22・【ロゼ視点】保健委員になりました
「ロゼちゃ~ん。こっちもお願い」
「……! はい!」
放課後、わたくしは救護室に来ていた。
わたくしは、とにかくレオ様との接点を増やそうと、カレン先生の所でお仕事のお手伝いをさせて貰う事にした。レオ様が、よく救護室へ休憩にいらっしゃるとカレン先生に教えて貰ったから。所謂、保健委員という役職に立候補したのだ。
すべての“委員”は希望性で、入学試験及び必修科目の成績が一定以上取れていれば立候補する事ができる。本来、その中でも上位貴族は、学生会に所属し学院全体の運営をするのが習わしらしいのだけど、あくまでも慣例との事なので丁重にお断りした。お断りした時、学生会のみなさまが崩れる様に泣き出してしまってとても驚いた。今年度はイスもいて、立候補される方も多い筈なのに……まさかの人手不足? そんなにも、適任者が少なかったのかしら……。
わたくしは何だかとても申し訳ない気持ちになり、学生会に所属する事になったイスやグレースの友人として、繁忙期には積極的にお手伝いをする事を約束し、納得していただいた。
ちなみに、新入生ではイスとグレースの他にセレーナ様も学生会に所属する事になった。まさか、セレーナ様の想い人がイスだったなんて! わたくしがレオ様の事で頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうと立候補したらしい。愛と豊穣の神様、どうかみんなの恋が叶いますように。
救護室には、生徒だけでなく先生方や事務員、騎士隊の方まで幅広くいらっしゃる。カレン先生は、そこそこ暇よっておっしゃっていたけれど、今日もベッドは満床。カレン先生の前にも、今、3名ほど処置を待っている方が。
カレン先生曰く、感染症だったりしたらいけないからと、わたくしはひたすら備品の整理や発注、カルテの作成などを任されている。今も、救護室に用意したテーブル席でカルテの清書をしている。幾つかある仕事の中で、カレン先生が速記で書いたものを清書するお仕事が一番楽しい。カレン先生の言い回しは独特で、先程渡されたメモにも『病名あほ。処置デコピン』と、冗談も交えて書かれているから、書き写していてくすくすと笑ってしまう。
すると、また不意に扉が開いた。
清書の手を止め顔を上げ、扉の影から出てきた存在にわたくしは思わず息を呑む。
「あら、いらっしゃい」
「……おう」
レ、レ、レオ様だ! わたくしは、思わずレオ様を見つめたまま固まってしまう。
わたくしが救護室でお手伝いをしている事は、カレン先生から伝わっている筈だ。けれど、こうしてここで会えるのは初めて。あの、お出掛けした日以来、直接言葉を交わすのも……。
レオ様は、カレン先生とお話されている。
そのお顔を眺めながら、先日の事を思い出す。
思えば、あの日もわたくしは少し暴走気味に想いを伝えてしまった気がする。
思い出すと、かぁっと頬に熱が集まる。わたくしったら、また何てことを……。
『レオ様の言葉に耳を傾ける』って、『押すのではなく惹きつける』って、教わったばかりなのに……何度同じことをしたら気が済むのかしら。
穴があったら入りたい……猛省し、赤くなっているだろう頬に手を当てて冷めるのを待っていると、カレン先生がわたくしの方を振り返り、声を掛けてくる。
「ロゼちゃん、ごめんなさい。頭打って気を失っている子がいるんだって。少し出て来るわね」
「あ、はい。もちろんですわ。留守はお任せください」
「……ん~、それなのよねぇ」
カレン先生はぐるっと室内を見回す。診察を待つ方やベッドで眠っている方もいらっしゃるから、ここを無人には出来ないだろうとそう申し出たのだけど……いけなかったかしら?
わたくしが首を傾げていると、レオ様が目を鋭く細めて響くような低い声を出された。
「……お゛い。そもそも、これはどういう状況だ? あ゛?」
患者のみなさまのお顔が急に青褪め、その身を縮こませる。
お具合が悪くなってしまったのかしら?
「全員、俺が丁寧に診て回ってやろうか? な゛あ?」
レオ様がトンっと一歩足を踏み出した途端、突然患者の皆様が起き上がり、「すみませんでした!」「ありがとうございました!」「もう来ません!!」と叫んで、帰っていった。
あまりの速さに、わたくしは状況に全くついていけない。
急に救護室がガランとして、静かになっちゃった。カレン先生のケタケタと笑う声が響く。
「あ~、たのし。じゃあレオ、留守番よろしくね」
「あ゛?」
「ロゼちゃんを一人に出来ないでしょう? お願いね」
え! そんな! カレン先生!
急な事にわたくしは救いを求める様にカレン先生を見るが、カレン先生はわたくしにウインクをして部屋を出て行ってしまった。レオ様と二人っきりになり、わたくしはちらっとレオ様を見上げる。レオ様は、少し困ったように首の後ろを掻いていたけれど、その内にわたくしの斜め前の席に腰掛けた。
急に辺りを沈黙が覆う。一方で、わたくしの心臓の音がドキドキと騒がしい。レオ様に、聞こえてしまうのではないかしら?
何を話したらいい? わたくしは、みんなから教えて貰ったことを少しずつ思い出す。
そうだわ。逃げ腰になっちゃダメ。レオ様のお話を伺うチャンスだわ。
わたくしは、逸る心を落ち着かせて、椅子を押してゆっくりと立ち上がった。
「あの……お茶を、淹れます」
「……ん? ああ。すまない」
救護室の中に用意された備品庫の入り口に、魔晶石を用いて清潔な水と火が使える装置が用意されている。中央には、常時お湯が出てくる機能も付いていて、ポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。お茶の淹れ方は、カレン先生に教わった。お茶の淹れ方だけじゃない。“働く”というのも、実は初めて。普段、家のみんながわたくしに対してしてくれている事。救護室での事は、目から鱗な事ばかり。
レオ様に飲んでいただけるのなら、お茶の淹れ方も、もっと勉強しても良いかもしれない。今度、侍女長のマーサに聞いてみよう。それから、お茶菓子なんかもあっても良いかも。わたくしに、作れるかしら?
そんな事を考えながらカップなども用意し、一式を持ってレオ様の元へ。テーブルの端にカチャっと音を立てて置き、カップに中身を注いで最後に魔法で花びらを散らす。
すると、レオ様が少し驚いた顔をして、口を開いた。
「……本当に、簡単に花びらが出てくるんだな」
「……! はい。これだけは、幼い頃から出来るのです」
「ああ。そうだったな」
じんわり、わたくしの頬に熱が集まる。レオ様と共通の思い出がある事が嬉しい。
そんなわたくしを他所に、レオ様は何食わぬ顔で「ありがとう」と言ってカップに口をつけた。飲みながら、さらに問うてくる。
「他には?」
「え?」
「他には何が出来るんだ?」
わたくしは、魔法の事だと気が付き、答える。
「あ……品種に限りはありますが、多少であれば操る事も出来ます。成長を早めたり、緩めたりも。……レオ様の手帳に挟まっていた花も、成長が最大限に遅くなっていたと思います。これは、わたくしも初めて気が付いたのですが、接していたページも劣化が防がれているようでした」
レオ様は、さらに驚いた顔をした。
「……! それでか。なんでか痛まねぇなって思ってたんだ」
「はい。あの……手帳。お返しするのが遅くなっていて、申し訳ございません。今度持ってまいりますね?」
わたくしが首を傾げると、レオ様が首を横に振った。
「いや、もう昔のだ。ずっと使っていないものだったから……」
やっぱり、もう要らないものだったのね……。
手帳には、レオ様に贈った小さなお花が今も挟まっている。わたくしは、その花をレオ様との絆の一部のように感じていた。でも、大切に取って置いてくれただけでも凄い事なのだ。それでも、つい気持ちシュンと沈んでしまう。すると、レオ様は続けた。
「……いずれ返してくれればいい」
そんな一言で、わたくしの気持ちは急上昇する。レオ様にとって、何の意味もない言葉でも、つい嬉しくなって頬が緩んでしまう。わたくしは、「はい」とだけ答えて、また元の席に腰を掛ける。レオ様は、わたくしに何か言いたげに口を開いた。
「その、俺も……」
「え?」
あまりにも小さなお声だったので、わたくしは思わず首を傾げて聞き返してしまう。レオ様は、また首の後ろを掻いて言い切る。
「いや……なんでもない。手首の、ワンドの調子はどうだ? 馴染んできたか?」
「あ、はい! まるでずっと以前から持っていたかのように馴染んでいますわ。本当にありがとうございます。わたくし、高価な物と知らなくて……」
「いや。武具は少し良いものを持っておいた方が良い。今回生徒達が求める武具は、全部授業の一環という事で俺が持つつもりだ。その一つと思ってくれて良い」
そうなんだ。わたくしだけじゃ無かった事はほんの少し残念だけど、その懐の大きさに感動する。わたくしが、ほぅっと呆けていると、レオ様がふっと口元を緩めて少し笑いながら声を掛けてくる。
「思ってることが全部顔に出るな。そんなんで侯爵令嬢やっていけてるのか?」
わたくしは、カッと頬を染める。そんなに顔に出ていたかしら?
不安になりながらも、つい、唇をツンと尖らせて答えてしまう。
「も、もちろんですわ! “淑女の鏡”なんて、お褒めの言葉を頂いたこともございますのよ?」
「そうか。じゃあ、侯爵家は安泰だな」
くすくすと笑うレオ様に対し、わたくしはふと口を噤んでしまう。わたくしのその様子に、レオ様は首を傾げる。
「どうした?」
「いえ……それは、そうなれるように頑張ってはいるのですが、今一つ自身が持てずにおりまして」
「なんでだ?」
わたくしは、手元のカップに視線を落とす。花びらが浮いていて美しい。とても綺麗な飾り物。
「わたくしの生家は、戦いと共に歴史を歩んできたと言っても過言ではありません。武勲を立てられぬ者は、領主として、相応しくないのです」
カップに花びらを浮かべられる事が、一体何の役に立つんだろう。わたくしの属性は、戦闘向きではない。その事が、いつも自分の中で引っかかる。思わず、ふぅと溜息を零して呟く。
「わたくしも……イリーナ様のようになれたら」
高等学院騎士隊長イリーナ様。若くしてその腕を買われ、隊長の職に就いたと言う。凛として清廉なお姿だけでなく、「困ったことはありませんか?」とよく学院内でお声を掛けてくださる心まで清らかで優しい方。レオ様とはまた別枠で、今、わたくしが憧れ目標とする女性。
けれど、わたくしがそう言うと、レオ様はぐっと喉を詰まらせたような音を立て、ゴホッゴホッと大きくむせてしまう。わたくしは驚いて、急いで立ち上がりパタパタと走ってお水と濡れタオルを用意する。それをトレーに乗せ、レオ様のお側まで行ってそっとお渡しすると、徐々にレオ様が落ち着かれてほっとした。
「っん゛ん……、すまない。しかし、あいつは目指さなくて良い。むしろ、やめてくれ」
「え?」
どうしてそんな事を仰るのかしら?
わたくしは、少し剥れて首を傾げてしまう。素敵な方なのに、イリーナ様。レオ様は続ける。
「何も武勲を立てる事が領地を守る全てじゃないだろう。授業でも言ったと思うが、力のある者に頼るのは罪じゃない。出来る事を出来る奴に任せておけばいい」
「しかし、それでは……」
「代わりに、君だからこそ出来ることもあるだろう?」
尋ねられて、わたくしは、ついキョトンとしてしまう。そんなものあったかしら?
目を瞬かせて首を傾げると、レオ様がまたふっと笑う。
「なんだよ、無自覚か。例えば、そうだな……さっきの“淑女の鏡”っていうのもそうだけど、相当に気を配りながら一人一人と話をしているんだろ? 顔も広い方なんじゃないか? 俺にはそんな事は絶対に出来ない。今受け持っている授業の生徒達の名前と顔も一致していないしなぁ」
あ……と、先日セレーナ様達とお話した時、ルーシー様が『一人一人丁寧に対応されているロゼ様を見て、密かに憧れておりました』と仰ってくれた事を思い出す。レオ様は、どことなく口元を微笑ませたまま言う。
「周囲を味方につける能力と言うのは、侮れないものだ。戦場でも、数が物をいう時があるしな。フォンテーヌ侯爵だって、無謀な闘いはせず、必要に応じて国や周辺の領地に支援を求めたりもしていただろう? あとは、これも前にも言ったが、花を出す能力は本当に無能なのか? 俺はそうは思わない」
わたくしは、今一度お茶の上に浮かぶ花びらを見る。本当に、何かの役に立つのかしら?
わたくしが見ている事に気が付いたのか、レオ様はカップを持ち上げ、ゴクゴクと一気に中身を煽る。わたくしは驚いて、レオ様を見つめる。レオ様は一息で飲み切って、カップをそっとソーサーに戻す。
「……うまいじゃないか。自分で、自分の可能性を潰すな。自分自身に捉われず、周りが自分に求めていることを考えてみろ。君の身近には、いつも誰かがいる。それが、君が必要とされている証拠だ」
ご馳走さんと、レオ様はおもむろに立ち上がる。頭1つ分見上げるような形になり、どうしたのだろうと思っていると、レオ様はわたくしが持っていたトレーを取り、カップや布巾を纏めてそれに乗せていく。片付けならわたくしがと動こうとすると、レオ様は空いている手で拳を作り、コンっとわたくしの頭に軽く触れた。
「でも、もう無理するなよ。君らしくあれば、それで良い。わかったな?」
目を細めて、相手を思いやるこの優しい大人な微笑みから、いつも目が離せなくなる。ときめいては、全ての行動を彼に奪われてしまう。
レオ様は、慣れているようで素早く片付けに向かってしまった。
わたくしは、暫く固まったまま、レオ様の触れた自分の頭を両手で抑えていた。胸がドキドキして、今自分が何をされたのかもよくわからなかった。
その後、カレン先生が処置を終えて戻って来た。
カレン先生が戻って来るや否やレオ様は出て行ってしまったけれど……わたくしの心は、ぽかぽかとずっと温かかった。カレン先生に「どうだった?」と尋ねられたけれど、レオ様の言葉は宝物のように大切にこの胸に秘めておきたかったから、わたくしは微笑んで「内緒です」と答えた。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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