32・【レオノール視点】何があった!
各話で文字数の統一がとれておらず、申し訳ありません。
本日は7000字近くと少々長いです。
お付き合いいただけたら幸いです!
何かあるとするなら、今日のような気がしていた。
「え? あ? え? えっと、そ、それでは失礼いたします!」
「お、おう。とにかく、全員気をつけろよ」
馴染み深い面々が、慌ただしく森の中へと向かっていく。その後姿を見送り、俺は手元にある地図を確認する。
この後は、それぞれの騎士達と事前に打ち合わせしていた採集場所を順に回るつもりだ。特に、ハンゼン子爵令嬢とイシドール達のチームが回る場所は、念入りに打ち合わせをしておいた。何も手を回さなければ子爵令嬢は、まず間違いなくイシドール達と同じチームになるだろうと踏んで、事前に騎士科の生徒達に声まで掛けて……。
だが、確証はなかった。ハンゼン子爵家や令嬢と俺との繋がりも見いだせなかったし、令嬢自身に何かあったとして、俺が関わっているとはどうしても思えない。
初日以来、子爵令嬢はかなり控えめな生徒だった。あの見定めるような視線も、“古魔術”についての質問も、まるでなかった事のように。ただ、淡々と授業を受けては帰って行く。本人は至ってか細く、普通の子女で、何か事を起こせるようにも見えない。だから、本当にただの予感のようなものだ。
けれど、そういう予感ほど的中したりする。備えていて損はない。
地図を折り畳みポケットに詰め込み、一度、集合場所にと張らせていたテントに戻る。
待機させておく騎士達にも声を掛け、テントの脇でシルクスモークを一本だけ嗜む。ふぅと息を吐き、体に染みていくのを感じながら、張り詰めた意識をほんの少し緩めれば、先程のやり取りが思い出される。
イシドール達3人と、イリーナとノーマンのチームは、三種三様で中々良かった。キャラも違えば、得意な事も考え方もそれぞれだ。俺も必要に応じて様々な人間とパーティーを組んだが、良いチームは空気からして違う。
もちろん、生徒達の力を借りるような有事があって欲しくはないが、魔獣相手と言うのはいつも何が起こるか分からない。あの三人は、実戦の経験はないがそれぞれに筋が良い。授業を見ていて思ったが、ウィンドモア伯爵令嬢に関しては騎士科の生徒達にも並ぶ腕前だ。イシドールは、剣の腕はそこそこだが王家特有の強い魔力がある。余程修練を積んだのだろう。扱いも完璧だ。
……彼女に関しては、魔力量に反して扱いが上手くいっていないという点や、生まれつきその魔力の質の所為で筋量が追い付かないと言う課題はあるが、持久力がある。授業を受ける姿勢も真剣そのもので、吸収も早く、好感が持てる生徒だ。周囲の教師達がみな一様に彼女を褒めるのも頷ける。姿勢も良く、なにより出来るまでは決して諦めないと言うあの眼差しが良い。弓の腕に関しては、相当な物だった。
『……な、なんでもありませんわ! さあ、みなさま、参りましょう!』
………………ん゛~む……。
俺は、脳裏にあの薄桃色の柔らかそうな髪を持つ彼女を思い浮かべ、思わず唸り、首の後ろを摩る。
彼女のことを思い出すと、何となく調子が狂う。
この数か月、俺と彼女とは、何という事は無かった。借りているハンカチは、結局汚れを落とすことはできず、その後返すことも、返せないと言い訳をすることもできずにいる。授業の度に顔を合わせてはいるが、彼女は教師という俺の立場を尊重してくれているようで、特別声を掛けてきたりはしないし、俺も目を掛けたりはしていない。時々カレンの所で見かけたりもするが、かなり意識してしまっているのか、真っ赤になって固まってしまう。そんな姿もまあ可愛らしいと思ってしまっている俺も俺なんだけど、俺自身も未だ覚悟も定まらぬまま、何となく流してしまっている。
今日は、またいつもと少し様子が違った。他の人間なら、一切気にならないだろう事が気に掛かる。彼女は、何となく悲しそうな顔をしていたかと思えば、目も合わせず、会話を交わす事もなく森へと向かった。
……俺、なんかしたか?
じっくりと考えを巡らせるが、思いつくような事は何もない。
気が付けばスモークも終わりに近づいた。そろそろ俺も切り替えて出発するか……。
色々とすっきりとしないまま、俺はスモークを燃やし森へと足を向けた。
◇◇◇
それから、数十分後の事だった。
ハンゼン子爵令嬢についていた騎士から連絡があった。体調が芳しくなく、一人森の中腹の湖の側に留まり採集を行いたいと。二人つけていた騎士達は、二手に分かれて一人が帯同しているとの事で、俺はそちらに向かった。正直、いよいよ来たか……と、そういう気持ちだった。
木々を抜けると、湖の脇にしゃがみ込み、採集を行う子爵令嬢の姿が目に入った。透けるようなベージュ色の髪が、木漏れ日に照らされより明るく見える。俺は、帯同していた騎士に近くに待機しているよう腕だけで指示を出し、その側に寄った。
「……おい」
俺が声を掛けると、ベージュ色の頭がゆっくりとこちらを見る。霞がかったグレーの瞳が、俺を捉えるとにこっと細められた。
「先生」
「……体調は、大丈夫か?」
「ええ」
さて、どこから切り出すか。迷っていると先に口を開いたのは子爵令嬢の方だった。
「先生は、わたくしの事をどこまでご存じかしら?」
滑らかでむらのない声が、ほんのすこし挑戦的な響きを持っているようにも聞こえるし、純粋な疑問のようにも聞こえた。俺は、ふぅと息を吐きながら、腕を組んで答える。
「教師として知るべきことは知ってる」
「……では、わたくしが、1学年を繰り返すことになった理由もご存じですか?」
どう、答えるべきか。ハンゼン子爵令嬢の意図がわからない以上、こちらの身を明かすのは愚策か。少し間が出来てしまったが、端的に答える。
「病気要領の為と聞いているが?」
「……そうですか」
ハンゼン子爵令嬢は、数秒間沈黙し、脇に佇む透けるような湖を眺めながら言う。
「わたくしの生家の側にあった森も、このような森だったのです」
ここは、まだまだ森の入り口に近い。とはいえ、木々に光は遮られ薄暗く、神秘的な空気が流れている。木漏れ日が揺れ、湖や子爵令嬢の糸のような髪を照らす。まるで、幽霊でも見ているようだ。
「わたくしには、双子の兄がおりました。10年前まで。わたくしと同じ色の髪と瞳を持ち……けれど、双子なのにあまり似ていないとよく言われました」
「……亡くなったのか?」
俺は、素知らぬふりをして問い返す。すると、子爵令嬢は反応があった事に驚いたようにこちらを見て、ふっと力が抜けたように笑う。
「ええ。……魔獣に襲われて。二人で森の中を散策している時でした。子供だけで行ってはいけないという言いつけを破り、わたくし達はよく森で遊んでいました。それまで魔獣に出くわす事などなかったので、完全に油断しておりました」
ブルーフォックスに襲われたと言っていたな。初級の魔獣とは言え、大きさは大型の犬と同等かそれ以上だ。子供には、どうする事も出来なかっただろう。普段、あまり人を襲わない大人しい魔獣だが、子供が腹に居たりすると気が立っている事が多い。その場合、通常巣穴に籠り出てこないのだが……運悪く、餌を探しに出ていたのかもしれない。ただ、ただ、不幸だったとしか言えない。
「遭遇したとて、放っておけば良かったのです。二人で手を取り合い、逃げ出すなり、木に登り助けを呼ぶなりしていれば……。けれど、怯えるわたくしを前に、兄は大丈夫だと言って石を投げ枝を握り追い払おうとしました。そんな遊びの一環のような中で、兄はあっさりと亡くなってしまいました。……わたくしは、その時の映像を、生涯忘れる事は出来ないでしょう」
子供の無邪気な行動を、責める事は出来ない。
恐らくそれは、大きすぎる傷や責として彼女の中に残っただろう。力が敵わないという事への無力さは、よくわかる。俺だって、幾度となく経験してきた。
子爵令嬢は、ゆっくりと立ち上がり、手に持っていた薬草の花をはらっと湖に落とした。まるで、手向けのように見えた。
「兄は、先生に憧れていました」
「……俺に?」
「ええ。親世代は決して良い顔はしませんでしたが、強い魔獣に立ち向かうあなたの姿は、少なくとも6歳の少年にとっては英雄でした。ふふ。申し訳ありません。失礼だったかしら? この湖のように広い心で許してくださいませね」
「……別に気にせん」
「まあ、それは……ありがたいですわ」
子爵令嬢は、ぼんやりと湖を眺めている。どこか生気のないその顔を、どう判断してよいのか。終始口調は穏やかで、口元は微笑んでいるが、感情が全く読めない。
「先生の、仰った通りですわ。側で見ているわたくしには、もっと色々と出来る手立てがあったのやもしれません。兄を止めるなり、大人を呼んでくるなり」
「魔獣が、恐ろしかったんだろう? 子供だったんだ。責めるような事じゃない」
「あら、お優しいのですわね。てっきり、叱られるかと思いましたわ。……わたくしの父が、かつてそうしたように」
「……」
思わず、叱ってしまう父親の気持ちもわからなくはない。完璧な人間などいない。衝撃的な事件を経験した小さな子供に悲しみをぶつけるのは酷だとは思うが、そう思えるのは俺があくまでも第三者だからだ。黙っていると、子爵令嬢は続ける。
「兄は、父の期待を一身に背負っていました。元々、女で根暗なわたくしとは違って、兄は闊達で何でも吸収しようとする人でしたから。我が家の跡継ぎだと、口癖のように言っていました」
木々の合間を風が通り抜ける。子爵令嬢は、煽られる髪を抑えながら、その行く先を見届けるように前方を見つめていた。
「“古魔術”に興味を抱いたのは、そんな事があったからですわ。四元を司る精霊が力を貸してくれるなんて、なんて甘美な誘惑かしらと思いました。もし使いこなすことができたなら、力なきわたくしも“力”を得られると。……先生には、一蹴されてしまいましたが」
俺は、腕を解き、話しを聞いていて凝ってきた首に手を当てながら答えた。
「……別に、古魔術すべてを否定してるわけじゃねぇよ」
「あら……そうでしたの。てっきりお嫌いなのかと思ってしまいましたわ」
「何だってそうだが、リスクも、その後の結果も把握できているのなら、止めはしない。……ただ、そんなものが本当に必要か? 俺にはまったく理解できねぇな」
「え……?」
子爵令嬢は、心底予想外だという顔で目を瞬かせている。俺は気にせず続ける。
「お前が力を得て、何になるんだよ。そんなもの、周りの騎士達に任せておけばいい。10年前の事がトラウマで恐ろしいのなら、騎士の側を離れなければいいだろう」
どいつもこいつも。何のために騎士達が日夜体を鍛えていると思っているんだ。
「……けど、もしわたくしにも力があったら、兄の時の事のようには…………」
「もし、力があったとして、6歳の子供に何が出来るんだよ。魔獣だって馬鹿じゃねぇ。むしろ、奴らは生きる為だけに日々必死に戦ってるんだ。こっちの付け焼刃の力なんて、役に立たねぇよ」
子爵令嬢の瞳が、初めて揺らいだ。感情を表せ。お前が望むのは何だ?
俺は見極めるように視線を逸らさないまま、口だけを動かす。
「たかだか数年しか生きていない子供が、無知で無力なのは当然だ。そんな子供に親が危険を伝えきれなかった事も、無念ではあるだろうが力不足ではなく不運だったんだ。お前の父親がなんて言ったかは知らないが、誰の所為でもなく、逃れようのない不幸が訪れた……つまりは、そういう事だろう。お前に必要な力は、そんなお粗末な物理的な力じゃなくて、過去に起きた出来事を乗り越える力だろう?」
「……」
「“古魔術”を追い求める事がその支えになるのなら、止めはしない。だが、自分を追い詰めるのはよせ」
ハンゼン子爵令嬢は、何かを考えこむように視線を下げ黙り込んでいる。こう見ていると、ただの子供にしか見えない。やはり、“古魔術”から何らかの形で“フェアリー・コンプレックス”へと辿り着いたのだろうか? どこから切り込んでいくかと悩んでいたら、何かが勢いよく空中から飛んできた。片手で軽く受け止めると、魔法で作られたイリーナからのメモだった。中身を開き、目を見開く。中にはこう書かれていた。
『 ハンゼン子爵令嬢を、イエローライン手前の崖付近で目撃。帯同の騎士は居ない模様。判断を求めます 』
その拠点は、俺でも歩けばここから数十分は掛かる場所だ。同時刻に、同じ人間が、別の場所にいるなんてあり得ない。
俺は、思わずばっと子爵令嬢に視線を向ける。すると、そのグレーの瞳はまた元の調子で穏やかに微笑んでいた。
「……どうかされましたか? 先生」
背筋にゾクッと寒気が走り、胸騒ぎがする。俺は、何も言わず控えていた騎士に「後は頼む」とだけ言い残し、森の中を走り出した。
「……くそっ」
草に足を取られながら、懸命に走り辿り着いた時には、事は起きた後だった。
◇◇◇
走って乱れた息を整えながら状況を把握しようと視線を巡らせると、森を抜けせり出した岩肌の向こうでは、まるで地盤沈下でも起きたかのように地面が落ちくぼんで沈んでいた。かなり深い穴だ。その中央では、白い騎士服の上着を脱ぎ棄て、泥に塗れたイリーナとノーマンが、巻き込まれ倒れた木々や岩を退け懸命に土を掘り返そうとしていた。
側には、中級魔獣のハンマーゴーレムだったと思われる土の塊と、アルカイルフェザーの躯が落ちている。
同じく側で作業していたイシドールとウィンドモア伯爵令嬢がいち早く俺に気が付き、駆け寄ってくる。
「伯父上っ! ロゼが……!」
「公爵閣下!! 大変なんだ!」
「全員、落ち着け。イリーナ、ノーマン、報告を!」
声をあげれば、イリーナとノーマンは立ち上がり、その場で胸に手を当て報告を始める。
「はっ! 中級魔獣二体が現れ、討ち破りました。けれど、その後地面が崩れ、フォンテーヌ侯爵令嬢が巻き込まれました。現在、学院の騎士隊に応援を求めています」
「時間は?」
「まだ数分です!」
俺は、逸る気持ちを抑えてじっくりと現場を観察する。そもそも、何でこんな森の中腹で、この場所だけが沈むように崩れているんだ? まるで、元より下に空洞でもあったかのような……。
そこまで考え、はっと気が付く。俺は、背中から大剣を抜き、手首で回して構える。
「全員退けっ!」
俺の言葉に合わせて、イリーナやノーマンがイシドールやウィンドモア伯爵令嬢を抱えてその場を離れた。それを視線の端で確認し、俺は剣を思いっきり足元に突き立てる。ズンッという音と振動と共に、ビキビキビキと地面は音を立てガラガラッと音を立て崩れる。巻き込まれないよう後ろに跳躍し、崩れ終わるのを待てば、大穴とその下に広い空洞が現れた。
俺以外の全員が息を呑み、青い顔でその様子を眺めていた。
「これは……!」
「マグマアントの巣だ」
マグマアントも、一応中級に当たる魔獣だ。集団で生活し、個々に役割を持つ。日の光に弱く、火を吹く個体や毒を持つ個体もいるが、サイズとしては中堅の犬程度。退けるのは、然程大変な事ではない。ただそれは、地上での話だ。巣の中に入れば、そこは奴らの領分。どんな大型の魔獣も集団で攻撃され成す術もなく餌になる。
俺は、空いた穴から中に飛び降りる。穴の下には、城の謁見室やホールと同程度のかなり広い空間が広がっていた。目の前には洞窟のように続く道が二つ。後ろには一つ。風が通り抜け、オォォォォ……と不気味な音を立てている。この森の土は、そもそも柔らかく採集に向いていた。そこに、幾重にも空洞が張り巡らされ、地盤を脆くしてしまっていたのだろう。
俺は、体に溜まった息を吐ききって、目を閉じ、魔力を開放して足元の土と意識を繋げる。俺の魔力が届く範囲に居るなら、動きがわかる筈だ。じっくり探っていけば、生体反応が…………あった。
俺は、剣を背に戻し。進む方向を見定め、上に声を掛ける。
「フォンテーヌ侯爵令嬢は、生き埋めになったのではなくアントの巣に落下した。現在、アントの群れから逃げているようだ。俺は後を追う! 上を頼むぞ!」
「「はっ!」」
二人の声が届くか否かの所で、いち早く走り出した。逃げているのは、一人の少女。そう長くはもたないだろう。嫌な予感にバクバクと胸が強く脈打つ。けれど、ただ不幸だったで済ませるわけにはいかない。可能な限り全力で足を動かす。……頼むっ、間に合ってくれっ!
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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