25・【イシドール視点】出会い
伯父上の部屋を後にして、僕は教室へ、グレッグ兄さんは服を着替えるのに教諭室に戻ると言うので、途中までの道を共にする事にした。
「はは、失敗してしまった……」
グレッグ兄さんは、ロゼとグレースの繋がりで幼い頃に知り合い、最初こそ身分を気にしていたけれど、僕が2人と同じように接していたらいつからか実の弟のように接してくれるようになった。いつも穏やかで、礼儀正しく博識で……研究に没頭してしまうと少し残念な人になるけれど、得難い友人の一人だ。
僕は、仕方ないなぁという気持ちで軽く息を吐き、落ち込むグレッグ兄さんに声を掛ける。
「大丈夫だよ。伯父上は、小さなことをあまり気にする人ではないし」
「そうだとしても、申し訳ない。今度何かお詫びしないと」
グレッグ兄さんがそう言い腕を組むと、上着のポケットから懐中時計の頭が見えた。動きに合わせて落ちてしまうのではと、僕は声を掛ける。
「グレッグ兄さん、時計が……」
「え、あ」
拾い上げる様に手に持たれたその時計に、見覚えがあった。
「兄さん……その時計ずっと持たれていますよね?」
「え? ああ……そうだね。僕が6歳の頃に貰ったものだから、16、7年かな」
「そんなに! 物持ちが良いですね」
「一度気に入ると中々変えられないんだよ。昔から」
ははっと笑う顔が、少しグレースと似ている。ウィンドモア兄妹は、顔立ちも内面も涼し気でどこかこざっぱりとしていて気持ちが良い。グレッグ兄さんは、切れ長でいて少し垂れた深い海の色の瞳を優しく細めて聞いてくる。
「それにしても、本当に久しぶりだね。イスも変わりはないかい?」
「ええ。グレッグ兄さんも……変わりなさそうですね?」
僕がほんの少し皮肉を込めて言えば、グレッグ兄さんは、ははっと気まずげに頭を掻く。
「そうなんだよね。生活習慣を改めないと効率も悪いし、良くないなと思ってはいるんだけど……癖になってしまっているのかな」
「今回は何日眠っていないんですか? それでは、本当にいつかお体を壊してしまいますよ?」
「はは。先日ロゼにも同じことを言われたなぁ。これを機に、気を付けるよ」
そう言えば、ロゼにグレッグ兄さんからだと言ってお土産を貰っていた事を思い出す。確か、異国の珍しい茶葉やら置物やら……その事のお礼を言わないとと口を開きかけたら、先にグレッグ兄さんが口を開く。
「ロゼも変わらないね。レオノール様に対して、とても真っすぐで」
僕は、つい一瞬言葉を詰まらせてしまう。何故、グレッグ兄さんに会いに行ったのか、そう言えば聞いていなかったけど、何となく想像できる。少し間が空いてしまったけど、僕は素直に頷く。
「……そうですね」
「ロゼやイスからレオノール様の話をいつも聞いていたから、レオノール様には学院で初めてお会いした日から妙に親近感が湧いてしまったよ。二人が言っていた通り、思い遣りのある優しい方だね」
「はい。伯父は、乱暴な口調だし愛想も無いし、見た目もああなんで誤解されやすいのですが、昔からとても優しい人です」
そして、賢く強い。父上ですら、困ったことがあると彼に頼る。伯父上に相談すれば、きっと大丈夫だと思わせてくれる。どんなに戦闘後のボロボロの装いで城に訪れても、前皇后陛下が彼を排斥しようと画策していても、城の者は思わず彼の為に道を開ける。そんなカリスマとも言うべきオーラを、彼は常に身に纏っている。
グレッグ兄さんは、僕に気遣う様に口の端に手を当てて、声を潜めるように聞いてくる。
「……大丈夫かい? 君は、その……ロゼの事をずっと想っているんだろう?」
僕は、伯父上に嘘を吐いた。彼女を、大切な友人と思っていると。
僕は苦笑しながら同じように声を抑えて答えを返す。
「大丈夫です。慣れっこなんで」
二人で、ふっと口元を緩ませる。グレッグ兄さんの眼差しは、心の底から僕を思ってくれているように見える。
「ロゼも、幸せな子だね。好きな人がいたり、好きに思ってくれる人がいたり」
「まったくです。でも、グレッグ兄さんだって、すらりとした綺麗な顔立ちなんだ。生活態度さえ改めれば、幾らでもお相手はいるでしょう。本当は、そう言った話も来ているでしょう?」
僕が話題をグレッグ兄さんの方に差し向けると、グレッグ兄さんは困ったように首を捻った。
「そんなことはないけど、う~ん……まあ、そうだね。でも、中々踏ん切りがつかなくてね。家の為には、そろそろ決めなくてはと思ってはいるんだけど……」
「お互い頭が痛いですね」
「まあ、なるようになるさ。……あ、頭が痛いで思い出した」
兄さんが立ち止まり、ゴソゴソと上着のポケットを探る。僕もそれに倣って歩みを止め、何だろうと首を傾げていると、小さな巾着袋が出てきた。
「? なんですかこれ」
「ロゼに大きなラベンダーの花束を貰ったんだ。折角綺麗だから何かに出来ないかって知人に相談したら、サシェにしてくれたんだよ」
「へえ……」
僕はそれを受け取り、香りを嗅ぐ。ラベンダー特有の土っぽさを残すどこか清涼感のある香りがする。確かに、ちょっと意味合いが違うけど頭痛や睡眠不足には良さそうだ。僕はにこっと笑って礼を言う。
「ありがとうございます」
「いや……辛くなったら、いつでも話しにおいで。じゃあ、僕はあっちだから」
手を振り、グレッグ兄さんの後姿を見送って、僕は研究棟を出る。もう夏の気配も近く、空は透き通る程の水色に白く厚い雲が流れていた。
僕はもう一度サシェの匂いを嗅いで思い出す。ロゼと初めて会ったのも、夏を目前にした暖かい日だった。
◇◇◇
ロゼと僕が初めて会ったのは、僕らがまだ8歳の頃の事だった。
「良くも悪くも、何もない王子」
いつの頃だったか、僕を指導する教師達がそう言っているのを耳にした。
教師達だけじゃない。社交の場では、同じ年頃の子供たちまでそのようなニュアンスの事を言っていた。
それまで僕は、可愛げのない子供だったと思う。生意気で、小賢しく、第一王子という身分だけを笠に着て、自分はさも特別だと思い込んでいた。
だから、その言葉は衝撃だった。
そして、言葉の意味を探すようになってしまった。
確かに僕には、秀でて凄い所というのは何もなかった。
見た目こそ父上に瓜二つだと言われていたが、勉学だってそこそこで、武もそれなりだ。何かに特化するでもなく、熱中することもなく、ただひたすらに、与えられるがままの毎日を生きていた。
父上は、聡明で常に温厚で、数多の貴族達の中心で真っ白に輝く聖職者のような、もっと言えば太陽神のような人だった。片や伯父上は、黒いオーラと圧倒するような存在感を持ち、無意識に人を跪かせ付き従わせてしまう……そうだな、まるで物語の魔王みたいな人だ。この大きな二柱がこの国の乱れを正し、諸外国から強く守り支えているのだと、僕は昔から肌で感じていたし、今でもそう思っている。
そんな二人が支えてきた国を、僕はいずれ引き継いでいく。
だけど僕には、二人が持っているような特別な物は何もない。
透明人間にでも、なったような気分だった。
ここにいるのに、僕の意思は、僕の言葉は、何も残さない。
平凡でいるという事は、とても恐ろしい事だ。
こんな平凡な人間が、この国の人々の平和を担う。
そりゃあ、苦言も呈したくなるだろう。
いっその事、本当に透明人間になれたならよかったのに。
王城の一室で、数名の教師達から順番に様々な事を教わる。
8歳の子供にしては少しばかり多い方なのだろうけど、第一王子としては全く足りていない……そんな量にすら僕は心の内で不満を唱えながら、何とかついていく。けれど、見透かすように教師達は呆れた吐息を零す。
『こんなことも、お分かりにならないんですか?』
そんな事、実際に言う人間は少ない。僕は、王族だから。でも、ちらりと透けて見えるその思考が怖くて、問い返す事も出来ず、僕はある時からどんどん落ちこぼれていった。
そうする内に、僕は自信を失い、俯きがちになり笑う事さえ少なくなっていった。
日常会話ですら、振り返り、自嘲してしまう。ああ、こんな所が、「なにもない」と言われる所なのだろうなと。まるで、息をする事も出来ない海の底を、一人でずっと歩いているような気分だ。
そんな僕を見かねて、両親が数名の側近候補を呼び寄せた。
年も近く、聡明な子供達。その中に、ロゼはいた。
王城の庭園で、当時まだ皇太子妃だった母上と共に僕はロゼを待った。水色の空と、咲き誇る花々。その中から彼女が現れて、僕は、本物の妖精が現れたのだと思った。
これまで出会った側近候補たちの誰とも違う、親しみを込めた明るく輝くような笑顔。正直、こんな女の子が側近候補なのかと、内心は複雑な気持ちもあった。今では男女で能力を差別するものではないとわかるのに。ただ、彼女の仕草は確かに遜色ない程一つ一つが洗練されていて、それなのにとても自然で……そして何より、僕よりも随分と背が高かった。
彼女が優秀なのはよくわかった。地頭と言えば良いのだろうか……賢さを鼻に掛けないのに、母の言葉もスムーズに受け止めウィットに富んだ返しをする。隙だらけの様で指先にまで意識を巡らせた動きは、母も見惚れる程だった。
美しさ、賢さ、人を惹きつける魅力……彼女は、全てを持つ人。
彼女は、僕の初恋の人。けれど同時に、僕のコンプレックスを刺激する人だった。
そんな彼女の意外な一面を見たのは、彼女の邸を訪れた時だ。
初めて出会ってから、数回の相見を経た後の事。その日は、慰問先の孤児院が彼女の邸宅の側にあり、先触れもそこそこに思い立つがままに彼女の邸に足を向けた。突然に近い訪れだったと思う。いつもは王城で会っていたから、彼女の邸を見てみたい、もっと言えば普段の彼女を見てみたいと言う好奇心が底にあった。
入り口で慌てる家令を他所に、気にしなくて良いという言葉を掛けて庭先を歩いていると、異様な光景を目にした。
乗馬服よりもおよそ簡素な服装で、一本の木の枝に足を括りつけ、逆吊りになっている彼女と目が合った。彼女も相当に驚いたようで、普段から大きな瞳をさらに大きくさせて僕を見ていた。僕は、つい声を荒げた。
「……なっ! どっ……! 君は折檻でも受けているのかっ!?」
「ま、まあ、まさかそんな。王子殿下、ごきげんよう。このような姿で申し訳ございません。今、身支度いたしますわね。ヨルダン、降ろしてっ……」
どこからともなく、ぬっと白い髪の大きな男が現れて、彼女の足の縄を解き下に落として受け止めた。彼女も非常に慣れている素振りで、怖がるでもなく何食わぬ顔で地面に足をつき、改めてカーテシーをして僕を迎えた。
「我が家にようこそ。お茶の席にご案内いたしますわ」
「……いやいやいや! 何していたのか教えてよ! 気になるよ!」
僕がそう言うと、彼女は少しの間表情を固め……徐々に視線を彷徨わせ、困っているような、気恥しそうな顔を見せた。微笑んでいる以外の彼女のそんな表情を見るのは、その時が初めてだった。
「……背を伸ばしていたのです」
「へ?」
「体を逆吊りにして暫く維持する事を続けると、背が伸びると伺ったのですわ」
ちょっと……理解が。僕の方も平素とは違う間の抜けた声だったと思う。
「でも……君は随分と背が高いじゃないか。同世代の子供達の中では、飛び抜けて。まだ背を伸ばしたいのかい?」
僕が問うと、彼女はもじもじと指先を動かしていた。一体何だと言うのだろう?
答えを待っていると、彼女はおずおずと口を開いた。
「その……殿下は、理想的な恋人達の身長差というものをご存じですか?」
理想的な恋人達……? 僕は怪訝な顔をしたまま、首を横に振る。
「知らない」
「その、巷では、囁かれておりまして。それが、15フィーネらしいのです。なので……つまり……」
なるほど。漸くわかってきた。
「つまり、君の想い人はとても背が高いんだね?」
僕の言葉に、彼女はかぁっと耳まで顔を赤らめた。そんな顔も可愛くて、僕は二つの意味でぎゅっと胸が締め付けられるようだった。思わず唸り、眉間に皺を寄せ、捻り出すような声で聞く。
「……誰か、聞いても?」
彼女はか細く答える。
「…………です」
「え?」
あまりに小さな声で、聞こえなかった。
「レオノール・バレナ公爵閣下です!!」
次は、そこまで大きな声で言わなくてもと言える程の、彼女なりに勢いのある大きな声だった。その事に驚いて、その名の人物を頭に思い浮かべるまでに数秒かかった。
「お……伯父上!? 185フィーネはあるぞ!? というか、年の差も親子ほどあるじゃないか!」
「そ、そうです。だから、わたくしは170フィーネを目指さなければいけないのです! そして、一日も早く大人にならなければ……」
「大人って、年の差は埋まらないだろう!」
「そうですが、せめて見てくれだけでも釣り合わなければ! 公爵夫人なんて夢のまた夢ではありませんか……!」
公爵夫人!? 僕は驚愕で目を瞠り、あんぐりと口を開いて固まってしまう。頭の中で、8歳の少女(幼女?)と25歳の伯父上が並び、肌を多少粟立たせながら言う。
「君、伯父上と結婚する気なのか!? そんなの無理に決まっているだろう」
「な、何故、無理なのですかっ? 先の事など、わからないではありませんか!」
「わかるさ! 君が幾ら美しくとも、相手にされるわけがない! 伯父上を何だと思ってるんだ! 悪い事は言わないから、早々に諦めろ。断言しても良い、君の願いが叶う事は決してありえない!」
捲し立てるようにそう言うと、彼女は口を噤んだ。藤色の瞳を大きく揺らし、そっと言った。
「……それでも、わたくしは、絶対に諦めません」
僕は、悪気があって言ったわけじゃなかった。その日は幾ら何でも図々しいかと思い、茶の席は遠慮した。けれど、いつまでも彼女の傷ついたような表情が頭から離れなかった。
考えている内に、もしかしたら彼女なら叶えてしまえる事だったのかもしれないと思えてきた。絶対なんて、無いのかもしれない。ただそう思うと、どこまでも凡庸で矮小な僕が情けなかった。
僕は、彼女と仲直りがしたくて再度彼女の邸に訪れた。
彼女は、剥れながらも僕の相手をしてくれた。まあ、身分は僕の方が上だから当然なのかもしれないけれど、それでも少しほっとした。
城に住む僕が言うのもなんだけど、彼女の邸は、エントランスがとても美しかった。
扉を開けて入ると、光り輝くような真白い床と壁があり、吹き抜けで見える上階には大きな窓ガラスが嵌め込まれ太陽の光が柔らかく差し込んでいた。両サイドに一階から二階へと続く螺旋階段があり、階段を昇った先の中央の壁にはフォンテーヌ侯爵ご夫妻の大きな絵と、幼い頃の彼女の小さな絵が並んで飾られていた。温かい、家族の姿そのものだった。
「美しい絵だな」
絵を目にした時、気が付けばそう零していた。そこに描かれた侯爵夫人は、彼女に似てとても美しく、さらに堂々としていて、まるで我が国の主神である愛と豊穣の女神フレイのようだった。
「……ありがとうございます。自慢の絵にございます」
その時、漸く彼女がふっと嬉しそうに笑った。絵を眺める彼女の眼差しには、愛しいという気持ちが溢れていて、その時、ふと気が付いた。この絵の二人は、ここには居ないのだなという事に。彼女の笑顔が美しければ美しい程、切なさが募った。
以降は、彼女も気をとりなしてくれたようで、終始楽しそうに話していた。特に、伯父上の事に関しては。僕も、もう彼女の夢を否定するような事はしなかった。そのお陰で、伯父上の話を散々聞かされる羽目になったけど……彼女が笑っているから、まあ良いかと思えるようになった。
彼女は、とにかく努力の人だった。
すべては伯父上の隣に遜色なく並ぶ為に。生まれつき苦手な武に関しても、毎日走り込みと素振り、弓の鍛錬に規則正しく時間を設けて取り組んでいた。勉学も、礼法も、教師陣に食らいつくように吸収しようと必死だった。多かれ少なかれその熱は僕に伝播し、僕の成績も徐々に上がっていった。
「王子殿下……最近、見違えるようですね」
そんな風に言ってもらえる程に。少しずつ、自信も取り戻せていたように思う。
途中からグレースやグレッグ兄さんと交流の幅も広がり、視野が広がっていくのを感じた。それでも時折、この国を背負うのだと思うと膝が震えそうになる時があったけど、今出来る事を愚直に頑張る事でその恐怖も忘れられた。
事件は、そんな時に起きた。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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