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26・【イシドール視点】僕らの不毛な恋


「王子殿下。今、よろしいですかな?」


 王城で、父の執務室に行こうと歩いている時だった。

 後ろから、渋い声が掛かった。


 当時はまだ、宮廷執政官だったロドリゴ・フォン・シュヴァルツベルク公爵。いつも何かと厳しい事ばかり言うこの人に、僕は苦手意識を抱いていた。内心びくびくしながら、悟られないように声を発する。


「なんだ」


 ロドリゴは僕の前で立ち止まり、冷たい声で淡々と語り掛ける。


「現在の学業の進行状況を伺いました。しかし、芳しくないですな。ガレス様がそのお年の頃にはとうに終えられていたところだ」


 かぁっと頬に熱が集まる。周囲に集まる使用人達の視線を感じる。


「武に秀でるでもなく、芸に長けるでもなく……第一王子としての身分をどのようにお考えか」

「それは……」


 視線が、上げられない。僕の成績は、ほんの少し上がった程度だ。


「誰の金で生かされているのか、よくよく考えた方が良い。あなたの服も靴も、毎日取る食事も、国民の血税だ。それは、あなたをのうのうと生かす為のものではない」

「……わかっている」


 僕がそう言うと、ロドリゴは鼻で笑う。


「『わかっている』! 驚きですな。なら、何故このような結果になるのか。自分自身に甘かった結果ではないですか?」


 全く持ってその通りで、言い返す言葉もない。

 彼女の勢いに引っ張られては、出来ているような気になって。

 だけど本質的な部分は何も変わっていない。


 少し疲れたなんて言っては必要な努力を怠り、ただ海の底を漂うクラゲのように、与えられている事に何の疑問も抱かずフラフラと生きているだけ。


 そんな事、自分が一番わかってる。


「本当に、皇太子殿下も“はずれ”を引かれたものだ」


 ぼそっと、聞こえるか聞こえないかの所で呟かれるロドリゴの言葉が、心を抉る。耳を塞いでしまいたい。頭や指先から血の気が引いて、呼吸が浅くなる。どうしたらこの時間が終わるんだと、そんな事ばかり考えてしまう。


 ……もう、やめてくれ。


 そんなに僕が信じられないのなら、もう第一王子なんて辞めさせて欲しい。

 僕だって、僕なんかに生まれたくはなかった。

 

 僕が一番、僕を嫌いなんだ。

 いつまでも変わろうとしない僕が嫌いなんだ。

 努力が出来ない僕が嫌いなんだ。

 人の顔色ばかり窺ってしまう僕が嫌いなんだよ。

 怖がってばかりの僕が、弱虫の僕が、その辺の子供達と変わらない僕が僕は大っ嫌いだ!!


 僕の事は、僕が責めるから……ねえ、もう、どうか許してよ。


 そんな事言える筈もなく、何も言わない僕に、追い打ちをかける様にロドリゴは声を荒げる。


「聞いているのですか? わたくしはあなたの為を思って言っているのです。家臣を前に頭を下げるでないっ!」


 身体が、びくっと震える。

 10歳に満たぬ子供には、恐ろしい程の恫喝だった。しかし、泣くわけにはいかない。

 僕は、唇を震わせながら必死に涙を堪えた。ロドリゴの顔が、瞳に溜めた涙のせいか、ますます酷く歪んでいく。


「あなたがそんなだからっ! 私の娘は……あの()()()()の嫁にならなければいけないのだっ……あの、忌々しき戦闘狂に!」

 

「……え?」


 幼くとも、それが誰を指し、何を示しているのか、わかる気がした。

 心臓がバクバクと(はや)し立てる。

 ロドリゴ自身が、溢れ出る感情を抑えられない様子でギラギラと目を見開いて叫んでいた。


「あんな男の血を残すために、あんな男の立場を支える為に、大切に育ててきたわけではない! ……なのになぜ、なぜ……全てはお前の所為だ。全て、全て、お前の出来が悪い所為ではないか! もう立太子も済み、奴に王位継承権はないと言うのに、陛下はいつまでも奴の存在に縋る!」

「何を言って……」

「おい、やめろ」


 後ろから、低く強い声が響いた。振り向けば、怒りを称える伯父上がそこにいた。アンティークゴールドの瞳が敵を射殺さんとばかりに鋭くギラギラと輝く。まるで、獰猛な肉食獣のように。僕も、思わず息を飲んだ。


「自分に何もできなかったからって、子供に当たるな見苦しい。不敬罪でその首切り落とされたいか?」

「……っもとはと言えば、お前が!」

「ああ、何とでも言えよ。俺は俺のやるべき事を粛々とやってるだけだ。あんたの娘さんも可哀相にな。ま、俺は殆ど家には帰らねぇから、好きに生きろと伝えてくれ」

「馬鹿なっ……」

「話は終わりだ。今すべき事がないなら、とっとと去れ。婚約破棄でも離婚でも、申し立ててくれたら俺はサインするから何とか陛下を説得してくれ」

 

 ロドリゴは、顔を真っ赤にして体を震わせながらも、「くそっ」と捨て台詞だけを吐いてその場を去った。あんなに怖かったのに、僕の頭にはもう別の事しかなかった。


「……伯父上、ご結婚されるのですか?」


 僕の問いに、伯父上は気まずそうに頬を掻き答えた。


「陛下の命だ」

「そ、んな……」


 思えば、当たり前の事だ。伯父上だって、もういい年齢だ。父上に僕がいるように、子供の一人や二人いてもおかしくない。でも、なら、ロゼは?

 ロゼは、どうするんだろう……。


 不意に、伯父上がくしゃっと僕の頭を撫でる。

「途中からしか聞いていなかったが、あいつの言う事は気にするなよ。今、ちょっと()()()じゃないんだ」

「……失礼します」


 半ば茫然と、その場を辞した。

 もし、本当に僕の所為なら?


 僕の所為で、ロゼの夢が叶わなかったら?

 僕の所為で、ロゼの努力が無駄になってしまったら?


 その事が、僕に重くのしかかった。


 美しい邸宅で、一人家族の絵を眺めては微笑む女の子。

 そんな女の子が、唯一心の支えにしていた夢。

 

 実現するわけないと誰もが思っていた。けれど僕は、彼女の隣にいたから知っている。

 彼女がどんな思いで日々を紡いでいたのかを。


 伯父上の知らせは、明朝に高位貴族の間に知らせが行った。

 僕は、馬車に乗り込み先触れもなく彼女の邸宅に行った。


 勝手知ったる道を駆け抜け、彼女の部屋の扉を開けたら、窓際に彼女がいた。


「ロ……」


 声を掛けようと思った。でも、部屋の隅で声を押し殺して涙を流し、痛々しい程打ちひしがれる彼女に、何と声を掛けて良いのかもわからない。


 僕は、結局何も言わず、その場を去った。


 一番気が付きたくなかったのは、“やっぱり、こうなったじゃないか”と“これで彼女も僕を見てくれるんじゃないか”と呟く、どこまでも浅ましい僕自身の心だった。

 

 僕は、ロゼのような努力は何もしていないのに、どうしてそんな図々しい事を思えたんだろう。僕は、本当に馬鹿だ。僕は結局、努力が出来るロゼの事や、そんなロゼの愛情を一身に受ける伯父上を、羨んでばかりだった。



 




 けれど驚くことに、翌週にはロゼはいつも通り自分に磨きを掛けていた。

 正直、拍子抜けだ。女の子……というか、ロゼ自身の回復力が凄まじかった。

 僕は、どうしていつも通りでいられるのかと、つい彼女に尋ねた。


 彼女は、コテンと首を傾げて答えた。


「いつも通り、でしょうか……?」

「そう、見えるけど、違うのかい?」

「……以前とは、やはり違いますわ。でも、レオ様はわたくしの旦那様だったわけでも、恋人だったわけでもありませんもの。致し方ありませんわ」

「うん……思ったよりも、冷静だね」


 彼女は、ふぅと悩まし気な溜息を吐いて、視線を伏せながら続けた。


「でも、思えばわたくしは、まだ子供ですもの」

「ん?」

「多少の我儘は、許されると思いますの」

「ん? うん……」

「事情も理解しています。たくさん学んだ甲斐あって、自分の責務もレオ様の責務も、概ね心得ております」

「うん」

「でも、思えばわたくしはまだ9歳ですもの。この春10歳です。誰を心の中で想っていたとて、責められる謂れはございません」

「……つまり、まだ伯父上を想い続けるという事?」

「はい! だって、レオ様はわたくしの光、わたくしの全てですもの! 夢はかなわなくとも、陰ながら想い続けますわ!」


 彼女の綻ぶような笑顔の前に、僕は言葉を失う。彼女は、ふふふっと気恥しそうに笑って言う。


「いいのです、今はこれで。だって、光を失っては人は生きられませんもの。好きだって気持ちが消えてくれないのなら、レオ様を想った日々が齎してくれたものを大切に、これからも、国の為に剣を振るい続けてくれているレオ様に恥ずかしくない自分でいようと思ったのですわ」

 

 自分の胸に手を当て視線を伏せ、どこかすっきりとした表情で語る彼女は、これまでのどの彼女よりも大人に見えた。

 

「……何故、そんなにも頑張り続けられるの?」


 それは、僕がロゼにずっと聞きたい事だった。その問いに対し、彼女は再びきょとんと目を瞬かせる。僕は、何か変な事を言っただろうか?


「わたくし、頑張ってなんていませんわ?」

「え?」

「好きな人を想い、好きな事をしていただけですもの」

「……」

「でも、そうですね……それでも、わたくしが走り続けられたのは、殿下やグレースのお陰ですわ」

「え?」


 僕? 何かしただろうか。

 思い当たる事がなく、首を傾げる。彼女は、にこにこと輝く程の笑顔で答える。


「ずっと、わたくしの側にいてくださったではないですか。レオ様のお話も、仕方ないと、何時間だってお付き合いくださいました。特に殿下は、実際のレオ様を知る貴重なお方ですもの。わたくしの熱の入りようも、凄まじかったと思います」

「う、うん……」

「わたくし、とても楽しかったです」

「……楽しかった?」

「はい! 殿下と共に過ごす時間が、とても楽しかったです。殿下は、誰にも代えられない大切な友人です」


 嬉しかった。僕自身が、必要とされたようで。

 でも、僕は、そんな簡単な事で喜んではいけないのだろうか?

 僕には正解がわからない。だから、彼女に聞いてみることにした。


「……君は、僕がいずれ国を背負っていく事を、どう思う?」


 唐突な質問だったと思う。言葉にするだけで、背中がずしっと重くなる。

 彼女は、驚いたように目を瞬かせ、ん~と少し悩んだ後、口を開いた。


「国とは、船です」

「え?」

「殿下は、船を背負う事はできません。舵を切るのです。でも、それさえも一人で判断する事ではありません。天候に詳しい者がいれば、地の利に詳しい者がいます。一人一人の言葉に耳を傾け、帆を張るのです。殿下は、わたくしの言葉に耳を傾け、寄り添いながらも、いつも冷静に分析されていました。そんな方だから、舵をお任せできると、わたくしは思います」

「……でも、僕は至らぬところばかりだ。父上や、伯父上のように人を率いる事はできそうもない」


 僕は、俯いてそう呟いた。思えば、人前で弱音を零すのはこれが初めてだった。

 彼女の話をしていたのに、申し訳ない気持ちもあったが、彼女は真摯に答えてくれた。


「殿下。すべては、『至らない』と思うところからはじまるのです。わたくしも、ずっとそうでした。見える理想が大きければ大きい程、道のりは遠く感じるかもしれません。でも、今踏み出せる一歩が何よりも大切なのだと、わたくしは思います」


 彼女の真白い手が真っ直ぐに伸びて、僕の両手を取った。自分の手が冷たいのか、彼女の手が熱いのか……温もりが体の緊張をほぐすのがわかった。


「わたくしは、『至らない』自分が悔しく、怒りを向けました。怠けてしまいたくなる日も、負けそうな日も勿論ありました。でも、そんなわたくしをまた奮い立たせてくれたのは、共に過ごしてくれた人々です。殿下やグレースと楽しい時間を過ごす度、わたくしは、わたくしらしさを思い出して、何度でも未来に挑むことが出来ました」

 

 彼女の細い手が、僕の手をぎゅっと握る。

 僕は、特別な事は何もしていない。でも、彼女の言う楽しい時間は、確かに僕にも覚えがある。

 僕だって、とても楽しかったから。

 

「至らないと気が付けたなら、それで良いではありませんか。それ以上の物を背負っては、重たくてとても歩けません。それに、至らぬ自分や他者を幾ら探ったとて、答えなど見つかる筈もありません。目指すのは、まだ見ぬ明日の自分……目的地は、いつでも過去ではなく未来にあるものです」


 すとんと、言葉が胸に落ちてくる。

 全て、努力を続けてきた彼女だからこそ、言える言葉だった。


 結局、自分を責める事に、意味はない。反省ですら、過ぎれば枷になるだけだった。

 学ぶ事があったなら、それでいい。それを受け止め、そっと置いて、身軽になってまた一歩を歩む。疲れた時は休めばいい。でも、共に歩きたい人がいるから、彼らと笑い合う為にまた歩を進める。まだ見ぬ未来を創造すると言うのは、そういう地道な作業の積み重ねなのかもしれない。

 

 いつか振り返ったら、こんな距離を歩いてきたんだなと、自分を誇らしく思える未来があるかもしれない。何故だろう。彼女と話していると、そんな気持ちになってくる。


 胸がドキドキと脈打ち頬が熱くなる。

 ふと顔を上げれば、彼女は、何を思ったのかもう別の場所に視線を向けていた。明るい光が、彼女の頬を照らす。


 ああ、好きだなと思った。淡い気持ちが確信に変わった。羨望と言っても良いのかもしれない。僕も彼女のようになりたい……。そう思う程に、伯父上を想う彼女の気持ちもまた、痛い程わかる。僕は、伯父上(他の男)を一途に思い、懸命に努力を重ねる彼女に恋をした。自分でも、どうかと思う。




◇◇◇


 初めての出会いから、8年。

 まさか、伯父上とロゼがこんなにも近くにいるなんて、何だか今でも信じられない。


 まあ、学院に来るように頼んだのは僕なんだけど。

 まさか了承してくれるなんて思っていなかったから。

 学院長もやたら協力してくれるなとは思ったけど、完全に父上の掌の上で転がされていたな。



 僕は、伯父上との会話を思い出す。

 もし僕が、『少なからず気持ちがあるんじゃないのか?』という問いに対し、『異性として好ましく思っています』と答えれば、伯父上は永遠に彼女への気持ちは棄て去っていただろう。


 彼は、国の為なら自分だけでなく人の気持ちでさえも、どこまでも無視できる人だから。もう二度と、僕の所為で彼女の夢が潰えるような事態にはなって欲しくはない。

 僕はこの判断をした自分を間違っているとは思わない。こんな馬鹿な自分を、誇らしくさえ思う。


 学生達の間をすり抜け、教室の扉を開く。

 そこには、既に次の授業の準備をして席に座るロゼと自分のクラスに帰ろうとするグレースの姿があった。


「イス! 遅かったわね」

「公爵閣下に掴まっていたのか?」


 いつも通りの空間に、思わず笑みが零れる。

 僕は、一歩を積み重ね、どこまで来ているのだろう?

 


 彼女の身長は、160フィーネに届かず止まった。グレースの方が余程長身だ。

 片や僕の身長は、170フィーネを越えたところ。

 理想の身長差まで、もう少し。

 


 もちろん、身長が届いたからと言って、すぐにどうこうするつもりはない。これからも、彼女の気持ちは尊重したい。でも、未来はどうなるかなんてわからないだろう?


 もし、伯父上がいつまでも年の差を気にして煮え切らずにいたら、燻り続ける僕の思いだって彼女に届くかもしれない。その時は、()()()僕が構わず攫って行くから、覚悟して置いてくださいね? 伯父上。


 

 

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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※1フィーネ=1cm

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