44・【ロゼ視点】奇妙な三者面談
わたくしとレオ様は、ソフィア様のご自宅に招かれた。
ソフィア様のご自宅は、外観も可愛らしかったけれど、室内もとても落ち着く空間が広がっていた。木目の家具に、温かい色味のファブリック。テーブルクロスの裾の刺繍も、手づから施したもののように見える。預かっているレオ様のハンカチと、どこか雰囲気が似ている。
マーサは室内に、ヨルダンは屋外で待機して貰う事にした。ヨルダンは、ただでさえ大きいのに騎士の格好もしていて、小さなお家だとかなり圧迫感があるから。
ソフィア様は、幾つか御用を済ませてきたいという事で、一旦席を外された。だからわたくしは今、レオ様と二人、通された席に横並びに座りお茶を頂いている。
「……」
「……」
……どうしましょう、気まずいわ! 何からお話しするべきかしら?
まずは、奥様を探す事になった経緯と、本人だと確認したらちゃんとお話しするつもりだったという事は伝えるべきよね。それから、勝手な事をしてごめんなさいという事と……奥様が生きていて、本当に良かったと言う事。そうだわ、ハンカチもお返ししなきゃ。
そこまで考えて、ぐっと胸が痞えるような感覚を覚える。
ソフィア様が行方を眩ませてから5年。ずっと手元に持たれていたハンカチと、手帳に挟んだ姿絵。それは、本当に、レオ様のお心の表れなのかしら?
ソフィア様は、とてもお綺麗な方だった。簡素なワンピースを着ていたけれど、ふっくらとした真白い肌に艶やかな髪は、公女だった頃を思わせる。落ち着きのある微笑みと、大人の女性の艶やかさに自然と目が惹きつけられた。彼女が、レオ様の奥様だった女性。
精一杯のお洒落をしてきて良かった。でも、お二人の歴史を前に、それさえも霞んでしまいそうに感じる。レオ様は……奥様との再会をどう思われたのかしら?
レオ様の様子を伺う為にちらっと隣に視線を向けると、レオ様は頬杖をついてじーっとこちらを見つめていた。その事に驚いて、つい体が跳ねる。それに、小さなテーブルの隣の席は、邸宅のそれとは違ってかなり近い。少し横に動けばすぐにその熱を感じてしまいそうで、わたくしは手元をもじもじと動かしながら、その視線の意味を尋ねる為に口を開く。
「あの……」
「なあ」
「っは、はい!」
レオ様とわたくしの声が重なり、わたくしは、咄嗟に背筋を伸ばす。ドキドキしながら言葉を待てば、レオ様はいつもとなんら変わらぬ調子で口を開いた。
「ちゃんと食ってるか?」
「…………へ?」
「少し細すぎるんじゃないか? よくその腕でカップが持てるな」
「…………そう、でしょうか? 普通だと思いますが……」
わたくしは、虚を突かれながらも思わず自分の腕を見る。
いつも着ている制服は厚みがあるし、先日お外で会った時はフードを羽織っていた。今日は、取り分け細く見えるのかもしれない。
「どちらかと言うと、わたくしは食いしん坊な方です」
「はっ。まさか」
ふっと、レオ様が口元と目元を緩めて笑った。それがいつも通りの微笑みで、わたくしは肩からほっと力が抜ける。その心中はわからないけれど、少なくともレオ様は、奥様との再会を冷静に受け止めているようだ。そうなると、わたくしが一人あくせくしていても仕方がない。わたくしは、レオ様と同じように口元を微笑ませて口を開く。
「本当ですわ。夜会などでも、こっそりたくさん食べるのがとても上手なんですのよ?」
「へぇ。どうやるんだ?」
「そうですわね……。まずは、会場全体を見回して一口大で食べれそうなものを確認して……」
わたくしが淑女的食いしん坊の心得を話そうとすると、背後で部屋の扉が開いたのがわかった。レオ様と二人振り返ると、少し驚いた顔をされたソフィア様がそこに居た。ソフィア様は、すぐにはっと意識を戻されその場で一歩足を後ろに引き、スカートの裾を摘まんで膝が床に付きそうなほど身を屈め、深々と頭を下げられる。カーテシーとは違う、自分をかなり遜らせる礼の仕方。
「お待たせして申し訳ございません。バレナ公爵閣下、フォンテーヌ侯爵令嬢様」
わたくしは、驚いて思わず腰を上げる。
「お止めください……! わたくしが、突然押しかけたのです。むしろ、謝るべきなのはわたくしの方ですわ!」
「……いいえ。わたくしは、全ての身分を捨てた女です。それどころか、戸籍を偽る罪人です。貴族であるお二人にお待ちいただくなど、あってはならない事です」
わたくしは、はっと言葉を詰まらせる。我が国では、国民は等しく魔力属性の検査を受ける事が義務付けられている。この検査では同時に、魔力の証文――指紋鑑定のように魔力の特徴を記した証と戸籍を同時に得る事になる。5年の歳月が経ち、亡くなったと認定された場合は、戸籍も証文も破棄されるが、そのままの状態での滞在は不法と見做される。特に、貴族席を持つ者が生きているにも関わらず死んだと偽る事は、陛下を偽る事に直結する。生きていて、じゃあ良かったねでは済まされない問題だ。その秘密を暴いてしまった事の重さに、今更ながらに気が付く。
ソフィア様は顔を上げず、ほんの少し掠れた声で続ける。
「バレナ公爵閣下にも……お詫びの言葉もございません」
何が、彼女をここまで駆り立て、追い詰めてしまったのだろう。対応に困り今一度レオ様へ顔を向けると、レオ様は、ソフィア様を見てはぁ~と深く溜息を吐いた。
「……やめろよ。別に捕らえに来たわけじゃない。それに、そんなタマじゃねえだろう」
「え……」
何を仰っているのかしら……? と思っていたら、ソフィア様がふっと吐息で笑ったのが分かった。目を向けると、ソフィア様は顔を上げて、これまでの態度が嘘のように飄々と微笑まれた。
「あら、そう。なら良かった。ああ、でも、お詫びの気持ちは本当よ? 私だけが悪かったとは、思っていませんけどね」
その変わり身の早さにぽかんと口を開けていると、ソフィア様は立ち上がり、すたすたと歩いてわたくしの前の席に優雅に腰掛けられた。考えが追い付かず固まっていたら、レオ様がわたくしの座っていた椅子の背凭れをポンポンっと手で叩き座る事を促してくれたので、わたくしは、それに応じて素直に腰を落とす。この、奇妙な会合の口火を切ったのは、ソフィア様だった。
「この街に来たのは、つい最近なの。それまでは、王都からかけ離れた村を転々としていたんだけど、5年と言う歳月も経たし、そろそろ良いかしらと思って来てみたの。でも、やっぱり、すぐに見つかってしまうものね」
ソフィア様が、脇に用意していたポットと空のカップに手を伸ばそうとする。そこに、いつの間にか側に来ていたマーサがそっと手を添え、穏やかな表情で口を開いた。
「僭越ながら……よろしければ、わたくしが」
「あら、そう? じゃあ、お願いしようかしら」
マーサは、水属性の魔力を持っている。それも、液体の温度を変える事が出来るという特異な技を持っているため、ポットに触れるだけで中身を適温まで温める事が出来る。温めたそれを、流れるような動作でカップに注ぎ入れ、音もなくソフィア様の前に置く。そして、ちらりとマーサがこちらを向いたので、わたくしもいつも通り指を鳴らしお茶に花びらを浮かべる。
ソフィア様は、二人の所作に驚きながらも、嬉しそうに微笑まれてカップに手を伸ばした。
「……やっぱり、良いわね。誰かにお茶を淹れて貰えるって。公女だった頃は、考えた事もなかった」
ありがとうと告げ、香りを楽しみながらカップに口をつける。その所作は、洗練されていてとても美しかった。でも、その指先は荒れてしまっていて、幾つものヒールシール――創傷を癒す為のシールが貼られていた。
状況から考えて、やはりレオ様の元を自ら飛び出したという事なのだろうけど、どんな思いで、どんな日々を送っていたのかしら。ソフィア様は、そっとソーサーにカップを戻し、話し続ける。
「まさか、あなたが私を探してくれているとは思わなかった」
「……俺は別に探してねえ」
「あら? そうだったの? てっきりそうなのかと……」
ソフィア様の視線が、わたくしに向く。わたくしは、再び立ち上がるのもどうかしらと思い、軽く会釈してご挨拶をする。
「略式で、申し訳ございません。フォンテーヌ侯爵家が娘、ロゼと申します。どうか、ロゼとお呼びくださいませ」
「あら……先程も言ったように、私はもう幽霊のようなもの。正式なご挨拶なんて必要ありませんわ。社交界にいたころ、随分とあなたのお噂は伺いましたわ。ふふ。本当にお可愛らしい方ね」
幽霊なんて……そんな言葉が全く当てはまらないほど、ソフィア様はの笑顔は活き活きと明るかった。王家の血筋だけあって、ほんのり金色にも見える黄土色の瞳は輝いているし、唇は艶を保っていてとても美しい。
「……ソフィア様がご存命かも知れないと聞いて、お探ししてしまったのはわたくしなのです」
「あなたが?」
「理由もわからず、“亡くなったのかもしれない”という不確かな情報だけのお別れでは、レオ……バレナ公爵閣下が、あまりにもお可哀相だと思ってしまって。ただ、本当に本日はご本人かどうかをこの目で確かめようと思っただけで、かように押しかけるつもりはなかったのです」
「……あなたは、レオノール様のなに?」
わたくしは、思わず口を閉ざす。迷わずとも『ただの教師と生徒です』と答えなければいけないのだけど、それはなんだか悔しくて、口が開けない。わたくしが黙ったところで、レオ様が告げてしまうだろうから、何の意味もないのだけど……。何て答えたらと困っていたら、一足先にレオ様が口を開いた。
「……ほっとけ。関係ねえだろ」
思わずレオ様のお顔を見る。頬杖をついてそっぽを向いてしまっているから視線は合わないし、その横顔はどちらかというと気だるげだけど……庇ってくれたと思うのは、都合良く考えすぎかしら? そんな簡単な事で気持ちが浮上してきて、ほんのり喜んでしまう。えへへと内心微笑むわたくしを他所に、二人の応酬が始まる。
「ええ、そうね。でも、その言い方はどうなのかしら? そんな事だから、社交界では冷酷だの傍若無人だのと囁かれて、最終的には妻にも逃げられるのではなくて?」
「妻が逃げたのは、妻の勝手だろう。何でもかんでも、俺の所為にばかりされてもなぁ」
……ん? 何だか、険悪な雰囲気。なのに、妙に息が合っているような……。
「あなたのように、おおらかな人は他にはいないわね。妻が家でどんな気持ちで待っていようが、社交界でなんと言われようが、なんにも気にもならないんですもの」
「その勿体ぶった話し方やめろよ。人の気持ちなんて言われなきゃわかりようがないし、言いたい奴には言わせておくしかないだろう」
「羨ましいわ~。分厚いのはお体だけでなく、心臓もなのね」
「? 俺は太っちゃいねえよな?」
「誰も、そんな事は言っていないわよねぇ?」
お二人が何故かわたくしに答えを求める。このままでは、話しは一向に進まない。お二人の勢いにたじろぎながらも、まずは大切な事を伝えなければと胸を張って口を開く。
「バレナ公爵閣下は、とても素敵な方です。厚みは逞しいばかりで、無駄な所など寸分もごさいませんわ!」
言い切ってどやっと鼻を高くするけれど、ちょっと間違えてしまったような気もする。レオ様は声を抑えて肩を震わせて笑っていらっしゃるし、ソフィア様はなんだか奇特な物を見たとばかりに一歩引いた顔をなさっている。それに、本当はお話を本筋へと戻すはずだったのに……どうしましょう。レオ様を思う気持ちが先行して、また変な方向に進んでしまった。
わたくしが困っていると、マーサがコホンっと咳払いをした。
「お嬢様。折角、こちらまで足を運んだのですから、疑問に思われたことをお尋ねになられてはいかがですか?」
マーサ、さすがだわ!
わたくしが感動していると、ソフィア様が首を傾げて尋ねてくる。
「何かしら? もう、こうして見つかってしまったのだし、私も可能な限り答えるわ。もう、隠す意味もないでしょうから……お茶のお礼にね」
茶葉は、ソフィア様が用意してくださったものだけど……それを言うのは無粋よねと、そこは口を閉ざし、頭の中で疑問を整理し尋ねていく事にした。
「では……馬車の事故に関して、まずは伺ってもよろしいでしょうか?」
わたくしが尋ねると、ソフィア様はコクンと一度頷いて答えた。
「ええ。あれは、私の自作自演よ。もちろん協力者はいたけど、それが誰かと言うのは伏せさせて欲しいわ。……ただ、それに関しては、レオノール様はもう気づかれていたのではないかしら?」
「……え! そうなのですか?」
わたくしは、隣に座るレオ様に視線を向ける。レオ様も、わたくしの方に視線を向け答えてくれる。
「まあ、状況的にな」
「そう……だったのですね」
完全に、わたくしの一人試合だった。拍子抜けして、わたくしが目を瞬かせていると、ソフィア様がやれやれといった風に溜息を零し、レオ様を指さしながら言う。
「それなのにこの人、探しにも来ないのよ? 生きているとわかっているのに。酷いと思わない?」
「は? 何で酷いになるんだ? 入念に工作したうえで逃げ出したんだから、それが意図だと思うだろ?」
「これだから! レオノール様、後学の為に覚えて置いた方がよろしくってよ? 女が逃げる時は、大抵の場合追いかけて欲しいからなのだと」
「……意味が分からん」
ソフィア様の言い分は、レオ様は心底わからないという様子だったけど、わたくしには何となくわかった。レオ様には、何でも的確に言葉でお伝えした方が良さそうだ。わたくしも、後学の為に覚えて置こう。そして、ソフィア様はお茶を口にしながら、零すように尋ねられる。
「……もしかして、お父様の追手も攪乱してくれたりしたのかしら?」
「なんだよ、そっちもダメだったのか? ほんの少し誘導しただけだ」
「……嫌な人」
そう言うソフィア様は、眉間に皺を寄せて難しいお顔をしていたけど……心底レオ様を憎んでいると言う声色ではなかった。むしろ、どこか有難く思っているのではないかしら?
わたくしにはそう伝わったけど、やっぱりレオ様には伝わっていないようで、レオ様はレオ様で難しい顔をされてしまっている。わたくしは、ふふっと微笑み、次の質問に移る。
「では、どうしてそんな事を?」
わたくしが問うと、ソフィア様はピタっと動きを止められた。何か差支えがあったかしらと、もし言いたくなければ言わなくても良いと口にしようとした時、ソフィア様が徐に口を開かれた。
「……あなたは、私とレオノール様の婚姻の意図はご存じ?」
わたくしは、首を横に振る。
「確実な事は何も。噂話程度に、バレナ公爵閣下の地位を盤石にする為と……」
「そうね。表向きはそういう事になっているわね。でも、おかしいと思わない? 国唯一の公女が、そんな事の為に身内同士で身を固めるなんて」
わたくしは、言われてはっと気が付く。
系図が頭から抜けてしまっていたけれど、お二人は従兄妹同士にあたる。
息が妙にあっていると思えたのは、そもそも、持っている雰囲気が似ているのだ。
でも、そう考えると、確かに不可解だ。
我が国が愛と豊穣の神を主神にし、自由恋愛を尊重している風潮があるとは言え、国唯一の公女ともなれば他国との縁を深めたり、国内の有力貴族と結びつきを強くしたりする為の婚姻が結ばれるもの。みすみす、身内同士で固めてしまう必要はない。
何故だろうと考えていると、ソフィア様が徐に長い袖を捲り始めた。
「理由は、これよ」
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
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