍女である事が分かった。丁寧に礼を取っている。
……誰だ?
気になり近づくと、すっと頭を上げ幽霊のようにふらっと廊下の影に消えていく。
……追いかけっこでもする気か?
足早に突き当りまで進めば、また少し先に居る。
誰かわかるようでわからない。そんな絶妙な距離に。
でも、その身のこなし。恐ろしいほど消された気配。月に照らされる度に浮かび見える茶色い髪から、何となく思いつく人物はいる。城の裏をどこまで把握しているのか、導かれるままに先に進むと、誰の目にも触れる事なく城外へ出た。
「ここは……」
最近、来ていなかった大庭園の脇。
もしかして、あの秘密の場所に、彼女が……いや、彼女達がいるのだろうか?
もう、見渡しても侍女の姿は見当たらなかった。
僕は、静かに溜息を吐く。確かに、休憩にはもってこいの場所だ。
そっと、茂みに入り目的の場所へ向かう。
いつものように、遅かったなって笑って迎えてくれたなら……僕はそれだけで幸せだった。
色んな気持ちが浮かび上がって来るけれど、結局は、失いたくなかっただけなんだろうな。
ただ美しいだけのこの関係を。
ガサっと垣根を分けて進むと……そこには、予想外の人物がいた。
「……君は」
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
次回は、11/19㈰7:00を予定してます。
早く書き上げられたら、早めに投稿します。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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