46・【ロゼ視点】幸せになる覚悟
「ソフィア様……宰相閣下に、会いに行きませんか?」
ソフィア様とレオ様が、目を見開いて動きを止めた。
そして、ソフィア様は、はっと鼻で笑って首を横に振りながら答える。
「……何を言い出すのかと思えば。あなた正気? そんなの無理に決まっているじゃない。何故、そんなわざわざ捕まりに行くようなことをするのよ」
「戸籍の特別措置を受ける為ですわ」
「戸籍の特別措置?」
レオ様に問われ、わたくしはコクンと頷いた。
領地を運営する際の基礎知識として、その辺りの法は網羅している。
「我が国では、亡命者など特別な理由により戸籍を持たない方に対して、戸籍の特別措置を設けております。新たな名前で、新たに戸籍を作るのです。審査には一定の基準が設けられ各領地主が行いますが、最終的な決済をされるのは法務大臣と宰相閣下です」
特に、フォンテーヌ侯爵領は亡命者が多い。国として円滑に受け入れる為、領主は国と速やかに連携を取らなければいけない。誰に連絡を取ればよいか、どのような手続きが必要かという知識も頭に入っている。
「でも……! 私は現段階で犯罪者よ? そんな措置受けられるわけ……」
「もちろん、前科の有無は問われますが、事情は考慮していただけますわ。ソフィア様は、初犯でいらっしゃいますし、幼子を抱えていらっしゃいます。条件さえ揃えば服役も免れる事は可能かと思われます」
「……条件ってなんだ?」
「我が国は、王政です。法務大臣も宰相閣下も、王が納得するだけの素地があるかどうかを決済の基準にしている筈です。つまり、王が納得せざる負えない状況を作り出せば良いのです」
「……どういう事?」
この方法は……かなり酷かもしれない。でも、現状この方法しか思い浮かばない。
「今回の事件とその経緯を公にし、過半数の貴族の同情票を得ます。そして、事件関係者である宰相閣下とレオ様が恩情を陛下に求めてくだされば、確実かと思われますわ」
案の定、お二人が息を呑んだ。生家の事情や自らを傷つけた事、婚姻の理由まで、過去に受けた傷を衆目に晒さなければいけないと言うのは、そう簡単な事ではない。
ソフィア様が、はははっと乾いた笑みを浮かべながら首を横に振る。
「無理よ……だって、それはお父様の評判も傷をつけることになるわ。そんな事、認めて貰えるはずがない。それに、そこまでしてもし受け入れられなかったら? 私は服役して、子供と離れ離れにならなければいけないのよ? 私の子はまだ二歳なの。それも、足が不自由なのよ!」
「わかっております。けれど、戸籍を得て真っ当に生きる為には現状これしか……。それに、ソフィア様はお気持ちを宰相閣下に言葉でお伝えになられたことはありますか? 宰相閣下のお気持ちを、確認されたことは?」
「そんなこと……!」
「裁判になり、責めを負うとしたら恐らくそこでしょう。何故、逃げ出す前に言葉を重ねなかったのかと。だからこそ、それを乗り越えたという証明が、宰相閣下とレオ様の双方から必要なのです」
わたくしがそう言うと、場に沈黙が走る。そう簡単に決められる事ではない。
少し時間を置いて考えて欲しいと口を開きかけたところで、言葉を発したのはレオ様だった。
「……ああ! めんどくせえ! やめだ、やめだ!」
「……え?」
レオ様は、頭をガシガシと掻いて組んでいた足を解き、椅子の背に少し身を凭れながら言う。
「この国には、戸籍を持たないものが他にもいるという事は、知らないわけじゃないよな。 それこそ、孤児や失踪者は五万といる。その内の一人だと思えば、そこまで事を大袈裟にする必要はないだろう? 実際、この家を見てみろ。何の不自由もなく暮らしていたんだ」
「それは……」
そうかもしれないけれど……。わたくしが黙ると、レオ様は続ける。
「事情も把握したし、この程度の軽犯罪に目を瞑るなんて大したことじゃない。警邏隊をそれとなく誘導する事も出来る。無理をして新たに傷を負う必要はないだろう?」
「……本当に、そうでしょうか?」
わたくしは、ソフィア様に目を向ける。ソフィア様は、少したじろいだ様子でわたくしの視線を受け止める。わたくしは、ゆっくりと口を開く。
「ソフィア様……先程は、どちらに行かれていたのですか?」
「え?」
「わたくしとレオ様が、ここでお待ちしている間ですわ。……ご自身が捕まっても良いようにと、ご家族を逃がす算段をしていたのではございませんか?」
ソフィア様が、肩を揺らし顔を強張らせて息を呑む。その表情は、わたくしの予想が当たっている事を示していた。答える義理もないわたくしの質問に素直に答えてくださったのも、恐らく時間稼ぎの為だったのだろう。
「レオ様のようにお強い方が常に側にいて、やってきた追手をすぐに退け、家族を抱えて逃げ出す事ができるのなら別でしょう。ですが、このような事が今後もあったとして、その度に、ソフィア様は決死の覚悟で挑まなければいけないのです。それは、本当に幸せだと言えますか?」
いつもどこかで人を疑い、明日、突然訪れるかもしれない変化を恐れる。そんな毎日の中で浮かぶ微笑みは、本物なのだろうか? いってらっしゃいと見送る度に、これが家族と永遠の別れかも知れないと抱擁し合うのは……とても辛くて、悲しい事でしょう?
「誤解なさらないでいただきたいのは、わたくしは、ソフィア様の罪を責めているわけではありません。レオ様もそうだと思いますが……致し方ない事だったという事は、充分伝わりましたわ。その上で、ただ、選択肢の一つをご提示したかっただけなのです」
「……それにしても、貴族達なんていうのは人の不幸を喜ぶような奴らばかりだ。何を言われるかわかったもんじゃないぞ」
「だからこそです。告白の内容がショッキングなものであるほどに影響力があり、同情する者に光が当たります。その時、彼らに利が生まれます。そこを、こちらが利用してやるのだと言うつもりで挑まなければなりません」
「だが、それは……」
レオ様も、ちらりとソフィア様を見る。これは、今後どう生きていきたいかという理想と、それに準じる覚悟があるかという問題。ソフィア様自身が、決めなくてはいけない事だ。
「レオ様の元を飛び出し、あらゆる経緯を経て今があるのだという事……それは、決して容易な道のりではなかったと思います。そうして、必死に幸せを守ってきたのだと言う事もわかります。でも……だからこそ、このままで良いのでしょうか?」
年若いソフィア様の切実な思いが、現実を変えた。その方法は決して正しいものとはいえないかもしれないけれど、その勇気は素晴らしかったと讃えてあげたい。その為には、逃げ出した過去と今一度向き合わなくてはいけない。
「パーティは、揃いました。ソフィア様は、もう一人ではありません。現状を変えずに生きるという事は一見賢くも思えますが、迫りくる問題にだけ対処するような生き方では、どこにも辿り着けないのだとソフィア様はもうお気づきの筈です。まだ見た事のない明るい世界があると信じ、飛び出したソフィア様なら尚の事……」
まだまだ年若いわたくしが、こんなことを言っても説得力なんてないかもしれない。でも、言わずにはいられない。背筋を伸ばし、顔を上げてはっきりとした口調で伝える。
「どうか、本当の意味で幸せになるのだと、ご覚悟をお決めください」
次ぐ言葉を、誰もが失った。もう、この辺りで引き際だ。
これ以上、わたくしに言える事はない。
わたくしは、肩から下げていたポシェットの中からハンカチと黒い手帳を取り出し、そっとテーブルに置いた。レオ様を見ると、驚いたようにそれを見つめていた。
「これは……お返しします」
レオ様は、何も言わず眉根を寄せて難しそうな顔をしていた。わたくしはそっと席を立ち、「差し出口を申しました。ご助力が必要な際はいつでもご連絡くださいませ」と言ってカーテシーをし、踵を返した。
「……ロゼ」
去り際に、レオ様に名前を呼ばれる。嬉しい筈なのに、今日はなんだかモヤモヤとやるせない。わたくしは、レオ様を見て言った。
「……積もる、お話もおありでしょう? わたくしは、参りますね」
口元は微笑ませていた筈だけど、きちんと笑えていたかしら?
わたくしは部屋を出て、そっと扉を閉めた。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
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