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36・【ロゼ視点】胸に潜む悔しさ


「“魔草(まそう)”……?」


 わたくしの言葉を、レオ様が眉を顰めて繰り返す。わたくしは、コクンと頷いた。

 

 ハンゼン子爵令嬢からそれを感じたのは、ほんの一瞬。でも、間違いない。

 あれは、採集に出る直前の事だった。

 

 魔草とは、魔獣のように魔力を内に溜めた植物の事。我が国で有名な物と言うと、森の奥に佇み魔力の霧を生み出す大樹や小さく明かりを灯す美しいキノコ、伝説と言われている万病を治す草など、記者達が新聞の脇に飾りとして取り上げるような物ばかりで、あとの細々としたものは恐らく専門家くらいにしか知られていない。


 と言うのも、魔草は上級の魔獣が住まう森の奥深くに自生し、実物を見る道は険しく、何とか手に入れたとしても環境を変えればすぐに枯れてしまう。さらに、その魔力の所為で食せば魔力あたりを起こし人は体調を損なうので、細々と効能があったとて普通の薬草で代用が効くのならわざわざ手を出す者はいない。有用性がない為、一般的に情報が広がっていないのだ。


「“植物”と“魔力”という言葉に惹かれ、役に立つのではと文献を取り寄せて調べたことがあるのです。数点でしたら、我が家に保管している物もございます。全く同じものではありませんが、ハンゼン子爵令嬢からはそれらと似た気配を感じました」

 

「気配?」

 

 レオ様に問われ、少し考える。感覚的なものなので、説明が難しい。

 悩みながら、わたくしは口を開く。

 

「存在感とでも言えば良いのでしょうか……植物は種類ごとに特有の空気を纏っています。わたくしは、それを一人一人の人を識別するのと同じように、違いを感じる事ができるのです。その中でも、普通の植物の気配と、魔草の気配とでは、大きく異なります。……意思が強いと申しますか……」

「意思? 植物の?」


 今度はカレン先生に問われ、わたくしはその言葉に頷きながら答える。


「はい。通常の植物の意思は、ふわっと軽やかで、何と言うか……その瞬間瞬間の出来事を記憶し、すぐに受け流してしまうような穏やかさがあるのです。けれど、魔草はもう少し執念深く……端的に言えば“餌が欲しい”と空腹を訴えてきます。一般的にはあまり知られておりませんが、魔草の中には生き物の魔力を養分とするものがいると聞きます。動けない分、方法も狡猾で、魔獣などに幻覚を見せおびき寄せるものもいると」


「それって……!」

 

 カレン先生が、何かを指し示すように声を上げレオ様を見る。

 その反応に、少し違和感を覚える。事は深刻なのだと受け止めて貰えるのは嬉しいけれど、それ以上の何かがある気がしてしまう。わたくしは、戸惑いながらも言葉を締めくくる。


「なので、もし、ハンゼン子爵令嬢が魔草に何らかの形で日常的に触れているのなら、お止め頂いた方がよろしいかと存じますわ。魅入られては、どのような影響がでるかわかりません、もの……」

 

 発言が、思わず尻すぼみになる。

 途中から駆け寄ってきたイリーナ様も、言葉を詰まらせている様子だ。

 わたくし、何かまずい事を言ってしまったかしら?

 みなさまのお顔を順に見ていると、カレン先生が口を開く。


「つまり、ロゼちゃんなら、その魔草を特定する事が出来るという事ね?」

「……! おい!」


 すかさずレオ様がカレン先生の肩を掴み止めに掛かる。

 カレン先生は、それを受け口を開く。

 

「何よ」

「ダメだ。危険すぎる」

「はぁ? 何言ってるの? やっと見つけた突破口じゃない!」

「ダメなものは、ダメだ!」


 レオ様とカレン先生の視線が、強くぶつかる。

 鬼気迫る様子で少し怖い。恐る恐る、問われたことに答える。


「特定は、可能です。ハンゼン子爵令嬢から感じた気配を覚えましたので、わたくしの魔力が届く範囲内にその植物があれば、すぐにわかる筈で……」

「必要ない。これ以上は関わるな」

「レオノール!」

「この話は終いだ! イリーナ、フォンテーヌ侯爵邸まで帯同してやってくれ」


 レオ様はそう言うと、背を向けて行ってしまう。

 カレン先生も苦々しいお顔をされて、珍しく「くそっ」と口汚く呟いて、馬車留に向かった。わたくしは、そんなお二人の後姿をちらりと見送りながら、イリーナ様に付き添われ帰路についた。



 

 

 


 フォンテーヌ侯爵家の馬車の側には、御者と迎えに来たヨルダンが待機してくれていた。だから大丈夫だとイリーナ様にお伝えしたけれど、「命令ですので」と、共に馬車に乗る事になった。馬で隣を歩くヨルダンに護られながら、馬車は王都にあるフォンテーヌ侯爵邸へと向かう。馬車の中で、イリーナ様に尋ねた。


「……何が、起きているのでしょうか?」

「……」


 呟きにも似たわたくしの問いに、イリーナ様は視線を俯かせたまま答えない。

 そもそも、魔獣に襲われた件からしておかしかった。何も聞かされていないけど、あの何かが割れる音は、魔獣を誘う為のものだったのではと……。

 誰を狙った物かはわからない。どこまでが策の内だったのかも。

 

 考えていると、イリーナ様がふぅと詰めていた息を吐き出したのがわかった。

 見れば、困ったように眉を寄せながら、優しいお顔で微笑んで口を開かれた。


「ロゼ様……貴方の疑問は(もっと)もでございます。だが、私の口からは子細にお伝え出来ないことをお許しください」

「……」

「ただ、今回ばかりは……バレナ参事官の気持ちがわかるような気が致します」

「え……」


 レオ様の気持ち? わたくしは、イリーナ様を見つめる。けれど、イリーナ様は手元を見つめたままで、視線は合わない。


「今回、私は初めて護衛対象者を見失うという失態を犯しました。ロゼ様は私共の所為ではないとおっしゃってくださいましたが……騎士として、今日の事を忘れる事は出来ないでしょう。貴方が居なくなった後の土砂を見た時、お戻りを待つ間、まるで生きた心地がしなかった」

 

 なんとなく膝に置かれたその手元を見ると、イリーナ様の泥だらけになったズボンの裾が目に入り、つきんと胸が痛む。わたくしを探す為に、汚れることも厭わず土を掘り返してくれていたのだろう。


「恐らく参事官も同じだったのではないかと思います」

「……え?」


 レオ様の名が聞こえ顔を上げると、今度こそイリーナ様の灰色の切れ長な瞳と目が合う。

 その強い瞳を見て、彼女もまた、レオ様と同じ、人を率い束ねる人なのだと気づかされる。


「彼は、どんな時でも、“大丈夫だ”と言わなければならない立場の人間です。常に活路はあるのだと、下の者達に示さねばなりませんので。だから、見た目こそ動じていないように見えますが、恐らく、今回の事は相当に堪えていると思います。まだ、付き合いこそ日は浅いですが、貴方が居なくなったと言った時のあんなにも必死な姿を見るのは、初めてでしたので」

「……」


 なんだか、複雑な気持ち。

 レオ様のお心はとても嬉しい。みなさまに、沢山ご心配を掛けてしまった申し訳なさと、有難さも感じる。でも、こんまま何も教えて貰えないまま、蚊帳の外に置かれるのは少し悔しい。わたくしは、結局また、守られている事しかできないのだろうか……。


 イリーナ様の言葉に何も答えられないまま、馬車は邸に近付き、背丈の高い門扉の向こうに華やかな屋敷が見えてくる。帝国の美術館と見まがうほどの美しさ。高価な魔晶石をふんだんに使い、窓からきらきらと明かりが零れる。この景色を見る度に、ほんの少し……胸の奥がちりっと、罪悪感にも似た痛みに襲われる。わたくしは、この邸にふさわしい人間なのだろうか。そんな情けないこと、誰にも言えないけれど。


 

 イリーナ様は、邸に入るまでわたくしに付き添ってくれた。家令のブランドンに、何があったのか子細を伝え、休養が必要な事も説明してくれた。その声に応じて、使用人達が一斉に動き出す。イリーナ様に別れを告げ、湯浴みをし、丁寧に髪や肌を磨かれて軽く食事を取りベッドに横たわれば、疲れた体に眠気が襲ってくる。わたくしは、色々な考えを放棄して、そっと意識を手放した。




 ◇◇◇



 週末、わたくしは体の痛みで休憩を余儀なくされた。所謂、筋肉痛で……。

 あとは、光属性の治癒魔法を使った反動があるかもしれないと、カレン先生も仰っていたから、きっとそれも関係している。学院がお休みで、本当によかった。

 

 わたくしは、緩やかなドレスを着て自室で寛ぐ。

 ビロードのソファーの背に凭れ、ぼんやりとするけれど、どうしても事件の事が蘇ってしまう。


 考えても仕方のない事だというのは、わかっているのだけど、別れ際のレオ様の後姿が思い浮かぶ。あの広いお背中に、何を背負っているのかしら……。

 この体では鍛錬も出来そうにない。いっそ、魔草について少し資料を見返してみようかしら?


 …………そうね、それが良いわ!

 思い至ったら善は急げと起き上がり、マーサを呼んで、書庫に保管されている筈の資料一式を部屋に運ぶようお願いする。また、新たな資料があるようであれば取り寄せて欲しいという事も重ねて頼んだ。そちらは、恐らく数日かかるだろう。


 暫くすると、書庫の管理人が資料の纏めた箱を届けてくれる。蓋を開けると、大小さまざまな文書が詰められていた。一番上には、当時文献を読み漁り、情報を精査して一冊の図鑑のように自分で纏めたノートが置かれていた。


 懐かしさを感じながら、資料を見返してノートに不足している情報を書き留めていく。

 すると、ふと魔力を感じ振り返れば、通信具が光り、呼んでいるのがわかった。


 資料を横に纏め、テーブルの上に通信具を置き開けば、空中にグレースが映し出された。



「グレース! ごきげんよう。お加減はいかが?」

「私は問題ない。連絡は貰っていたが、顔が見れて良かった。君は大丈夫か?」

「ええ。この通り、元気よ。ふふ。ちょっとだけ筋肉痛だけど」

「そうか……」


 グレースは、ほっと溜めていた息を吐き出したようだった。随分と、心配を掛けてしまっていたのが分かる。わたくし達は、会えていなかった間に何が起きたのか、情報を共有した。

 

 グレースは、森にやって来たカレン先生の手当てを受けた後、イスとノーマン卿と共に王城に向かったらしい。イスも、特段傷を負ったりはしていないとの事だった。ただ、魔力を振り絞るように使ってしまったので、数日は魔力が枯渇した状態になり無理は出来ないだろうと言われたそうだ。今頃きっと、宮廷医のケアも受けながら休んでいる所だろう。


 イスと別れた後、グレースは、ノーマン卿に付き添われ王都の邸宅に戻ったとの事。ウィンドモア伯爵夫妻は今王都で過ごされているので、ノーマン卿の説明を受けた時はとても心配された様子だったけど、グレースの変わりない姿を見てほっと胸を撫で下ろされたそうだ。元々、グレースはかなり活発で、普段から城下町などへも気にせず一人出かけてしまっている。「なんというか、今更なんだよな」と、グレースは笑って言う。



「それにしても、不可解な事が多い。バレナ公爵閣下やイリーナ様は何か言っていなかったか?」


 わたくしは、つい押し黙る。事件の子細は全く聞いていないけれど、レオ様やカレン先生、イリーナ様の反応を察するに、“ハンゼン子爵令嬢”や“魔草”が何らかの関与をしているような気がする。けれど、確証のある事ではないし、何か加えて知っているわけでもないので、わたくしは首を横に振る。


「いいえ、なにも」

「そうか……」

「……そういえば、グレースもノーマン卿に付き添われて帰ったのよね? 何か仰っていたかしら?」

「ん! ん~? いや……」


 常にないグレースの反応に、わたくしは首を傾げる。

 急に視線を彷徨わせて、歯切れが悪い。どうしたのかしらと、重ねて問う。


「グレース?」

「ん~……いや。特には何も言っていないよ。自分は何も知らないと言っていたな」


 目が合わない。頬を掻きながら、明後日の方を向いている。

 間違いなく何かを隠している気がして、声を低くして重ねて問う。

 

「……グレ~ス~?」

「いや、本当なんだ! ただ……あの人は、あれだな。種類で言うと、狼などが合うと思う」

 

 わたくしは、思わず首を傾げる。話の脈略がズレているし、そもそもグレースがそんな風に人を何かに例えるなんて、珍しい。それに、ノーマン卿は物腰が柔らかくて、およそ狼と言う雰囲気ではなかった。むしろ……。


「狼と言うなら、レオ様の方がよほど狼のような気がするわ? ああ、でも、そうね。あの眼差しに、不動のオーラは、どちらかというと百獣の王かしら?」


 レオ様の輝かしい姿を思い浮かべ、わたくしは思わず崇めるように手を組んで目を閉じる。あんな素敵な人に洞窟の中、ずっと抱きかかえられていたなんて。本当に、今でも夢を見てるみたい。それに最後に見た、照れたようなお顔。何て愛おしいのかしら。

 そんなわたくしを他所に、グレースは怪訝な声を出す。

 

「……いやあ、閣下はどう考えてもゴリラだろう。腕一本で地面を割ったんだぞ? さり気なく流したけど、空恐ろしいな」

「そうね……ゴリラも家族思いと聞くし、国を思う姿などはゴリラ寄りなのかしら?」

「ゴリラ寄りって……それで良いのか、君は」


 ぷはっと、グレースが吹きだすように笑う。

 わたくしは、それだけでほっとする。どんなに恐ろしい事があっても、やっぱりわたくし達はいつも通りが一番無敵。その後、暫くの時間、取るに足らないような事を話して通信具の蓋を閉じた。グレースと話して気持ちがすっきりとしたわたくしは、頭を切り替えて再び資料に向かった。




貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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