5・【レオノール視点】専門外だ
「初日早々、失敗したな」
薄桃色の後姿を見送る。ちらりと見た腕の家紋は、フォンテーヌ侯爵家のものだった。聞かれてまずいような事は口にしていなかった筈だから、まあ大丈夫か。
俺は立ち上がり、ポケットから筒状のシルクスモークを取り出して口に銜える。意識を集中すれば魔法が発動し、先端に一瞬で火が付く。それにしても、やはりこういう潜伏のような事は向いていない。シンプルに敵の目の前に踊り出て、力で捻じ伏せるのが一番楽だろう。口から煙を吐き出しながら、ここに来た経緯を思い出す。あれは、数か月前の出来事。今や国王となった弟、ガレスの執務室での事だ。
◇◇◇
俺達は、夜、酒を飲みながら話していた。まあ、ソファーで寛いで酒を飲んでいたのは俺だけで、ガレスは机で書類と睨めっこしていたんだが。話題は、ガレスの息子であるイシドールに高等学院の教師にならないかと誘われた事から始まった。
「へえ。いいじゃないか。どうせ暇してるんだろ?」
ガレスが揶揄うように言ってくる。ガレスとは、母親が異なり数か月差で生まれた兄弟で、それぞれに求められたものも育ってきた環境もまったく違う。見た目も、王家を示す光の魔力の影響を受けた輝くような金色を、ガレスは髪に色濃く受け継いでおり、一方で俺はくすんだ金色の瞳がかろうじて近いかという程度だ。前皇后のたくらみにより、ただひたすら戦場に送り出されていた俺とは異なり、この王城であらゆる期待を背負い、すべてのタスクをクリアしてきた弟を、俺は素直に尊敬している。だからこそ、早々に王位継承権を蹴り、今もこうして良好な関係を築いている。
俺の“バレナ公爵”という地位は、ガレスが立太子した時点で前王により新たに創り与えられたものだ。2つの侯爵家と以下それに続く者達の領地を含み、国の約3分の1程の領土の統治を任されている。要は、魔獣と外交と、国に置いて“戦闘”が最も必要な領域だ。
親と一緒に社交の場に出ることが許される12歳という年から剣を握り、第一王子として軍を率いてきた俺にとっては、国王になるよりもずっと自然な流れに感じられたし、諸侯達からの反発もなかった。
数か月程前、隣接していた二国の争いが落ち着いて、この国を自分の領土にと考えていた奴らの侵攻が止み、常に警戒態勢だった国境付近の領地の警戒が数十年振りに解かれた。また、国内では魔晶石の改良という歴史的な出来事が起き、まだ試験段階ではあるものの人里に降りてくる魔獣の量が大幅に減った。人も魔獣も血を流す必要がなくなり良いこと尽くしなのだが……そもそも王城に居場所のない俺にとっては、急に職を失った一軍人のような心境で、確かに暇を持て余していた。
血を浴び、傷を負い続けてもう20年。これからは、国を富ませる為に魔獣を狩り、良質な魔晶石を集め、本来は外交や社交に精を出さなければいけないのだろうけど、まあその辺は抜かりない侯爵達もよくやってくれているし、直接の領地も優秀な家令が上手く回してくれているから、俺は大してする事もない。精々、有事に備えて腕がなまらないようにしておくことぐらいだろうか。
ただ、二つ返事で頷けない程、俺はガキが苦手だ。特に、親の爵位が変に高くて、世の道理もわかっていないのにこの世の全てが自分のもののように振舞う高慢ちきな子供が苦手だ。だから、つい眉間に皺を寄せて唸ってしまう。
「意外と適任なんじゃないかな。兄さん。なんだかんだ面倒見良いだろう。面倒くさがりだけど、人の事を蔑ろにはしないし。それに何より、兄さん手ずから未来を担う子供達を育ててくれるなら指導してくれるなら、こんなに心強い事はない。どのみち有事の際は出張らなきゃいけなくなるんだし、一時の暇つぶしと思えば良いじゃないか」
「暇つぶしねぇ……」
俺は頭の後ろで手を組んで、ソファーの背もたれに体重を預ける。そもそも、この豪奢な天井やシャンデリアにさえ居心地の悪さを感じてしまう。目を閉じれば、戦線で見る満天の星空を思い出す。戦闘が良いことだとは思わない。敵だろうが味方だろうが魔獣だろうが、誰かが傷ついて行くのを見るのも好きではない。ただ、生と死の狭間で涙を流しながら眠る時、俺は漸く一人の小さな人間になれている気がしていた。紙の上や人々の認識の中で存在する俺ではなく、傷つきながらも見苦しく生きようするただの男になれた。戦線こそが、自分の居場所だと感じていた。そう思う俺は、人々の言うように恐らくどこか狂っているのだろう。そんな俺が、次世代に物を教えていいのだろうか?
そんな事を考えながら酒が回る感覚に浸っていると、ガレスがおもむろに立ち上がり、一冊の資料を目の前のテーブルに投げてきた。俺は、上体を起こし、その資料を手に取る。
「なんだこれ?」
「王立高等学院の専属護衛騎士隊長からの応援要請。ついでに手伝ってきてくれないか?」
「これは……」
「“フェアリーコンプレックス”というものを知ってるかい?」
「フェア……? あ? なんだ?」
「“恋の妙薬”や“思いが叶う魔法の薬”というキャッチコピーで、王都の若い娘達の間で少しずつ広まっているみたいなんだ。効果は、痩身や肌荒れの改善という可愛いものなんだけど、依存性があり、常用していく内に夜な夜な夢遊病のように薬を求めて練り歩くようになる。そしてついに数名、行方がわからなくなる者が出始めた」
「……拐かされたのか?」
「わからない。ただ、寝巻きのまま家を出て、不思議な程その後の足取りが辿れない所を見ると、可能性は高い」
資料にざっと目を通す。行方不明になったのは、現段階では5人。事件の概要や議会のやり取りがまとめられているが、確かに今一つ決め手に欠ける。行方が分からなくなっている者に関しても、家出との区別が難しく、薬の原材料も不明ならば、広まっている範囲も、方法もわかっていない。国として扱うべき事件なのか、それさえも意見が割れているようだ。
共通点は、“思いが叶う”というキャッチコピーなだけあり、5人中4人は思いつめるほどに想いを寄せる相手がいたということ。夢遊病が発症した時点では、家族は娘が思いつめる余り精神的な病に陥ってしまったのではと誤解して執拗に事実を隠そうとした為、事件の発覚が遅れてしまったようだ。最終的に行方が分からなくなり、捜索依頼が出されたことで、偶然にも同じような事例が発生していたことが判明した。水面下を這うような不気味さがある。パラパラと資料をめくり、最後のページで手が止まる。
「……王立高等学院」
俺は、つい声を漏らす。ガレスは、重い調子で首を縦に振る。
「そう。ついに貴族の娘が一人ね。ハンゼン子爵家の娘だ。ただ、彼女に関しては1日行方が分からなくなった後、帰ってきた」
「帰ってきた?」
「ああ。自分の足で。本人曰く、薬にまつわる記憶は一切なくなってしまっているらしい」
「都合が良すぎないか?」
「まあね。でも、原料とその効果がわからない限り強く問い詰めることもできない。事が事だから、彼女の名誉の為に公にはしていない。夢遊病の症状が抜けるまでは子爵の領地にて国の医師団のメンバーが付き添い、詳細に記録を取っている。ただ、目新しい事はわかっていない。幸い順調に症状が落ち着いてきていて、この春、一学年繰り下げて学院に復学する」
俺は、引き続き資料に目を通す。ケイティ・ハンゼン子爵令嬢。高等学院1学年。彼女の部屋に残されていた薬の現物――薬が入っていたと思われる化粧水の空き瓶――が、5つの事件を繋げる大きな足掛かりにはなったようだ。
学院は、未来に国の中枢を担う子供達も通う為、鉄壁の守りと言われている。教職員やその他職員は全て国の職員であり、選任後は国に背かないよう魔法で契約も結ぶ。だからこそ議会は、他4人が平民の娘であることも考慮し、子爵家の娘の件は例外で学院との関連は低いと結論付けている。薬の入手ルートも、恐らく学院外だろうと。ただ、調査しないわけにもいかず、高等学院専属騎士隊に調査を依頼。当該騎士隊の方は事態を重く受け止め、顔が割れている騎士隊の者だけでなく潜伏できる人間を数名送って欲しいという内容の書簡で、資料は終わっている。
「少し、探ってきてくれないか? 必要であれば、イシドールも使っていい」
「探るのは良いが……俺は、潜入捜査なんて繊細な事やったことねえから、結果は保証できないぞ?」
「難しく考えなくて良いさ。そもそもが、間者が潜伏している可能性は低いと判断された場所だ。だからまあ、暇つぶし程度にさ。……子供達を、守ってあげて欲しい」
ガレスが、静かにそう告げる。こいつのこういう顔を何度か見たことがある。恐らく、議会の奴らを押しのける程の根拠がないものの、完全に捨てきれない何かを感じているんだろう。そういう時、こいつは俺を頼る。その勘が当たろうが外れていようが構わず、貴族らしい固定概念も外して、事実だけを見に行けるもう一つの目が欲しいのだろう。さらに言えば、その場である程度の判断が下せる者なら尚良いと。俺達兄弟の、暗黙の了解とでも言えば良いのだろうか。俺は、ふぅと一つ息を吐き、告げる。
「……わかった。引き受けるよ。教師になって探ってくればいいんだろう」
ガレスは、ふっと安心したように小さく笑う。漸くただの弟の顔になった。
「助かるよ。それより、兄さんはそろそろ再婚相手も探さなくちゃ。この件が終わったら、家庭を持って落ち着いたらどうだい?」
「はっ。それこそ、門外漢だな。また逃げられるのが落ちだ。そもそも、こんな年の野蛮な男に嫁ぎたいと思う奴もいないだろう」
「それは、わからないよ? 兄さんは国の英雄じゃないか。密かに心を寄せている女性がいるかもしれない」
「どうかな。竜の頭を引きずって返り血でドロドロの俺の姿を見てもそう言えるご令嬢がいたら良いけどな」
俺は、グラスを傾け酒を煽る。弟も仕事がひと段落したのか、酒の入ったグラスを持って目の前の席に座る。
「俺くらいの年になると、大抵は人妻か寡婦か、余程の変わり者だ。俺から寄り添うつもりもない。話が合わなくて終わるだけだよ」
「若い娘を選べば良い。兄さんの苦手な外交も担ってくれそうな、賢くて美しい娘をさ」
「はは。その親が憐れだな。こんなおやじに嫁ぐ為に育てたんじゃないだろう。イシドールの嫁に貰ってやってくれ。跡継ぎが必要なら、その内養子でも迎えるさ」
そんな風に、語らいながらその日は終わった。
◇◇◇
そこまで思い出していると、どこからともなく足音が聞こえる。建物の中から、濃紺色の髪と水色の切れ長の目を持つ男が現れる。すらりと痩せた体に整った顔立ちで、いかにもモテそうなタイプだ。確か、俺と同じく今年度より教師になった、名前は……グレッグ・ウィンドモア。伯爵家の嫡男だったか。
「バレナ公爵閣下。こんな所にいたんですね。そろそろ式典が始まりますよ」
「公爵閣下は止めてくれ。レオノールで良い。ウィンドモア卿?」
俺がそう答えると、グレッグは人好きのする笑顔で笑う。
「僕の事はグレッグと。行きましょう、レオノール様」
俺は最後に大きく息を吐き、シルクスモークを魔法で焼き切る。グレッグに言われるままに足を動かし、ふと、先ほどの女生徒の事を思い出す。
「なぁ……俺って、そんなに顔怖いか?」
「は?」
「……いや、なんでもない」
そういえば、なんで泣かれたんだ?
あの妖精のような泣き顔に何となく見覚えがあるような気がしながら、俺は式典へと足を向けた。自分の時は式典なんて、行くもんじゃねえと思っていたなと、そんな事を思いながら。ふと、グレッグが後ろから声を掛けてくる。
「レオノール様。ちなみに構内全面スモーク禁止です」
「……」
チッと、心の中で舌打ちする。やっぱり潜入捜査とか向いてねぇ。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
ブクマ、いいね、ご感想、ありがとうございます。
励みに頑張ります。