63・【アデルバード視点】その裏では
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皇太子殿下の手を取り離れていく娘の背中を見て、様々な気持ちが蘇る。
その主なものは、贖罪と後悔だ。
ロゼが産まれる時、夫婦で意見が分かれて、出会ってから初めての大喧嘩をした。
フローラの体の中で大きくなっていくロゼは、魔力の量が想定よりも大きく、出産は命の危険を伴うと医師に言われ……私は子供を諦めようとフローラに告げた。
あの時の子が、もうデビュタントか……。
私は、静かに身を引き壁際に寄る。
ダンスフロアの中心で、若々しい皇太子と自分の娘が踊っている。
けれど、ロゼの面影にフローラがちらつき、過去の残像と重なる。
自分と愛する人にも、あんな風に輝く時代があった。
私達の娘は、あんなにも大きくなった。
それを何故、私は一人で見ているんだろう。
ぐっと胸に込み上げてくるものを感じ、自然と皺の寄る眉間に指を押し当てる。
……しまった、少し感傷に浸りすぎた。
少し休みたい……だが、歓談用のスペースは何かと話しかけられて面倒だ。しかし、あまりこの場を離れては、ロゼの姿が見えなくなる。どこに向かおうか悩んでいると、「おい」と頭上から声が落ちて来た。見上げると、王族に連なる者のみが許された中二階の席の端から、懐かしい容貌をしたアンティークゴールドの瞳の男が口元を不敵に微笑ませてこちらを見ていた。
「上がって来いよ。酒を用意してある」
人の心の奥底を見透かすような、深い瞳。
振り返れば、案内を命じられたと思われる侍従が私の後ろに控えていた。
どこまで察しての事かはわからないが、用意の良い事だ。
私は思わず溜息を零し、素直に侍従について彼の元に向かう。
会場を出て、裏階段から二階の回廊のような場所に出る。
脇に連なる窓からはホール内が一望できるようになっていた。
注視していなかったとはいえ、ホールの中からも城の外観からも、こんな空間がある事に気が付く事さえ出来なかった。これでも、武門を誇る家の当主なのだが……。流石、王城という所だろうか。内部の者しか知らないこのような空間が、他に幾つもあるのだろう。
少し開けた場所に出たかと思うと、そこにはコの字に広がるソファーと中央にテーブルがあり、軽食や酒が並べられていた。温度を保つ魔晶石が使われているようで、吹き抜ける風も寒くはなかった。そして、席には件の男とその脇に……予想外の人物が立っていた。
「……マーサ。こんな所で、何をやっているんだい?」
「旦那様。ご機嫌麗しゅう存じますわ」
マーサが王城の侍女服姿で、丁寧に挨拶をしてくる。
私は、胡乱な眼差しで説明を求めるように男に視線を送ると、彼は手元の酒をくるくると回し、気まずげに視線を彷徨わせながら言ってくる。
「あ~……どうやら城内にネズミが忍び込んだようだが、相当な手練れで見つける事が出来ないと近衛騎士に報告を受けてだな。なら、俺も暇だし探すかって見回っていたら、こいつがいて……折角だからと色々話を聞いていたんだよ」
「ネズミ……」
「お嬢様の身だしなみのお直しの為に、控えておりましたの。ただ、邸宅の者達にお嬢様のデビュタント姿を是非映像石に収めてきて欲しいと頼まれまして。コソ泥の様な真似をしたくはなかったのですが、泣く泣く丁度良いポジションを探しておりましたところ、場所を提供してくれる上に給仕の役をやれば別途お給金も……というお話を頂きまして、お勤めしていたところですの」
マーサは、頬に手を当ててほほほっと愛らしく微笑む。
ただでさえ疲労を感じていたのに、頭が痛い。
二重に雇い主がいるなんて、一歩間違えれば工作員のようなものではないか。
マーサは、フローラが婚姻前から侍女として頼りにしていた人物だ。
輿入れの際、心を許せる者が何人か側に居た方が良いだろうと雇い入れはしたが……蓋を開けると中々に癖のある人物で、時々こうして持て余す。
「……その制服は、どこから拝借したんだ」
「まあ、お人聞きの悪い。自前でございますわ?」
「尚悪い! 潜入する気満々じゃないか!」
「まあまあ、良いじゃねえか。カナッペ上手いぞー」
レオノール様の気の抜けた応答に、私はくぅ……と唸りながら、勧められるがままに腰を落とす。すぐさま目の前に酒と軽食が用意され、まるで我が家にいるようなもてなしに却って居心地の悪さを感じた。こんな事が陛下のお耳に入ったら……私は、侯爵としてどう責任をとれば良いのだ! 私が黙していると、マーサが気遣うような声を掛けて来る。
「旦那様……ご安心くださいませ。お陰様でお嬢様と旦那様のダンスは、しっかりと映像石に収める事が出来ましたわ。後程、複数に転写して旦那様とバレナ公爵閣下にもお渡し致しますので」
「「…………」」
それは是非とも欲しいが、何故貴方まで黙るのだレオノール様。
まったく……あの子を中心に、何とも騒がしい。悩むのも馬鹿らしくなり、一思いに酒を煽る。しかし、マーサも思う所はあるようで、ダンスフロアで踊るロゼを眺めて……静かに呟いた。
「……もうすぐ、17年になろうとしているのですね」
私も、その声に釣られて娘の踊るダンスフロアに目を向ける。遠目に、ロゼが踊っているのがわかった。フローラを亡くして17年。時の流れは、確かに傷を癒してくれた。けれど、忘れてしまいたくはないのだと、何度でも思い返す。レオノール様が、どちらへともなく尋ねる。
「……フローラ殿、だったか? 亡くなられた理由は、やはり……」
私は、一度だけ小さく首を縦に振り、重い溜息と共に事実を話した。
「……ロゼの保有魔力が大きすぎたのです。母体が……耐えきれなかった」
通常、赤ん坊は魔力が弱い。体力や筋力と等しく、体が大きくなると共に少しずつ魔力も増えていくものだ。しかし、ロゼの場合はスタート値からして異常なほど高かった。
「どうか、ロゼには内密に……。あの子に気負わせたくはないのです」
「それは、まあ、俺が口を出す事でもないが……隠し通せるか? わかっているとは思うが、彼女は賢い。いずれ、嫌でも気が付く時が来るんじゃないか?」
「……ええ、わかっておりますよ。時が来たら、きちんと話すつもりです。決してあの子の所為ではなく、ただただ、私達両親が未熟だったのだと」
よくよく考えてみれば、無理もない話だ。フローラの生家は代々植物や花などの希少な単一属性の魔力を持つ者が多く生まれ、私の方も属性は様々だが龍に魔力を与え続けるに相応しい魔力量を有する者が多く生まれる。そんな血を持つ二人が結ばれたのだ。その子の魔力が強かろうと、なんら不思議な事ではあるまい。
組み合わせが悪かった。
ただ、私達は愚かにも、子が出来てからその事実に気が付き慌てふためいた。
今回諦めたなら、きっと生涯二人の子は望むことはできないだろう。
だからこそだったのかもしれない。フローラは頑なに首を横に振った。
どうしても産みたいのだと……。
「正直……私には、子供がいる自分の姿なんて想像もできませんでした。ましてや、共に育てていくはずの妻を失うなんて……。ロゼを望んだのは妻です。私は、むしろあの子の存在をなかった事に出来ないかとさえ思っていた。……最低な父親でしょう?」
自虐的な笑みが零れる。
フローラのいない毎日なんて、想像も出来ない。
言い争いは毎日続き、それでもロゼは大きくなっていくばかり。
気が狂ってしまいそうで……少し頭を冷やした方が良いと周囲の者達に言われ、領地と王都に邸宅を分けることになった。今の王都の邸宅は、そうした経緯で出来たものだ。
私は、そんなものは必要ないと一蹴に伏したが、フローラの体の為には医療技術の発展した王都に身を寄せていた方が良いと説得され、渋々受け入れた。
しかし、私には龍との制約がある。龍を何とか説得し、王都へと移り住めないか寝ずに方法を探した。さらに、フローラにも行かないでくれと何度も懇願したのだが、そのどちらも叶う事はなかった。
それでも可能な限り王都に通い、フローラの「きっと二人とも助かる」という言葉に希望を託して、定まらぬ覚悟のまま願いだけを込めてその日を迎えた。
けれどやはり、願いは空しく……連絡を受けて私が王都に辿り着いた時には、眠るように儚くなった妻と、泣き叫ぶ赤ん坊がいる状態だった。予定日より20日ほど早い出産だった。
ウィンドモア伯爵家に乳飲み子がいると聞いて、乳を分けて貰えないかとロゼを抱えて走ったのはマーサだったそうだ。この鉄のような女が涙を流しながら向かったのだと聞いても、当時の私は心を動かされる事もなかった。茫然自失としていて、ただ全てがどうでもよく思えた。
「あの子の事を、煩わしく思った事さえありました。家族の温もりを求め、伸ばしてくるあの子の小さな手を、私は平気で振り払った。そこに込められた思いに、聡いあの子が気が付かないはずがない。いつの頃からか、あの子も私の機嫌を伺うような態度に変わっていった……それなのに、私は、それさえも子供の癖に可愛げがないと腹を立てて問題をすり替えた」
「…………まあ、気持ちは分からなくもないが……」
レオノール様も、困ったように眉間に皺を寄せる。当然だ。
私は、多分、どこかおかしくなってしまっていたのだ。
フローラは、きっとまだどこかで生きている。ただ、今は会えないだけで……。
そんな風に自分に暗示をかけて自分を保っていた。
会いたくて、ただ、その声が聞きたくて。
何故、その願いは叶わないのか理解が出来なかった。
君の温もりがなければ、私の手はずっと冷たいままなのに。
私は、現実からひたすら逃げ続けていた。
「……あの子が歩み寄ってくれなければ、きっとこんなにも穏やかな今はなかった。あの子には……本当に申し訳ない事をした」
あの子がダンスに誘ってくれようとした時……咄嗟に『大丈夫だよ』という言葉が出たのは、その瞳にフローラの面影を見たからだ。フローラは、普段は勇ましいのに、いざとなると言葉にするのが苦手な人だった。もじもじと緊張する姿がフローラと重なって……思わず言葉が先に出た。二人の中の、合言葉のようなその言葉が。ずっと会いたかった眼差しが、温もりが、ロゼの中に生きていた。そして、漸くフローラの声が耳に届いた気がしたんだ。
私達の娘を、よろしく頼むと……。
随分と勝手な言い分だが、私は自分自身の行いを酷く悔やんだ。
だからこそ涙を堪えて、たどたどしくも、ロゼと交流を重ね……そうして漸く立ち直っていったんだ。一言ではとても表せない。あの子と過ごした17年は、とても長く、とても早い、そんな時間だった。
そこでふと、あの子の放った言葉を思い出す。
「そう言えば、貴方と私は似ているそうですよ」
「……それは喜んでいいのか?」
レオノール様が、怪訝な顔で尋ねる。その素直な言葉に思わず笑いが込み上げた。
確かに、この話の流れでのそれは、誤解させてしまったかもしれない。
私は、くすくすと笑いを零しながら続きを話す。
「申し訳ない。困らせてしまいましたな。……でも、私は大変光栄に思いました」
レオノール様とは、10年前に騎兵を一度共にしてからの親交だ。当時から妙に老成していて、年下だと感じた事は一度もない。何故か、何を命じられても素直に従えてしまう。
それでも、一応は私の方が年上だ。それに、一人の子の父親でもある。
私の弱みばかり話しては面白くないと、その心の内を探るように尋ねる。
「こんな所に引っ込んでいて宜しいんですかな? 声を掛ける相手を間違えたのでは?」
返答は、すぐには無かった。
珍しい事に、レオノール様は口を噤み……暫くの後、腕を組んで唸るように答えた。
「……踊れないからな。掛ける言葉が見つからん」
「…………は?」
思わず、聞き返す。その言葉は、マーサも予想外だったようで、口元に手を当てて驚いた顔をしている。レオノール様は、憮然とした態度で言う。
「ずっと戦場にいたんだ。習う暇もなかった。だから、来てみたは良いものの……声を掛けあぐねている」
ダンスは外交に必須と言っても良いほど、重要なツールだ。まさか、彼ほどの人が踊れないとは……。咄嗟に思いついたことがあり、つい、口を挟んでしまう。
「もしや……社交の場をずっと避けていたのは……」
レオノール様は、重々しく頭を縦に振った。
「踊れと言われたら面倒じゃないか」
マーサと二人、ただ黙って彼を見つめていたら、彼ははぁと短く溜息を零して話題を変える。
「しかし、話しかける相手は間違っていないぞ」
「は?」
突然何をと首を傾げれば、彼は首の後ろを摩りながら、どこか気恥しそうに零した。
「お前を一人にしておいては……ロゼも、気にするだろう」
……本当に、どこまでも聡い方だ。
本気にさえなってくれたなら、こんなに良い男は他には居ないとさえ思える。
ダンスフロアから漏れ聞こえてくる曲は、そろそろ終わりを迎えようとしていた。
私は、グラスを手に持ち、中身を煽る。
「……娘の名を呼んだ事には、目を瞑りましょう。しかし、私はまだ娘の相手にあなたを認めたわけではありません」
「……わかっている」
「男はとかく逃げがちだ。しかし、私は自分がそうであったからこそ、娘の相手は逃げない男が良いと願っています。娘と共に未来に挑んでくれるような、そんな強い心を持つ男が……」
「……ああ、そうだな」
レオノール様は、苦笑気味に笑う。
私は、手元のグラスを空ける。マーサがすかさず中身を満たし、それをまた間髪入れず飲み干す。そして、驚くレオノール様に、告げる。
「しかし、今日は些か酔いました」
「? ……そうか」
「……門限は、良識的な時間でとお伝え願えますかな? あまり、羽目を外しすぎるなと。私の代わりに……」
レオノール様は、きょとんと目を丸くする。すると、意図が通じたようではははっと膝を叩いて笑い、グラスを置いて腰を上げた。
「必ず無事に送り届けよう」
私は、返事をする代わりにグラスを高く掲げた。大きな黒い背中を見送り、マーサに声を掛ける。
「お前も行け。今宵は満月だ。少々、匂う。決して目を離すなよ」
「はっ」
「……それから」
マーサが、軽く頭を下げたまま私の言葉を待つ。
私は、グラスに口を付けながら、彼女を見ずに告げる。
「……ありがとう。これからも、あの子を宜しく頼む」
数秒の沈黙の後、マーサが、ふっと笑いを零したのがわかった。
「……この命に代えましても」
そう言うと、マーサは手に持っていたボトルを私の前にそっと置き、丁寧に侍女の礼を取ってその場を後にした。人の気配が遠のき、一つ大きく息を吐いて空を眺める。
雲が流れ、合間から月が現れる。
淡く清々しい光が、優しく、古い傷を癒すように、静かに寄り添ってくれていた……。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
次回投稿は、11/13㈪7:00~を予定しております。
※早く書きあげられたら、予告なしに早めていきたいと思います。
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