48・【ロゼ視点】美しい街
ソフィア様のお家を離れ、ヨルダンを率いて街を歩く。
レンガ作りの路。路地を抜けて大通りに出れば、華やかで可愛らしいお店が立ち並び、どのお店もショーウィンドウに誇らしげに商品を並べてそれぞれの個性を際立たせる。
香水かしら? どこからともなく風に乗って花の香りがする。
こんな気持ちでなければ、この美しい街をただ楽しめたかもしれない。レオ様と一緒に歩けたら良かったのに。人々の笑顔が溢れる往来で、わたくしが一人浮き上がってしまっているみたい。ソフィア様とレオ様は、今どんなお話をしているのかしら?
そこで、ずーんっと気持ちが沈む。本当は、二人きりになんてしたくなかった。
でも、どう考えてもあの場では、わたくしは完全な部外者。
レオ様に「一緒に帰りましょう?」という権限さえない。
急に足が重く感じられ、わたくしは、歩いている内に辿り着いた噴水のある広場で休んでいく事にした。
高台にある広場は、その淵まで進めばこの街を見渡せるようになっている。景色を眺めながら、噴水に向くベンチに寄り腰を掛ける。ヨルダンが、服が汚れないようにとハンカチを敷いてくれた。陽の光が水飛沫を照らし、水面に落ちてきらきらと美しい。ふと顔を上げると、すぐ脇に怖い顔で周囲を見渡すヨルダンがいる。
「……ヨルダン。こんなに平和な街なんだから、そんなお顔をしていなくても良いのよ? くたびれてしまわない?」
「…………問題ない」
「でも……あなたがそんなに難しいお顔をしているから、先程から注目の的よ?」
そう。街を歩いている時から、ちらちらと人々の視線を感じた。
そこかしこに護衛を連れた貴族子女がいるから、わたくしが目立っているというわけではないと思う。声を掛けようか迷っている様子の方もいたから、恐らく、ヨルダンの顔立ちが異国の色がある事と、あまりにも難しい顔をしている事が結びついて、道に迷って困っていると思われているのだわ。側にわたくしがいる事に気が付いて、みなさま踵を返されるけど……そもそも、ヨルダンがにこやかに歩いていれば心配は掛けずに済むと思うの。
そんな事を考えていると、ヨルダンがボソッと呟く。
「…………自分ではないかと」
「え? ごめんなさい。何か仰って?」
「…………いえ」
わたくしは、首を傾げる。ヨルダンは我慢強く口数が多い方ではないから、困っている時は是非こちらから察してあげたい。何を伝えようとしたのかしら?
そこで、はっと気が付き、目を瞠る。
「まあ、大変! マーサはどこかしら?」
てっきり一緒に居るものとばかり……わたくしがフラフラと歩いていたから、どこかで逸れてしまったんだわ? わたくしが慌ててヨルダンを見れば、ヨルダンは特に表情を変える事もなく告げる。
「…………問題ない。所用を済まされている」
「そうなの? 一人で大丈夫かしら?」
「……問題ない」
「そう? なら、良いのだけど」
わたくしは、一先ずほっと胸を撫で下ろす。もしかしたら、マーサはその用事の為に今日は共に来ていたのかもしれない。いつもはヨルダンと二人なのに、今朝、馬車に向かうと既にマーサが乗っていてとても驚いた。でも、折角ならマーサとも一緒にお買い物をしたかったわ。こんな素敵な街ですもの。わたくしは、ヨルダンに尋ねる。
「ねえ、ヨルダン。あなたは、何か欲しいものはないの? いつもわたくしの無理を聞いてくれているのだから、たまにはお礼がしたいわ」
ヨルダンは、怖い顔を少し和らげて、わたくしに聞こえやすいように少し腰を折り曲げて言う。
「…………自分は、お嬢様をお守りできる事が至上の喜び、です」
ヨルダンは顔の堀が深く、とても落ち着いているので大人っぽく見えるけれど、実はわたくしと大きく年は変わらない。今から10年近く前。我が国の隣に位置する帝国の片隅で原住民として密かに生きる民族がいて、ヨルダンはそこで育った。けれど、帝国民から蛮族と罵られ遂にその土地を追われてしまい、仲間達とも逸れ一人彷徨いこの国にやってきた。お父様が、一目見ただけで彼の強さや実直さを見込んで引き取り、わたくし付きの護衛として教育を施した。最初は、言葉も上手く伝わらなかったのに、今では随分と流麗に王国の言葉を話せるようになった。剣の腕も、フォンテーヌ家率いる騎士隊の中でも群を抜いて強いと聞く。全て、彼の努力の賜物だと思う。そんな彼を労いたいと思い、今一度問う。
「邸宅のみんなは、そればかりね。わたくしは、何も返せていないわ。ねえ、本当に、何か一つくらい欲しいものはないかしら?」
ヨルダンは、眉間の皺を深める。一見怒っているように見えるけれど、これは困っている時のお顔。困らせるつもりはなかったのだけれど……。またぼんやりと景色を眺めていると、ヨルダンが静かに口を開く。
「……では、一つ教えて欲しい」
「ええ、もちろん。なぁに?」
わたくしが笑顔で尋ねると、ヨルダンは少し言葉を探すように視線を彷徨わせ、静かに口を開いた。
「……此度は何故、公爵閣下の以前の奥方を探すよう命じられたのか?」
「え……」
「無事、生存が確認できた後は、どうされたのか?」
わたくしは、その問いの答えを考える。
5年前、ソフィア様の行方がわからなくなったと聞いた時、わたくしは、とても苦い気持ちでその事件を受け止めた。レオ様のお気持ちを考えたら胸がいっぱいで涙が出そうだったし、こんな形で恋敵――わたくしが勝手にそう思っていただけだけれど――を、失うのが悔しかった。レオ様の悲しみを喜ぶ事は、わたくしには決してできない。
でも、生存が確認できたと聞いた時、わたくしはやっぱり迷っていた。
当時の苦い気持ちを思い出せば、レオ様とソフィア様が再会を果たせばこの気持ちもすっきりと落ち着くかと思った。けれど、そんなに簡単なものではなくて……。
「……もしかしたら、何もできなかったかもしれないわ」
わたくしがそう呟けば、ヨルダンはそれ以上尋ねる事はしなかった。
レオ様が、偶然わたくしの様子に気が付き動いてくれなかったら、二人を会わせるなんてとても出来なかったかもしれない。だって、お二人は夫婦として暮らしていた事がある二人なのよ?
いつの日か、イスが言っていたように、『好きな人の笑顔の為に力を尽くす』と、そんな純粋な気持ちだけを抱けたらどんなに良かっただろう。先程のソフィア様とのお話でもそう。
わたくしは、あの提案を、本当に100パーセント善意で言えていたのかしら?
現状を変える必要はないと言ったレオ様の言葉には、必要であれば今後もずっと自分が面倒を見ていくからというニュアンスが含まれているような気がした。
レオ様のお立場とお力なら、きっとそれが可能なのだろう。
ソフィア様が、もう二度と傷つくことが無いように、陰ながらそっと守り救う事が。
一方でわたくしは、彼女にとても酷い提案をした。
わたくしでさえ、過去の傷を衆目に晒すなど怖くてできる筈がないのに。
自分では、言葉の通りそれが最善だと信じて提案していたつもりだけど……もしかしたら心の奥底で、ソフィア様には新しく思う人がいたとしても、レオ様がソフィア様にこれ以上関わる事が許せないと……愚かにも、嫉妬心から言ったりはしていなかったかしら?
もし、そうだとしたら最低ね。こんなにも醜いわたくしを、レオ様が好きになんてなってくれる筈がない。自分を嫌いになってしまいそう。幼い頃の方が、よほどまともにレオ様を想えていた気がする。
思わず、思考に耽りぼんやりとしていると、頭上から声が掛かった。
「……返す必要などない」
「……え?」
低く太い声に誘われて顔を上げると、ヨルダンは前方を注視しながら呟くように言った。
「みな、もう十分に貰ってる」
「それは、どういう……」
意味? と、尋ねようとしたところで、別の場所から声が掛かる。
「まあ、ロゼ様ではありませんこと?」
顔を上げれば、春の陽だまりを思わせる榛色の瞳と、透けるようなベージュ色の髪を持つ女性がいた。
「……セレーナ様!」
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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