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40・【ロゼ視点】ハンカチの刺繍

「……ハンカチ?」



 そう言葉を漏らすと、グレッグお兄様はわたくしの声に反応して顔を上げ、「そうそう」と気が付いたように言葉を続ける。


「それ、レオノール様にお借りしたものなんだ。よかったら、返しておいて貰えないかな」

「レオ……バレナ、先生に?」


 グレッグお兄様に目を向けると、戸棚から花瓶を取り出して床に置いた。わたくしが、一旦花束を預かれば、お兄様は教諭室の隅にある流しにそれを持っていき、水の魔法を使い花瓶の塵を軽く払い中を水で満たした。周りについた余分な水分は空気中に舞い上がり、より小さな粒になって霧散する。戻って来られたグレッグお兄様は、花を再度受け取り、机の上で少しずつ生けていく。


「ああ。少し前にお借りしたんだけど、お忙しいのか、中々返すタイミングが見つからなくてね。……その刺繍、誰かが縫ってくれたものだろう? 大切な物かもしれないから」

「え……」


 バッと目を向けると、確かに刺繍が施されていた。そう言われると、縫製にほんの少し左右非対称が見られ、本職の行うそれとは違うように感じる。月桂樹の模様がいかにもレオ様を思わせる。グレッグお兄様は、言葉を重ねられた。


「その後、レオノール様とはどうだい?」

「どう……と、申されましても……」


 レオ様のお名前を聞くだけで、ほんのり頬が熱くなる。最近は、きちんとあがらずに話せているように思う。緊張はするけれど、それでも以前とは全然違う。目を見て、その感情を確認しながら会話が出来ている。これは、わたくしにとっては大きな一歩。


 でもだからこそ、気が付いてしまった事もある。それは、時折、レオ様が見せる何とも言えない表情。どこか困っているような、切ないような……そんな表情。そんな時は、決まって何とも言えない距離を感じる。

 

 今は、イスの事など気がかりな事もあるし、わたくしもセンシティヴになっているのかしら?

 わたくしが何も言わずにいると、お兄様が優しく声を掛けてくれる。


「まあ、焦っても仕方ないか。本当にその心に寄り添いたいと思うのなら、時間を掛けて示していくしかないよね。……良いじゃないか。現状、声が届くほどの距離にはいられているんだ。焦らずゆっくりね」

「……はい。ありがとう、グレッグお兄様」

 

 そう微笑み合うと、ふと、お兄様が何かを思い出したように空を見つめる。


「そう言えば、今年で丁度5年が過ぎたのかな? レオノール様の奥方の行方がわからなくなってから」

「え……」


 そう、言われてみると。わたくしが10歳になる年にご婚姻を結ばれて、翌年には行方が分からなくなったと記事が流れていた。婚姻関係は、レオ様と奥様のお父上である宰相閣下が合意の元で陛下に進言し、すぐに解消されたと聞くけれど、それでも5年と言うのは特別な意味を持つ。我が国では、失踪者は5年を過ぎると黄泉の国へ渡られたと判断される。捜索自体、随分と前に打ち切られたとも聞いている。

 わたくしは、今一度ハンカチに目を向ける。これは、もしかしたら……。


 そんな事を考えながらハンカチに触れると、再びお兄様の声が聞こえた。


「けれど……いまだに物議を醸しているらしいね。実は生きているんじゃないかと」

「……え?」


 驚いて、お兄様に視線を向ける。お兄様も、その視線を受け止めて答える。


「レオノール様の奥方は乗っていた筈の馬車が、川沿いに打ち上げられていたという状況証拠しかなかったから……実は逃げ出す為に演じた事なのではと、噂がかなり出回っていてね。僕も詳しくは知らないけれど、レオノール様は当時あまりご自宅には帰られていなかったそうだから、その事が精神的に厳しかったんじゃないかって」

「? 戦場にレオ様を見送る日々が、耐えられなかったという事ですか?」


 レオノール様がお家に戻られないというのは、きっとお役目を果たされていたからだと思う。話せば話すほど義理堅く、結婚している身で、他の女性に身を寄せるような方だとは思えないもの。でも、お父様をいつも戦場に見送ってきた身として、わからなくはない。いつも耐えがたいほどに、心配で心が痛いもの。慣れていない奥様には、お辛かったかもしれない。グレッグお兄様は苦笑しながら首を横に振る。


「いやぁ……新婚で相手が帰ってこないのは、かなり寂しいことなんじゃないかな。僕も相手がいるわけではないから、想像でしかないけど」

「寂しい……」


 そうか。そうよね……。10年間会えない方を思い続けてしまって、すっかり忘れてしまっていた。お二人の婚姻は政略的なものだったと聞くけれど、もし奥様がレオ様に恋をしていたら、好きな方に会えないのは、寂しいわよね? あら? でも、そこから何故、逃げ出すという選択肢を得るのかしら?

 それに、それではレオ様がお可哀相。まるで、レオ様の所為でそうせざるを得なかったと言わんばかりだわ。レオ様は、きちんとお話すれば必ず希望を聞いてくれたでしょうに。


 ただ、本当にもし生きていたとしたなら……レオ様はどうされるんだろう?

 

 釈然とせずモヤモヤとした気持ちにそっと蓋をして、わたくしは、ハンカチを預かりその場を辞した。




 ◇◇◇


 邸に戻ると、その日は珍しく領地にいるお父様から連絡が来ていたと言う。

 何時でも良いから、落ち着いたら連絡が欲しいと言う伝言を受けて、わたくしは制服を着替え自室で通信具を開いた。


 お父様は、すぐに反応してくれた。


「お父様! ご無沙汰しております。お体に変わりはございませんこと?」


 わたくしは、久しく見る父の顔が嬉しく、笑顔でそう問う。お父様も、うんうんと頷きながら言葉を返してくれる。


「ああ。ロゼも元気そうでよかった。……先日の件、報告を受けたよ。体の方はもう大丈夫かい?」


 ああ……そうか。わたくしが、マグマアントの巣に落ちたと聞いて驚かせてしまったんだ。わたくしは、お父様に安心していただけるよう立ち上がり、くるっと回って見せた。


「ほら。わたくしは、こんなに元気ですわ。ご心配なさらないでくださいませ」

「そのようだね。あまり驚かせないでくれ。私だって、それなりの年なんだから」

「まあ! まだまだお若いのに、それではまるでおじい様みたいですわ」


 わたくしは、座り直しくすくすと笑う。すると、ようやくほっとしたようで、お父様は「学院の方はどうだい?」と話題を変えて尋ねてくれた。わたくしは、事件の事は言えないけれど、他の部分で楽しかった事や嬉しかった事を沢山お話した。




 

 その内に、話題はレオ様の奥様のお話になった。


「ああ。その話は僕も聞いたことがあるよ。実は、僕は社交界で何度かお会いしたこともあるんだ」

「まあ、そうでしたか……」


 それは、そうよね。同じ派閥内で我が家のすぐ上に位置する公爵家のご夫人と、お父様が顔を合わせない筈がない。わたくしは、ちらっとお父様のお顔を伺いながら尋ねる。


「その……どのような方でしたか?」

「ん? ん~……正直、大人しそうな人だなと言う事しか。社交の場には、レオノール様がいらっしゃらないから、いつもお一人でいらしていたしね。宰相閣下は堅物で、嫁に行った娘のエスコートなんて思いつきもしないようなお人だから」


 そう言った諸々が、奥様を追い詰めてしまったというのは、あるのかもしれない。社交の場に女性が一人で向かう事ほど、勇気のいる事はない。ただ、我が国では騎士の妻というのは一定数いるから、まるで受け入れられない話ではないけれど。


 わたくしは、お父様の命で社交は最低限で良いという事で、お父様ご不在時は赴くこともしなかった。でも、公爵夫人ともなれば、出向かなければいけない事もあるのかもしれない。これは、わたくしも、もしかしたら、ひょっとしたら、本当に願いが叶ったなら……()()、なるのかもしれないのだし覚悟しておかなくては。内心、半分夢心地にそんな事を思い、うんうんと一人決意して、話しを続ける。



「お父様は、どのように思われますか? ご夫人は……その、ご存命でいらっしゃると思いますか?」


 わたくしが尋ねると、お父様は「ん~」と首を捻られた。


「もし生きていたとして、だとしたらレオノール様や宰相閣下のお力で見つけていそうなものだけどね。ああ……宰相閣下はもしかしたら、一時でも行方を眩ました娘を受け入れたりはしないかもしれないな。貴族子女にあるまじきとか言って……。偏った考え方のお人だから」

「それは……少しお寂しいですわね。折角の親子ですのに」

「我が家ほど仲が良いのも珍しいものだよ。どちらにしても、ご夫婦の事にあまり立ち入らない事だ。色んな事情がある。ロゼも得意の好奇心は程々にしなさい」

「まあ、好奇心なんて! わたくしはただ、もし生きていたとしたら……レオ様は、お会いになりたいのではないかしらと……そう、思って……」


 家族が、どんな形であれパートナーとなった人が、儚くなってしまってお別れするなんて……これ以上に悲しい事はあるかしら?

 つい、お母様の事を話すお父様の顔が思い浮かぶ。とても切なくて、やるせなくて、でも愛おしそうなお顔をされるから。もし、生きているのなら……その結果がどうなろうと、中途半端でいるよりは、きちんとお話された上で決断された方が余程良い筈だ。もし、レオ様が奥様とまた……なんて考えると、胸がズキっと痛むけれど、このまま諦めてしまって、本当に本当に良いのかしら?

 わたくしは思わず、「む~」と剥れてしまう。お父様は、仕方のない子を見る様にふっと笑い、わたくしを窘める。


「夫婦って、君が思っているよりもずっと特別な関係なんだよ。人に寄るかもしれないけれど、政略であれ恋愛であれ、愛や恋では言い表せない深い思いが生まれるものだ。レオノール様が現状お探しでないのであれば、我々はそっとしておくしかない」

「それは……そうですが……」


 わたくしは、ちらっと机の上に置いたハンカチに目を向ける。もし、あれが奥様が縫われたものだとしたら、それをずっと大切に使われていた事になる。わたくしの小さな花を大切に取って置いてくれたように……。


 わたくしは、その後お父様と他愛のない話を二三続け、通信具の蓋を閉じた。

 通信具を片付け、机に向かう。


 引き出しから、何気なくレオ様に返しそびれた、レオ様の手帳を取り出した。

 ひしゃげてボロボロになってしまっている。それを持ち上げると、つい手元が滑ってそれを落としてしまう。わたくしは慌てて拾おうとし、中から飛び出してきたものを見て目を見開く。すべてをそっと持ち上げ立ち上がり……暫し思案を巡らせた後、ベルを鳴らしてマーサとヨルダンを呼んだ。


「お呼びでしょうか、お嬢様」


 わたくしは、二人を振り返り告げる。


「……調べて欲しい事があるの。お願いできるかしら?」


 二人は胸に手を当て、頭を下げる。

 

「「仰せのままに」」



 手帳の中には……幸せそうに微笑む一人の女性の小さな姿絵があった。

 裏面には、レオ様の字で『ソフィア・バレナ』とその名が綴られていた。


 

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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