20・【レオノール視点】彼女の中の俺
試合が始まる時刻まで、まだもう少しある。
時間を潰す為、懇意にしている店を回る事にした。
その方が何かと安全だし、普段俺の行くところに行きたいと言う彼女の希望を聞く形となった。
そうだな。いっその事、普段の俺を思いっきり見せて、幻滅でもして貰えたならすっきりとするかもしれない。
本屋や文具店、薬草や茶葉の店、さらにはスモークの店なども巡る。
意外にも彼女が興味を持ったのは、武具や装備品の店だった。
ヨルダンと言う護衛騎士も中に招き入れ、弓や防具を見ては、真剣に店主の説明を聞いている。武具一式については、授業でも取り扱う予定だ。まあ、少し先取りしても良いだろうと口を出す。
「弓を使うのか?」
「あ、はい。剣は重いものだと持続的に振り続けられないですし、軽いものは威力が劣るので、消去法で。クロスボウですとか、ブリーズボウを使って威力を出しています。どうやら筋肉が付きにくい体質のようなんです」
なるほど。それも、恐らく魔力の影響だろう。強い花属性であれば体の質が寄っていく為、筋肉はどうしても付きにくくなる。ブリーズボウとは、風の魔晶石を嵌め込んだ弓矢だ。飛ばした瞬間に風魔法が発動し、威力が増す。力の弱い女性には、確かに最適の武具だが……。
「なら、いっそ魔法中心の攻撃や防御を考えた方が良くないか? 魔力量は多いだろう?」
「はい。でも、花属性なので……戦闘には不向きかと……」
彼女はあからさまにシュンと肩を落とす。ただ、本当にそうだろうか?
「俺もぱっと思いつかないからあれだけど、魔法は思っているよりも奥が深い。よくよく観察してみれば、意外な使い道を思いついたりもする。弓を続けていくのも悪くないが、特性を活かした方がいざという時に発揮される底力が違う。そうだな……店主、これを」
俺は、ブレスレットタイプのソーサリーワンド――いわゆる杖の様に魔力を増幅したり、コントロールする媒介――を、選ぶ。恐らく通常の人の数倍はあるだろうその魔力量に対応する為に少し幅広だが、ちょうど彼女の髪色に似ているし、そう重っ苦しくもならないだろう。金を払い、それを彼女に手渡す。
「俺の授業を受講するかわからないが、身を守る為にも持っていて損はない。折角だから、色々試してみろ」
「……! は、はい! ありがとうございます」
――……って! 俺は、何を!? 振ろうとしてる相手に、なんで贈り物なんてしてるんだ!?
そう思った時には、すでに遅く。
彼女は左腕を通し、懸命に留め具を摘まんでいる。……が、なかなか上手くいかない。
もう贈ってしまったものを返せとも言えないし、まあ良いかと息を吐き、俺は見るに見かねて、最終的にはそこも手を貸した。
彼女は、嬉しそうに腕を眺めては、反対の手も使いぎゅーっと胸に抱きしめて喜びを示す。まあ、授業で使うものだし。そこまで喜んでもらえるなら、贈ってよかった……のか?
そうこうしている内に、ようやく試合が始まる時刻になり、俺達は試合会場に足を向けた。ここでも予想外だったのが、案外、彼女も楽しんでいたという事。
さすが武家の娘という所か、動体視力も良く、戦士達の動きをよく見切っていた。
俺の解説にも真剣に耳を傾け、最終的には、なんと彼女の賭けたものが俺の予想より当たったりもしていて、俺も気が付けば普通に楽しんでいた。
心配していたよりも、ずっと普段通りに居られたな……。
試合も終わり、遅くなる前に返さなければと夕刻には帰路につく。王都の中心地には馬車があるというので、そこまで送る事にした。ヨルダンがいるとはいえ、地の利には俺の方が詳しいだろう。
道を進むうちに、段々と会話がなくなってしまった……。
絶妙に気まずい。
俺は、何か話さなければとぐるぐると思考を巡らせていたら、彼女の方が先に口を開いた。
「あの……」
「……! ああ、どうした?」
「あの、今日は本当にありがとうございました」
彼女が足を止めるので、何となく俺も足を止める。
夕日に照らされ、彼女の白い頬がオレンジ色に染まっている。
「いや……別に」
「あと……これまでの色々な事も、きちんとお礼を言えていなかったので……心からお礼と、お詫びを申し上げます」
そう言うと、彼女はスカートの端を持ち、綺麗なカーテシーをした。
ああ、この子は本当に生粋の貴族なんだなと思わされた。
俺は、何となくばつが悪く頭の後ろを掻きながら言い放った。
「……そうだな。もう、あんな無茶はするな。暫くは隠れ蓑になってやっても良いが、君も、俺なんかじゃなくてちゃんと自分に合う相手を見つけろ」
「……え?」
彼女の瞳が大きく見開かれ、夕日に照らされ煌めき揺れる。俺は続けた。
「悪いけど、君をそういう対象で見られないと言ったのは、今も変わらない。年の差もあるし何より生きてきた世界が違う。幼い頃の思い出に縛られていないで、今を見た方が良い」
「……わたくしは、今を、見ています」
「いや、だとしたら見えていない。俺は君とは合わない。半分王家の血を継ぐが、ただそれだけだ。貴族達が言う、もう半分の血が怪しいと言うのは真実だ。ここだけの話になるが、俺には平民の血が流れてる」
彼女が一瞬驚き、言葉を詰まらせる。俺は、対外的には后妃の子となっているが、実は前国王が悪戯に手を出した踊り子の子供だ。その頃、まだ王に子はおらず、皇后の腹にガレスがいたが一人では心許ないと城に召された。そもそも、保険だったのだ。
けれど、彼女は首を横に振る。
「だとして、それが何だと言うのですか? わたくしは、あなたの血に惹かれたわけではありません。あなた自身に惹かれたのです」
「だから! そんなのは、妄想だろう!? 何だって、そんな幼い頃一瞬会っただけの男にそんなに思いを寄せられるんだ? 君が、俺の何を知ってる?」
「……レオ様、わたくしは」
「申し訳ないが、もう付きまとうのもやめてくれ! 特別教諭という形ではあるが、授業の事ならきちんと話を聞くから」
思わず、少し声を荒げてしまった。傷ついたような彼女の顔を見ていたくなくて、視線を外し、荒々しく息を吐き苛立ちを散らそうとする。けれど、胸のモヤモヤは全く収まらない。
これで……良いんだよな?
最終的には、彼女の為にもなる。これが、大人の対応だろ?
彼女は、暫く黙っていた。
すると、俺の声には反して、ぼそっと静かな声が耳に届く。
「2年前……」
「ん?」
声につられて彼女を見る。彼女は、俯いたまま語り始める。
「2年前……わたくしが14歳の頃、発行前の記事の原版を見たのです」
「原版?」
彼女は、コクンと頷くが、表情は見えない。何の話をしているんだ?
「お父様の、執務室でした。ゴシップ誌ですが、4社ほどの記事の原版が重なっていて……。当時、わたくしはレオ様の記事をスクラップにすることが趣味だったので、何気なくそれを見たのです」
「……」
「そこには、こう書かれていました。『フォンテーヌ侯爵令嬢、父がいない間に、王都で繰り広げる淫らな夜』と」
「……っは?」
思わず、目を見開く。彼女は、視線を斜め下に移し、自分の腕でもう片方の自分の腕を抱えるように摩った。恐らく、無意識に。彼女は続ける。
「さらに、記事には、映像石で映したのではと思われるほど精巧な……ベッドの上で、淫らな、姿で笑う、わたくしの姿絵がありました……」
いつもの濁りの無い澄んだ綺麗な声が、小さく震えている。
それでも、その瞳から涙が零れることはなく、むしろ彼女はふふっと無理やりに口元を微笑ませた。
「もちろん、そんな事実はありません。ただ、余程の確証がなければ、新聞社も貴族を相手取って、そんな記事を打ち出さない筈です。記事をよく読むと、わたくしが社交の場で話した言葉が、そうと聞こえるように部分部分を繋ぎ合わせ、さも本当の事のように書かれていました。恐らく……わたくしが関わった貴族位の何者かのリークだったのでしょう」
「……」
「社交界にデビューして、数年。自分なりに上手くやっていると思っていたのですが……混乱しました。わたくしの、何が、周囲にそう思わせてしまったのか。そんな姿絵が父に見られたのだと思うと……とても情けなくて、恥ずかしくて……消えて、しまいたかった」
14歳の、多感な年頃の少女に、何て仕打ちをするのだろう。
その時の彼女の気持ちを考えると、痛ましくて仕方ない。
そんな記事を世に流そうとした奴らを、片っ端から捻り潰してやれたら、どんなに良いだろう。彼女は、はぁと息を零し、俺の贈ったブレスレットの辺りに触れて自らを落ち着かせるようにしながら、続けた。
「恐らく、父が対処した筈だと、そう思ってはいたのですが……気になって、記事を求めに行ったのです。今日のようにフードを被って。城下街まで……」
ふと、視界に少し離れたところで彼女を見守る護衛騎士のヨルダンが入ってくる。
ヨルダンは何も言わないが、恐らくこの事実を知っているのだろう。
その時も、こいつがついて行ったのかもしれない。その表情は、どこか痛ましそうに曇っているように見えた。
「そしたら、一面差し替えられていたのです。レオ様の記事に」
「……俺の?」
「はい。北部のスノウウルフの一群との戦いの記事でした」
ああ、と思い出す。ここ最近で、確かに、一番の山場だった。
スノウウルフは頭が良く、北部の森に君臨し、長年地元民との攻防が続いていた。
「……その記事を見たら、幼い頃に『お前の大事な物も、全部守ってやるからな』と言ってくださったレオ様の顔が思い出されて……無性に会いたくなって、ヨルダンを連れて戦線跡地に赴いたのです」
救護室で言っていた言葉を思い出す。その時の事だったのか。
「現地でお世話になった方に、たくさんお話を伺いました。レオ様に感謝の意を示していました。そして、申し訳なかったと……スノウウルフとの間の真実も知りました」
俺は、その時の事を思い出す。
国は、ずっとスノウウルフに悩まされていると言っていたが、本当は逆だった。本当は……。
「本当は、魔晶石欲しさに街の人間がスノウウルフの子供達を乱獲していたと。あなたは、それを止めさせる代わりに、街にも手を出さないようにと根気よく交渉を進めていたのに……その最中、またスノウウルフの子供に被害が出たと」
戦闘は避けられなかった。俺は、その土地の民を、国民を守る為に一群を殲滅した。どちらに正義があったのか分からなくなる事など、戦闘の場では珍しい事じゃない。ただ、未だに悔しい記憶に、思わずぐっと拳を握る。
「それで……スノウウルフが暮らしていたと言う森に、入ってみたのです」
「……!? 森に!?」
気温がかなり低く、たとえ低地でも氷の様な雪が所々に残る森だ。どんなに防寒具を身に着けても、肺が凍るように寒かっただろう。けれど、彼女は何てことなく頷く。
「はい。そうしたら、見つけたのです。森の奥の平原に、数多の墓を。入り口に置かれた墓標には『誇り高き一族に敬意を』と、彫られていました。……あれは、レオ様が作られたものですよね?」
「……!」
俺は、思わず息を呑む。驚かされる事ばかりだ。
せめてもの慰みにと、魔獣たちを埋め、作ったものだ。
「あらゆる噂や、真実に、心を痛めながらも、力強く道を歩むあなたに、わたくしは心が奪われたんです」
彼女はすっと両手を伸ばし、俺の片一方の手を持ち上げるようにそっと触れる。つい体がびくっと過剰に反応してしまうが、彼女はそれを落ち着かせるようにぎゅっと握り自身に引き寄せる。触れられたところから、彼女の熱が伝わってくる。
ずっと妄想だろうと決めつけていた彼女の中の自分と、今の自分が重なってしまった。間違いなく、彼女が思っているのは俺なのだと伝わってくる。
「ただの憧れと言われたなら……そうなのかもしれません。けれど、わたくしの気持ちに嘘は、一つもありません」
彼女は顔を上げ、乞うように俺を見つめてくる。
なんと、答えるのが正解なんだ? 俺は、何と言わなければいけないんだったか……。
「好きです。レオノール様が、好きなんです。心から……お慕いしています」
彼女は、囁くようにそう告げた。
声だけではない。小さな手も、小刻みに震わせて。頬は紅潮し、藤色に輝く大きな瞳が潤い、涙が一粒零れる。
その姿は、儚くも美しく、もしここが屋外でなければ、思わず引き寄せ強く抱きしめていたかもしれない。あの時と同じだ。『結婚してください』と言われた、あの時と。
「……付きまとっていると、思わせてしまったのならごめんなさい。でも、どうかチャンスを、くださいませんか?」
ほんの一瞬前の自分の言葉に後悔するのは、初めてだった。
強い言葉を選んでしまったと……。
それに、こんなにも、自分の決断に迷うのも初めてだった。
彼女の手から、自分の手をそっと引き抜き視線を逸らす。
一瞬の間、彼女はシュンと気落ちした顔を見せる。でも……。
「最終的に、気持ちに応えられるかは、わかんねぇぞ……」
苦し紛れにそう言った。
彼女は目を瞬かせ、理解が追い付いたのか徐々に綻ぶように頬を緩ませ、涙を拭いながら微笑んで言った。
「……はい!」
俺は手の平で口元を覆いながら、誤魔化すように「行くぞ!」と言って踵を返した。夕焼け空で良かった。顔の赤みが誤魔化せる。
初めての事ばかりで、混乱しきりだ。
ドクドクと強く胸が脈打つ。何なんだよこれは。
くそっ! 不整脈で死にそうだ!
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱
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