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39・【ロゼ視点】それぞれの時


 あの、救護室での一件以来。

 イスはどことなく、よそよそしくなってしまった。

 

 無視をされているわけではない。挨拶をすれば、無難に返してくれるし、その口元は微笑んでさえいる。でも、あの納得がいかずにむっと剥れた顔も、馬鹿だなと笑う顔も、久しく見ていない。


 最近は、気が付けばクラスメイトの数名の男子生徒や学生会の方々とばかり一緒に居る。

 幸いな事は、その中にはセレーナ様の姿もある事。

 セレーナ様は、イスに想いを寄せているから……もしかしたら、わたくし達は今のように少し離れた場所から見守っているくらいで丁度良いのかもしれない。

 それでも、気が付けば3人一緒に居たのに、その時間がつい懐かしく思えてしまう。


 イスは、迎えに来た学生会の方々と何も言わず教室を出ていく。

 わたくしがむ~っと剥れていると、グレースがふっと吐息を零す。


「あまり、気にするなよ。タイミングが悪かっただけで、学院と言う広い社交の場に出てきたんだ。イスはイスで、自分の世界を広げているんだろうさ」

「そうかしら?」

「そうさ。ある程度は仕方ない。……じゃあ、私もそろそろ行くよ」

「え! グレースまで……ねえ、最近放課後になるとお出掛けしているけど、いつもどこに行っているの?」

「ああ、騎士科の先輩と知り合いになってさ。来年以降、騎士科に進学する為に色々と教えて貰っているんだよ」


 そういう事なら、仕方ない。

 わたくしは、諦めて眉尻と肩を同時に落とし、手を振ってグレースを見送る。

 わたくしも、荷物を纏めて救護室へと向かう。


 カレン先生は、あの日以来“魔草”について話題にする事はなかった。

 レオ様も、とてもお忙しいようですれ違うようにしかお話できていない。その事もまた、わたくしを寂しい気持ちにさせた。

 

 レオ様の授業では皆一堂に会するけれど、淡々と進んでいくそれに、何故かわたくしだけが取り残されたような気持ちになる。同じ場所で、ずっと足踏みしているみたい。でも、レオ様との約束は守ろうと、それだけは気持ちを引き締めている。


 そう言えば、ハンゼン子爵令嬢は、レオ様の授業を欠席し続けている。理由はわからないけれど、わたくしはどこかほっとしていた。何もかもが宙ぶらりんのまま、そんな風に、少しずつ、少しずつ、あの日が遠のいて行った。




 そうして気が付くと、季節は、もう夏を迎えていた。

 我が国は、大陸の北寄りにある為、暑さは然程厳しくない。

 けれど、それでも照り付ける日差しは強い。わたくしは、窓から差し込む光に目を細めながら学院の廊下を歩く。すると、後ろから誰かに呼び止められた。


「フォンテーヌ侯爵令嬢」


 振り返れば、深い藍色の髪と海の色の瞳を持つ知性的な顔立ちの男性……グレッグお兄様が立っていた。今日は、寝不足ではないみたい。きちんとした身なりをしている。

 わたくしは、思わず相好を崩し呼ばれた声に答える。


「グレッ……ウィンドモア先生! ごきげんよう」


 いけない、いけない。

 折角、周囲の目を気にしてグレッグお兄様がわざわざ家名でわたくしを呼んでくださったのに、台無しにしてしまうところだった。わたくしは、言い間違えそうになった事にほんのり照れながら、ひざを折ってご挨拶した。


 グレッグお兄様は、そんなわたくしの様子に瞳を細めてくすくすと笑いを零し、もし時間があるようなら教諭室に来ないかと言われた。わたくしも、ちょうど次の時間が空き時間だったので同意する。

 グレッグお兄様の教諭室は、相変わらず凄い様相で……いいえ、むしろ、以前来た時よりも書籍が増えているように見えた。こんなに本を積み上げて、床が抜けたりしないのかしら? そんな事を考えながら通されたソファーに座り、ローテーブルを挟んでお話をする事になった。グレッグお兄様は、お茶を注ぎながら口を開く。

 

「久しぶりだね。聞いたよ。課外授業で中級の魔獣に出くわしたって……大変だったね。驚いただろう?」

「ええ。それはもう。でも、バレナ先生や騎士隊の皆様もいらしたので、きっと大丈夫だと信じておりましたわ」

「ははっ。ロゼらしいね。僕はずっとここの近くの宿舎で寝泊まりしてしまっているから、グレースとも会っていないんだ。グレースも、変わりないかい?」

「……ええ。グレースも変わりなく元気ですわ。最近は、ますます武具の扱いに磨きが掛かって、その猛々しさや凛々しさに見惚れてしまうほどですわ」


 そう、グレースは最近、本当に強くなった。レオ様の授業でしか戦っている所を見る事はできないけれど、何と言うか、動きがより緻密になった。姿勢や目つきも違い、その成長速度はレオ様も驚かれていた。ただ、グレッグお兄様は、やれやれと溜息を零しながら口を開く。


「もう……昔から、そんな事では嫁の貰い手がなくなるって、家族内では言ってるんだけどね。結局話し方も直らなかったし、どうするつもりなのか」


 笑っているからご冗談なのだろうけど、わたくしは、その言葉を聞いて驚きで目を見開いてしまう。

 

「まあ! 強さは、グレースの魅力の一つですわ! それにあの話し口調も、グレースの心根の清々(すがすが)しさを際立たせるだけです。心配しなくとも、そんなグレースだからこそ愛すると言う殿方が近々現れると思いますわ」

「そうかな? 実は、僕は兄としてほんの少し心配なんだ。そんな風に肯定的に受け止めてくれるのは、君やイスぐらいではないかな?」

「そんな! グレースは、魅力がたくさん詰まった素敵な女性ですもの! もう既に虜になって彼女を見つめている殿方がいらしてもおかしくありません! むしろ、その殿方がグレースに見合う方かどうか、わたくしはそちらの方が余程心配ですわ」


 グレースは、昔から面倒見の良い優しい人だった。反面、わたくしは幼い頃、臆病で弱虫で怖いものが沢山あった。わたくしが雷が怖いと言えば、グレースは音が届かない部屋を探し側にいてくれたし、お父様が出兵されている時は「侯爵閣下はお強いから大丈夫だ」とわたくしが安心するまで励まし続けてくれた。

 

 “いつも変わらない人”なんていないのに、振り返ればいつも同じようにそこに在ろうとしてくれる人。それが、わたくしにとっては、父でも母でもなくグレースだった。最近こそ、活発的に人脈を広げているようだけど、思えばグレースはいつも何だかんだ周囲との交流は盛んな方だった。どんな身分の方にも臆さず話しかけ、屈託なく笑うから、皆心が開きやすいのだろう。


 わたくしは、むうと首を捻る。

 グレースの言う通り、今の状況は通過儀礼なのかもしれない。

 

 それにしても、みんな急に変わりすぎではありませんこと?

 わたくし一人、追いつけていなくて、なんだかとっても寂しいわ!

 そんなに急成長しなくたって……かつて無理やり背を伸ばそうとしていたわたくしが言える事ではないかもしれないのだけれど、こう、じわじわというか、一歩一歩と言うものがあるじゃない。


 そんな風に、心の中で膨れていたら、ふわりと風に乗って穏やかな花の香りを感じる。

 グレッグお兄様からだった。


「……お兄様、ラベンダーの香水か何かを身に着けていらっしゃいますか?」

「え? いや……ああ、これかな」


 お兄様がおもむろに、ポケットから小さな巾着を取り出す。

 真白いその巾着からは、確かに同じラベンダーの香りを感じた。


「これは……」

「ああ。以前、君がくれたラベンダーの花束をアレンジしたんだ。大きな花束だったから、色んな人にお裾分けしながら。これのお陰で、夜もすっきり眠れてるよ」

「まあ、それは良かった! わたくしが用意できるお花なら、幾らでもご用意いたしますので仰ってくださいませね?」

「ああ。またお願いしようと思っていたんだ。本当によく効いてくれているから」


 思えばグレッグお兄様は、ほんの少し肌艶も良くなったような気がする。いつもお世話になっているんだもの、幾らでも力になりたい。早速、わたくしが両掌を広げて魔力を流せば、空間がくるくると球を描くように輝き、光の粒が植物の形に変わっていく。数種類の花を出し花束を作り、それをグレッグお兄様にお渡しすると、お兄様は嬉しそうに瞳を細めて受け取ってくれた。


「バラと……あとはなんだい?」

「カモミールにクラリセージですわ。どちらも安眠の効果があるとされています」

「へえ、色々あるんだね」


 ありがとうと、グレッグお兄様は立ち上がり、机の後ろに置かれた戸棚を開けてゴソゴソと何かを探し始める。恐らく、花瓶を取り出しているのだろう。わたくしはお手伝いしようと立ち上がり机の側まで行き、上に置かれている物が目に入る。

 

「……ハンカチ?」

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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