47【レオノール視点】モグリの医師
『それでは、レオ様が安心して帰りつける場所がないではありませんか!』
そんな事、これまでの人生で言われるのは初めてだった。
繰り返される否定の言葉に身も心も慣れ切ってしまっていて、誰の側にいても落ち着かず、戦場こそが自分の居場所だと思っていた。あそこでは、強くさえあれば全てを手に入れられる。居場所も、仲間も……細やかな笑顔でさえ。だから、どこまでも強くあろうと、どんなに重い物でも背負ってみせようと自分を追い込んできた。
なのにどういう理由か、驚くほど細い腕の非力な少女の側に、どうも安堵を覚えてしまう。
「……驚いた。見た目に寄らず猛々しいというか、若さと言うか。不思議な子ね」
ロゼが去った後、ソフィアがぼそっと呟く。俺は、はぁ~と詰めていた息を吐き出す。
「本当にな……毎回、頭をぶん殴られてる気分になるよ」
「あら? あなたには良い薬じゃない」
ソフィアは、手元の茶を優雅に飲み進める。そもそも、俺はこいつの事をどうするつもりもなかった。逃げる足を妨げないように、叔父であるロドリゴの足を止めたのはせめてもの償いだ。自分の人生に巻き込んでしまった事と、『自由に生きろ』とだけ言い残し夫としての義務を何一つ果たせなかった事への。
「なあ」
「なにかしら?」
「悪かったな」
「今更ね」
ソフィアが、ふっと鼻で笑う。一時夫婦であった事が不思議なくらい、お互いを知る事なく終わった。そんな風に、今まで見過ごしてきた関係が数多くあったのかもしれない。
悔やむ気持ちはないが、なんだか視野が広がった気分だ。
テーブルに残された手帳とハンカチを見る。どちらも、確かに見覚えがある。手帳まだしもハンカチは……確かグレッグに渡したんだったか。どういう経緯で彼女の手元に渡ったのかが、少しばかり気に掛かる。
そんな事を考えていると、目の前のカップが新しい物に変えられる。殆ど手を付けていなかったが、話している内に冷めてしまっていただろう。けれどそんな事より、ソフィアと二人、カップを差し出したその手の人物を見上げる。
「……マーサと言ったか? なんで、ここに残ってるんだ?」
「主と一緒に出ていかなくて良かったの?」
ロゼの連れていた侍女は、黒に近い艶やかな茶の髪を寸分の乱れもなく一つに纏め、ニコニコと変わる事のない表情で凪いだ水色の瞳を優し気に細める。いや、優し気と言えば聞こえは良いが……まったく感情を漏らさない瞳だ。
「次期当主の御夫君となられる方と、他の女性を二人きりにするわけには参りませんもの。お嬢様なら心配はございませんわ。ヨルダンがついておりますので」
「……はっ、まるで決定事項だな」
ロゼの身のこなしや口調は、この侍女の影響か……。それにしても、気配の消し方がエグい。そこで、ふと、かつて目にした資料の記憶が蘇る。
「……お前、国の暗部にと推薦されていたのを断った奴だろう?」
そう言葉にすると、マーサは目を見開きどこか嬉しそうに頬を緩める。
「まあ、当時はまだほんの幼子だったと言うのに……その記憶力に敬服いたしますわ」
「幼子って、12、3歳の頃の事だぞ? 馬鹿にされてるとしか思えないな。それにしても……お前幾つだ?」
「あら、女性に年を聞くなど野暮ですわ」
くすくすと笑う笑い方まで、よく似てる。でも、そこに含まれる色が底が知れず恐ろしい。
「……なんかもう突っつきたくねえな、フォンテーヌ侯爵家」
「その方がよろしいかと。そして、お嬢様の為にもそろそろ折れてくださると有難く存じますわ」
俺は、手元にある紅茶に手を伸ばす。ロゼの花びらの魔法が無いそれは、妙に物足りなさを感じた。出生だとか、年の差だとか……いよいよ言っていられなくなってきたな。
そんな俺を見て、ソフィアがふふっと笑って言った。
「まさかあなたが、あんなに女性に優しくできるなんてね。驚いちゃった。いつも面倒くさそうに目も合わせず、吐き捨てるように話すだけだったのに」
「あ? そうだったか?」
「そうよ。今だってそうじゃない。気が付いてないの? あの子と二人で話している時は、あんなに緩んだ顔してるのに……」
言われて、その様子の自分を思い浮かべる。思わず顎を擦り、気恥ずかしさに視線を外す。
「……それは、なかなか気持ち悪いな」
「まあ、それでも良いと彼女が言うなら問題ないのでしょうね。それにしても、気を付けてね? 最近、街では変な薬が出回ってるらしいから」
ピクッとその言葉に反応し、俺は動きを止める。“フェアリー・コンプレックス”については、箝口令が引かれている筈だ。関わらない限り、知ることは出来ない。何故、こいつが知っているのか。
「……変な薬?」
何食わぬ顔顔で尋ねれば、ソフィアは頷いて続きを話す。
「ええ。ほら、私の今の主人、医者だと言ったでしょう? 街の医者……それも、主人のように低価格で患者を受け入れる医者はあまりいないから、結構押し寄せてきてるのよ」
「……そうか。詳しい話しは聞いているのか?」
「ん~、まずは症状は夢遊病がメインだと言う事と、魔力過剰生成症が起きているようだと言う事。あとは、幻覚の症状が満月の夜に向けて強くなっていると言う事かしら?」
さらっと聞いただけでも、王都の騎士隊が仕入れた情報よりも深い。去っていったロゼの事も気に掛かるが、この侍女のマーサがみすみす主を危険に置く筈はないだろう。あのヨルダンという護衛騎士がどれ程の腕かは知らないが、暫くの間、任せても問題ない筈だ。ならばと、口を開く。
「なあ……お前の旦那に話を聞くことは出来るか?」
◇◇◇
ソフィアの亭主――オーウェンは、驚いたことにロドリゴと変わらない年齢だった。
「お前ぜったいファザコンだろう」と言えば、「そういうあなただって、良い感じにロリコンじゃない」と返されたので何も言えなくなる。
オーウェンは元々、医師の家系として僻地の街を治める領主の息子だったようだ。ただ、あまりに僻地で生計が伴わず、そんな中、河川の氾濫があり益々どうにもいかなくなり、国に領地を返還してからは遍歴医を親子でやっていたらしい。
明らかに平民ではないソフィアを助けなければと思ったのも、かつて身を落とした自分達と姿が重なったからだそうだ。「まさか、こんな年になってこんな美しい妻と子を得られるなんて思ってもいませんでした」と幸せそうに笑う姿は、どこか頼もしく信頼に足る人物だとわかった。
しかし、代々医師の家系と言うのは嘘ではないようで、その分析力や行動力は目を瞠るものがあった。毎日診療所を閉めた後、該当の患者宅を回り気分のムラや体調を聞いて、その時間や天気、月の満ち欠けまで、まるで日記を書くように自然に事細かに記録していた。そこから割り出されたのが、先程ソフィアが言っていた、“魔力過剰生成症”と“幻覚の症状の変化”だった。
魔力過剰生成症は、人々が血を作り出すのと同じく、ただ生きているだけで外に放ち内に生み出す魔力の量が過剰に分泌されてしまうものだ。少しならば問題はないが、積み重なれば関節の痛みや眩暈、気だるさなどの症状が出て、最終的には臓器へも影響を与える。
さらに驚いたことに、オーウェンは、この症状の原因を『何らかの魔力による障害』と記していた。魔草の毒は、通常の植物や鉱物の毒とは異なり魔力の毒だ。カルテには、こう記されていた。『光魔法を用いた、体の免疫力をあげる治療法は多少効果有。ただし、根本解決にはならず。水魔法を用いた解毒療法は効果無。解呪師への依頼を検討』。
解呪師は、国の中でも数名に限られる。解呪には、体の中を巡る魔力の中で影響を与えている魔力だけを見つけ出し、強い魔力でその性質を変化させ無毒化させるという、非常に高度で繊細なテクニックと強い魔力が必要になる。治療を依頼するとなれば……恐らく、治療費を払えるのは高位貴族に限られるだろう。
ただ、ここまで子細に症状や処置の方法がわかれば、魔草の特定も出来る。オーウェンがモグリの医者だった為、騎士隊との連携は取れていなかったようだ。名を伏せる事を約束し、情報だけを頭に叩き込んだ。
別れ際に、「俺も協力は惜しまない」という事だけソフィアに伝えた。子供を抱きしめ、黙って頷くその顔を見れば……どこかもう、結論は出ているような気がした。
俺は、診療所を後にしてずっとついてきていた侍女のマーサに声を掛ける。
「付き合わせて悪かったな」
「いいえ。わたくしが、勝手に付き従っただけにございますわ」
俺がオーウェンに話を聞いている間、診療所に来る患者を捌いていたのは、実はマーサだった。外傷の処置が一番得意だと言い、骨を折ったと言う大男にも表情一つ変えず完璧に処置を施していた。どこまでも謎な奴だ。
俺は、その変わらぬ顔を見てふっと笑い、風魔法で伝書鳩を数匹作り出し各々の目的地まで飛ばした。これで、仲間内にも情報が伝わった。さて、と体を伸ばし、再度声を掛ける。
「……じゃあ、案内を頼めるか?」
マーサの耳でちらちらと光を放つイヤリング。それは、飾りなどではないだろう。マーサは、口元をにこっと微笑ませ、スカートの裾を摘まみ丁寧に侍女の礼を取る。
「かしこまりました。――お嬢様の元まで、ご案内いたします」
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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