37・【ロゼ視点】わたくしに出来る事
週明け。わたくしは、ノートを持って救護室に向かった。
レオ様やカレン先生の、助けになれたらと思って。
救護室の扉を開けると、カレン先生とレオ様と……イスが居た。
なんとも、物々しい雰囲気だった。
何を話していたのか分からないけど、イスは立ち上がり少し興奮したように顔を赤らめている。レオ様は、憮然と腕を組んで座られているし……かろうじて、いつもの調子で出迎えてくれたのはカレン先生だった。
「ロゼちゃん! こんにちは。体の調子はどう?」
わたくしは、ちらっとイスの様子を見る。イスは、今日はまだ調子が悪そうで、午後は救護室で休むと聞いていたから。少し、顔色はよくなったかしら……?
心配になりながらも、カレン先生の方を向いて質問に答える。
「もう、すっかり大丈夫ですわ。ご心配をお掛けしてしまって、申し訳ございません」
膝を軽く折ってご挨拶すれば、カレン先生は「よかった、よかった」と言って頭を撫でてくださる。頭を撫でられるなんて……幼い頃以来。少し照れながら、ふとレオ様の方を見れば、レオ様もほっと安心したように目を柔らかく細められた。そんな優しいお顔も素敵で、わたくしはまたドギマギしてしまう。いけない、いけない。普通にお話しするって、お約束したのに。
そんな事を考えていると、カレン先生が首を傾げて聞いてくる。
「それより、ロゼちゃん。それな~に?」
わたくしは問われて、胸に大切に抱えていたノートの存在を思い出す。はっとして、それをそっとカレン先生に差し出した。
「あの、これ、“例のもの”について以前わたくしが纏めたノートなのです。最新の情報は、今仕入れているところでございますが……何かの参考になればと思いまして」
もしかしたら、もうこの休暇の間に、この程度の情報なら調べているかもしれない。とうに専門家を呼び寄せている可能性もある。でも、最低限の知識として頭に入っていれば、何かの折に気付ける事もあったりするかもしれない。
そんな思いを込めてノートを差し出せば、カレン先生はそっとそのノートを受け取った。
「……ありがとう。ロゼちゃん」
受け取っては頂けないかもしれないと少し思っていたので、わたくしは、それだけでほっとする。けれど、そんな穏やかな時間も束の間、不意にイスがカレン先生の手から勢いよくノートを奪った。そして、パラパラっとノートを検めると、ノートの表紙をレオ様に見せつけながら低い声を出した。
「……こうやって、利用するだけ利用するんだ?」
「イシドール」
イスを窘めるように、レオ様は低く落ち着いた声を出される。イスは、わたくしのノートをテーブルにパンっと置き、感情を抑えられぬままに話す。
「そうして僕らは蚊帳の外か……刃を向けられたのは僕らなのに!」
「……落ち着け、イシドール。どうしたんだ? お前らしくもない」
「『僕らしい』? はっ! 僕らしいって何ですか。伯父上に何が分かるって言うんだ!」
イスの大きな声に、わたくしは肩を跳ねさせる。イスの顔を見れば、それは怒りに煮え滾ってしまっているよう。顔を真っ赤にして、呼吸が荒い。
わたくしは、努めて冷静に、イスに声を掛ける。
「イス。イス、落ち着いて。何があったと言うの?」
イスは、こちらを見ないまま吐き捨てるように言う。
「……ああ。君からも言ってくれ。君だって、こんなものを持ってくるくらいだ。本当は分かっているだろう? 今回の件は、まず間違いなくハンゼン子爵令嬢が関与してる。彼女の身柄を拘束し、徹底的に吐かせるべきだ!」
わたくしは、思わず目を見開く。レオ様は、はぁと深く溜息を吐き、椅子の背に凭れながら言う。
「……何度も言っているだろう。今回の件は、まだ何の物証もあがってないんだ。“疑惑”というだけで、一人の貴族令嬢を引っ張る事なんて出来ない」
「だから、指を銜えてみていろと? ならばせめて、フォンテーヌ家やウィンドモア家にも話して自衛させるべきだ! ロゼやグレースがここまで巻き込まれたんだ。彼女らにも、彼女らの家族にも知る権利はある!」
「だから! 時が来たらきちんと話すと言っているだろう!」
「それが、“遅い”って言ってるんだ! どれだけ彼らを馬鹿にしたら気が済むんだ!」
わたくしは、イスの腕の袖を引いて言う。
「イス! それは違うわ! お願い、やめて!」
「君は、ここでも伯父上の肩を持つのか!」
「そういう事ではないわ! とにかく冷静になっ……」
イスの袖を強く引けば、漸く視線が合う。その顔を見て、わたくしは、思わず声を失った。イスは、今にも泣きだしてしまいそうで、胸が痛くなる程だった。
「君はっ……、君は、死にかけたんだぞっ……!」
そう言うと、イスは、わたくしの手を振り払って出て行ってしまった。わたくしは、どれ程の事態が起きていたのか、待たされていた方がどれ程辛かったのか、漸く実感する。カレン先生が、どこか迷う様子を見せながらもイスの後を追ってくれて、少しほっとした。
わたくしは、そっとレオ様の方を向く。レオ様は、はぁとまた溜息を吐いて、顔に落ちる髪の毛をくしゃっと掻き上げて呟くように零された。
「……悪い」
「……それは、何に、対してでしょう」
「……」
レオ様が、こちらを向かれないから、視線が合わない。
少し項垂れたそのお姿が痛ましく、馬車の中で聞いたイリーナ様の言葉を思い出す。
『今回の事は相当に堪えていると思います。』
レオ様は、決してわたくし達を蔑ろにしているわけではない。
事件の事を始め、広く大きな目で国を見ている。だからこそ、言えないという事もあるだろう。それは、イスにだってわかっている筈なのに……。
わたくしは、テーブルに残されたノートをそっと手に取る。今回の事件に関しては、何者かの計略によるところかもしれないけれど……もっと、わたくしが慎重に動いていたら、きっとこんな事にはならなかった。事件前後の記憶があやふやだけど、わたくしはどうして、防護壁から飛び出したんだろう。何度も思い出そうとするのに、何故かその度ぐらっと視界が揺れる。それに、みんながわたくしの身を案じて心を痛めてくれているけれど、それはやっぱりわたくしが弱いからで……。悔しい気持ち、焦燥感、無力感。色んな気持ちが綯い交ぜになり、足を重くする。でも、今は……。
わたくしは、ノートをぎゅっと握る。そして、静かにレオ様に語り掛ける。
「レオ様……わたくしは、とても悔しく感じております」
「……君が、悔しく思う必要はないだろう」
ひとえに自分の責任だと、溜息交じりにレオ様は言う。それでも、わたくしは首を横に振る。
「今回の件ばかりではありません。もっと賢ければ、もっと、強ければ……いつも、そうなんです。不出来な自分が嫌になります。でも、そんなわたくしにも出来る事が唯一あるのです」
わたくしは、レオ様のお側に寄り、テーブルの上にそっとノートを置いく。レオ様は、何も言わずそのノートの表紙を見つめている。
「レオ様、わたくしは、あの洞窟から生きて戻りました。それが、全てです。レオ様の、采配のお陰ですわ」
レオ様は、何が言いたいのだという風に眉根を寄せたまま顔を上げる。ようやく視線が合い、わたくしはふっと微笑み、胸を張って続きを話す。
「お忘れのようですが、わたくしは、この国の五つある侯爵家の一つ、フォンテーヌ侯爵家の娘にございます。それも、唯一の。此度の件、わたくしが家の者に『わたくしの命を脅かした敵がいる。事の子細を調べなさい』と命じれば、みな一斉に動き出すでしょう」
「……! 待て、それは……!」
そう……例え身分がレオ様の方が上だったとしても、他家の判断を蔑ろには出来ない。我が家には、我が家の敵がいるから。けれど、レオ様の慌てた様子を宥めるように、わたくしは肩を下げて首を横に振る。言外に、大丈夫だという意思を込めて。
「ええ。そんな事は致しません。だって、わたくしは、この国の忠臣ですもの」
わたくしは、背筋を伸ばし姿勢正しく告げる。
「レオ様に公爵位を与えられた前陛下を、此度の件をお任せになられただろう陛下を、わたくしは信じております。……でも、忘れないでくださいませ。わたくしもまた、国民を守る側の人間なのだという事を」
イリーナ様は、馬車の中でレオ様の事を『どんな時でも、“大丈夫だ”と言わなければならない立場の人間』と称していた。でもそれは、レオ様だけではない。領地を担うわたくし達にだって言える事。
「レオ様が、後ろに控えろと仰るのであれば、決して前に出る事は致しません。腕になれと言うのなら、この力の限りを尽くしましょう。そしていざとあらば……この命を捧げても、あなたの行く手を守りましょう。爵位とは、そういうものです。折角助けて頂いた命ではありますが、それがわたくしに産まれながらに与えられた利権に対する責にございます」
わたくしの言葉に反応するように、彼はテーブルの上に置いた手にぐっと力を込めたのがわかった。それも、その筈。だってわたくしは今、彼の担う物の重さを改めて伝えたようなものだから。酷なことなのかもしれない。でも、知っていてもらいたい。あなたを信じ、ついていく者達の気持ちを。
「けれど、わたくしとて、みすみすやられるつもりはございません。今回のように、必死に生きながらえてみせますわ。それもまた、わたくしの定めです。だから、レオ様……どうかお忘れにならないでくださいませ。お一人で全てを背負い、守る必要などないのです。微力ではありますが、わたくしもまた、大きな意味でレオ様のお力の一部なのです」
レオ様は、何も言わず真剣にわたくしを見つめる。わたくしはそれを受け止め、自身の胸に当てて告げる。
「現状、手元にあるものに感謝し、進みましょう。わたくし、希望を失わないという事に関してだけは、些か自信がありますの」
わたくしが、得意げに胸を張り鼻を高くしてそう言うと、レオ様はふっと相好を崩され、口を開いた。
「……そうだな。この国には多くの忠臣がいて、陛下もさぞ心強いだろうよ」
ありがとうな……と言って立ち上がり、レオ様は空いている手でぽんっとわたくしの頭を撫でた。本日二回目。でも、カレン先生の時とは比にならないほど敏感に、その温度や厚みを感じ取ってしまいわたくしはかぁっと頬を赤らめる。
でも、レオ様はそれを気にする素振りも見せず、手を離し、何かを思い出すように視線を逸らして言葉を続けた。その視線に、もう迷いの影はなかった。
「悪いな……今回の件は、俺の一存では決められない事も多い。折を見て、きちんと説明するから」
「……はい。心得ております」
「だが……」
わたくしは、視線を下げてレオ様の言葉を待つ。けれど、レオ様は不自然に言葉を区切られ、何も言わない。不思議に思いそっと視線を挙げると、レオ様は口元を手で隠しん゛んと喉を鳴らして続ける。
「だが……ロゼが今日言った言葉は、決して忘れないと約束しよう。だから、まずは自分の身を守る事を最優先に考えて待っていてくれ。いいな?」
今、名前を……。
わたくしは、じんっと感動し、目一杯顔を綻ばせて「はい!」と返事をした。
レオ様と視線が合う事はなかったけれど、わたくしは嬉しくて、その後暫く頬が緩んだままだった。間もなくしてカレン先生が帰ってきて、わたくし達の様子を揶揄い、段々といつも通りの雰囲気に変わっていった。
イスの事は心配だけれど……きっと落ち着けば、わかってくれる。
だって、苦楽を共にしてきた親友だもの。わたくしは短絡的で、その時は、ただ、そう信じていた。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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