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24・【レオノール視点】2枚のハンカチ


「ロゼとは、どうなったんですか? 二人で一緒にお出掛けされたんでしょう?」

「…………っ!」


 思わぬ方向からの打撃に、息を詰まらせる。つい声を荒げて言う。


「何で、お前がそれを……!」

「養護教諭のヴォルテス先生がロゼに提案した場に僕もいたんです。言っておきますが、僕は止めましたよ? 闘技賭博なんて、侯爵令嬢の行く場所ではないと。でも、ロゼは絶対行くと言って聞かなかったので」

「そうか……」


 俺からしたらまだほんの僅かな付き合いだと言うのに、そう言い切る彼女の姿がありありと目に浮かぶ。決して思慮が浅いタイプでもないだろうに、無鉄砲なほどの行動力は考えものだ。思わず、腕を組んで唸り声を出す。何も言わない俺に、イシドールは畳み掛けるように聞いてくる。


「彼女を、泣かすなとは言いませんが、適当な事をして傷つけるのは止めてくださいね。実のところ、彼女の事をどう思っているのですか?」

「どうって言われてもなぁ……お前はどうなんだ?」

「え……」

「少なからず気持ちがあるんじゃないのか?」


 俺は、抱いていた疑問をぶつけてみる。正直、彼女ならば皇太子妃として、次期国母としてこれ以上ないくらいの女性だろう。人を惹きつける素質も、自分の意思を貫く強さも持っている。……無鉄砲な所は少々気になるが、周りに人をつければまあ何とでもなるだろう。けれど、イシドールは目をまん丸くして俺を見てくる。何か、変な事言ったか?


「……伯父上でも、そういう事考えるんですね」

「俺を何だと思ってるんだ。そりゃあ、可愛い甥っ子の嫁さんの事くらい考えるだろう」


 イシドールは昔のガレスにそっくりで、俺からしたら滅茶苦茶可愛い甥っ子だ。下二人の甥っ子達より、だいぶ贔屓(ひいき)してしまっている自覚がある。イシドールは、ふっと笑って答える。


「すみません。ロゼの事は……もちろん大切に思っていますよ。何て言ったって、幼い頃からの()()ですから。彼女には、幸せになって欲しい」


 イシドールの表情からは、言葉以上の思いは読み取れなかった。つまり、俺の勘違いか……? 俺は、ふぅと息を吐き、彼女を思い出す。ここ最近の全ての彼女を。

 

 行動力があり、積極的で、素直に胸の内を表現する美しい女性。彼女がいるだけで、その場がぱっと明るくなるのは、きっと誰もが感じるだろう。一見泣き虫なのかと思いきや、かなり芯の強い発言もする。彼女を苦手とする人間など、この世にいるのだろうか?

 昨日も色々あって、思いの外疲れた気持ちで救護室に向かった。そんな時、頬を赤く染めている彼女を見たら、何とも癒……――バシッ。


「……何をやっているんですか?」

「…………いや」


 自分の思考が信じられず、思わず自分の掌で自分の額を(はた)く。

 認めよう。彼女は素晴らしい人だとは思う。でも、だからこそ……。

 

「……俺とは、合わないだろう。年も17歳差だぞ? お前とガレスと同じだけ違うんだ。それに、彼女には未来がある。もっと明るい未来を歩んだ方が良い」


 俺は、恐らく永遠にガレスの影として生きていく。その生き方に、誇りさえ持っている。

 そんな俺に寄り添う様に生きるのは、酷く勿体ない気がする。彼女は、彼女の舞台で生きるべきだ。俺がそう言い顔を上げると、酷く苦々しい、蔑みの視線を寄越すイシドールと目が合う。驚いて思わずびくっと体を揺らしてしまう。何なんだ一体。

 イシドールは、呆れたようにはぁ~~と長い溜息を吐いて、口を開いた。


「伯父上……僕は、あなたにだって未来があると思っています。それは、父上だって同じ筈です。これからは、あなたはあなたの人生を歩むべきです」

「……俺は、別に誰の人生も生きてきたことはないが、」


 つい口を挟むと、きっと睨まれた。俺は両手を挙げて降参のポーズをとる。

 わかったよ、黙るよ。イシドールが、酷く真剣な様子で続ける。


「僕は先程、彼女に対して適当な事をするなと言ったばかりです。年齢? 彼女の未来? 言っている事はご立派に聞こえますが、結局伯父上は、自分の気持ちとは一切向き合おうとなさらない」


 自分の気持ち……と言われても。これまでの人生で、()()()()()が役に立ったことは一度もない。王族として、ガレスのスペアとして、どうする事が最適解かだけを考えてきた。そんな俺に、イシドールはきっぱりと言い切る。


「彼女を、一人の女性としてきちんと見てあげてください。その上で出された答えなら……僕は伯父上のお気持ちも尊重します」


 イシドールが、視線を伏せる。その剥れた顔が、生意気だった幼い頃の姿と重なり、思わず顔が緩んでしまう。まあ、俺の事も考えて言ってくれているという事だよな。俺は、手を伸ばし、その金色の頭をぐしゃっと撫でる。


「お前、大人になったなぁ」


 そう言うと、イシドールの顔がカッと朱に染まる。俺は、笑って告げる。


「どんな結果になるかは約束できないが……彼女の事は決して蔑ろにはしない。ありがとうな」


 イシドールのぶすっとした顔を見て笑っていると、チリっと魔力が反応する。誰かが部屋に近付いて来る。俺は、立ち上がり口の前に指を一本立て、暗に誰かが来ている事をイシドールに伝える。テーブルの上の書類を拾い上げ、机の引き出しにしまった所で扉をノックする音が響く。


「誰だ?」

「……レオノール様。僕です。グレッグです」

「入れ」


 グレッグ・ウィンドモアが、扉を開けて入ってくる。講義の後なのか、淵の細い丸い眼鏡を身に着けている。しかし、綺麗な顔立ちなのに、今日はまた随分と残念な程にボロボロだ。髪はぼさぼさで、目の下には隈が出来ている。俺より先に、イシドールが呆れたように口を開く。


「……グレッグ兄さん。いくらなんでも、少し気を使った方が良いよ」

「あれ? イス、久しぶりだね。いやぁ、昨日読んでいた文献に気になるところがあって、色んな本を引っ張り出して読んでいたら寝るのを忘れちゃったんだ」


 そう言えば、彼女とイスともう一人……藍色の髪の背の高い女生徒が、いつも一緒にいたな。あれはグレッグの妹か。気心の知れた雰囲気の二人を眺めながら、その繋がりを推測する。俺は端的に、ここに来た目的を訪ねる。


「どうした?」

「あ……レオノール様、今度課外授業されますよね? 事務の方から代わりに申請書類を預かって来たんです。簡単な書類なので、今書いてもらえれば、この後また出るのでついでに持っていきますよ?」

「悪い。じゃあ、そうさせてもらうか」


 俺は書類を受け取り、机の上に置いていたペンにインクをつけ立ったまま書きなぐっていく。グレッグが机の上に目を留め、零すように小さく呟いた。


「これは……」

「ん?」


 申請理由の所など、何と書くか悩んでいたからかその呟きはよく聞こえなかった。

 ただ、何かを言っている事はわかって視線をあげずに聞き返すと、グレッグは、今度ははっきりと口を開く。


「いえ……あ、レオノール様、そこの記入は……」


 ゴトンっと、嫌な音がした。机の上に放置していたカフア・ブリュの入ったカップが転がり、一瞬で濃い茶色の液体が机に広がる。俺は思わず記入していた用紙を持ち上げるが、本当はそれ以上に気になる物があった。


 

「す、すいません!」

「兄さん! 服にもっ……」


 イシドールも思わずといった雰囲気で、腰を上げる。グレッグが、カップを持ち上げ机の上の液体を吸い上げるように空中に浮かばせ、カップに戻す。俺は、思わずほぉ……と少し感心する。髪や瞳の色から水属性だろうなと思ってはいたが、何の媒介もなくここまで細やかに液体をコントロールできる奴は多くない。べたつきは後から拭かなければいけないだろうが、一先ずそれ以上の被害を防げた。


 机には、無残に茶色く汚れたハンカチが残された。それを見て、グレッグが顔を青褪めさせて言う。


「も、申し訳ありません! 大切な物でしたか?」

「いや……」

 

 俺は、用紙を置き、ズボンのポケットに押し込んでいた別のハンカチを手渡す。グレッグはそれを受け取り、どこか不思議そうな表情で俺を見る。


「え……」

「服を拭いた方が良い。()()は、もう返さなくて良いから」

「……ありがとうございます」


 その後は、何食わぬ顔で用紙の記入を終えそれをグレッグに手渡し、二人は退室していった。俺は残された部屋で、茶色く汚れてしまったハンカチを拾い上げる。


 グレッグが吸い上げてくれたおかげで余分な水分は抜けているが、少し広げてみると、広範囲にシミが広がってしまっているのが分かる。もう、洗って落ちるというものではないだろう。よく分からないが、こういう刺繍はどれ程の時間を掛けて施すものなのだろうか。


「……どうすっかな、これ」

 

 俺は、それを折り畳みそっと机の上に置いて、一先ずカップを持って諸々を片付ける為にその場を離れた。


 

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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